第11話 復権
昨晩の社内で催された忘年会は、盛りに盛り上がった。
本場の蟹を食べながら、地酒をこれまでかと言うくらい飲み干す。こんな幸せなことはあるだろうか?たしかに、この土地の天候は好きにはなれないが、冬場の厳しい気候に耐えなければならないことと、美味いものを喰う特権とはバランスがとれているものだと思う。
苦しみを乗り越えると人は仲良くなる。最初はよそ者扱いで居心地が悪かったが、鬼のような残業の日々を、助け合いながら乗り切ったお陰で、ここの社員達とも仲良くなった。
本社にいた時には人間関係が希薄で、自分の部署でさえも、なかなか一体感を感じることができなかった。だから尚更、この会社のみんなと信頼関係を築き、仲間になれたのが、なによりも嬉しかった。社会人になって、もう20年。上からの評価を気にばかりして、同期でさえも心をさらけ出す仲間はいなかった。それもこれも、出世争いのことばかり考えてきたせいだ。
たしかに、すべてを失った。だが、自然体でいられるこの居場所もそう悪くはないなと、心の底からそう思えた。
もう、背伸びをしたり、人と競い合う人生にはウンザリだ。
どうして、そんな風に考えるようになったのだろう?
守るものがなくなり、すべてを失ったからだろうか?
自分の中で、根本的な何かが変わろうとしているのかもしれない。それが、何故だからはわからない。私には守るべきものがないのだから、なにも怖くもないのかもしれない。ここ最近、自問自答ばかりしている。
年始の出荷もようやく目処がたった昼ごろ、私宛てに一本の電話が鳴った。
「花ちゃん部長、本社からお電話です!!」
娘くらいに歳が離れている女性社員が、茶化して電話を繋いでくれた。忘年会でアイドルのコスプレをノリノリでやっていた子だ。
「こら、日中は真面目にやれ!!」
冗談交じりで、笑いながら叱った。忘年会で打ち解けたからなのか、今日は部長としての威厳が全くない。
「花ちゃんに怒られたーー」
女性社員が、ケタケタと笑いながら、逃げていった。その様子を微笑ましくみながら、外線にでた。
「花城。急で悪いんだけど、明日、本社に来てくれないか? 緊急の用件なんだ!!」
電話の相手は、東京での面会時間を一方的に言った。そのまま、私の都合も返答も待たずに電話を切った。
本社の人事担当役員だった。私の責任をしつこく追求し、直接出向を命じたあの男だ。あの嫌味のある言い方と私が受けた屈辱感は、今でも忘れることもできない。
昨日の美味かった酒が残っており、こんなにも気分上々であったにもかかわらず、一瞬にして最悪な気分になる。
いきなり、東京へ明日に来いなどと人事という人種は、なぜあそこまで傲慢なんだろうか。
関連会社にも仕事と予定があるということをわかっていないのか。
それとも、他人の生殺を握っているという優越感にでも浸っているだろうか。
そう思うと、さらにイライラしてきた。私の機嫌が、こっちの冬場の天候のように急激に悪くなったので、周りの社員達が心配してくれた。その心遣い、ほんとうに有り難い。
そんなクソ野郎の呼び出しなど無視しようかとも思ったが、正論がよぎる。私は、給料を頂いて生計を立てているサラリーマンです。故に、命令には絶対に従わなければならないのです。重い腰を上げて、明日に向けて、残っている雑務を片付けた。
夕方の新幹線で向かおうかとも思ったが、東京の自宅に戻るのが嫌だった。妻からは、夜に電話があったようだが、めんどくさくて気づかないふりをした。体にはきついが、早起きをして、翌日の始発の新幹線で向かうことにした。
新幹線のなかで、弁当を食べながら、今日呼び出された用件を考えてみる。
私は、ワンマンのカリスマ社長に「お前はいらん」と直接いわれた男だ。今の現状を好転させる材料がどこにも見当たらない。
出向期間がきれて、今の会社に一生骨を埋めろか、ほかの関連会社に転籍しろか、この二択だろう。
それはそれで良い。東京にも戻りたくないし、今の会社に行くのも楽しい。むしろ、ずっと、今の会社で人生を終えるのも悪くない。
ん? ただ、あのくそったれの人事担当役員がそのようなくだらない用件を伝えるだけならば、電話で十分なのに。また辛気臭い男の顔を見なければならないとは、さすがに情けない気持ちが湧き出てくる。
このトンネルは長いな。
私の憂鬱な気持ちとは裏腹に、長いトンネルを抜けると、快晴の青空が広がっていた。
憂鬱な気持ちを引きづりながら、通い慣れた本社の入り口の前に仁王立ちする。改めて見上げてみると、ビルは本当にそびえ立っており、頭がくらくらしそうだ。スマホの画面で、時刻を確認すると、指定された時間よりも、やや早かった。これまでは、自分の社員IDで直接入室できたが、さすがに出向の身分ではそれはできず、総合受付に名前と用件を通した。
何年間も通い続けた会社であるが、久しく来ないうちに、知らない世界に迷い込んだような不思議な感じがする。田舎に流れている時間と、東京で流れている時間には確実に違う。
受付横の待合室で待たされていると、知ってる顔が何人も忙しそうに通り過ぎていく。そんなに、急ぎの仕事があるのだろうか。その切迫した険しい顔を見ると可哀想になる。
その気持ちをよそに、だれも私の存在には気づかない。その中には、元部下達の顔もあるが、さすがに都落ちした元上司の姿は見せたくなく、顔を背けた。
予定した時間から10分後、ようやく人事担当役員の部屋に通された。
「なんだ。その格好は。おまえ、礼儀も知らんのか!!」
開口一番、役員が大声をあげた。その滑稽な様は、天性の小物感の匂いがした。
小物が激怒した理由は、分かっている。私が髭も剃らずに、今の会社の作業着で来たので、怒っているのだろう。私のような立場の高い人間と会うのになんなのだと。
本社での出世にはもう関係ないし、偉そうに急に呼び出されたことにも腹が立った。持ち前の反骨心とめんどくさかったので、いつもの会社の格好で来た。
まぁ、確かに。この小物が思う通り、以前の私からは考えられない愚行なのかもしれない。
「倉庫で検収していた途中に、急に呼び出しにあったですもの。用意できるスーツもなかったんです。あっ、失礼しました。これが今の私の名刺です。」
「ふざけるな。そんなもんいらんわ」
そういうと、私の手を振り払った。私の小馬鹿にした態度が気に食わなかったらしい。その狼狽する様がおかしくてたまらない。
「まぁ、いい。時間もない。ついてこい」
役員は怒りを通り越して、私の態度にあきらめ顔となった。もっと、からかってやろうと思っていたのに、全くの拍子抜けだ。
私を遥々遠くから呼び寄せたのは、どうやらこの小物ではなかったようだ。とはいえ、私には選択肢がないので、しょうがなく、この男の後をただただついていくことにした。
しばらくついていくうちに、このような格好はまずかったかなと後悔することになった。私の目的地がこの赤絨毯の奥の社長室であるとわかったからだ。
そう言えば、出向を言われた一年前も、この小物に連れられて、同じようにこの赤絨毯を歩いた。あの時は、まるで処刑台で首を落とされるかのように、足が震え、生きた心地がしなかった。
だけど、今は違う。今の私には、残念ながら失うものもない。社長に叱責されようが、罵倒されようが、そんなものは関係がない。そう考えると、やはり、私のなにかが変わったのかもしれないなと思った。
なぜならば、私が今置かれている立場を冷静に見つめ直すことができるような気がするからだ。
私が入社したときのR社は、そこに転がっているような中小企業だった。それが、あれよあれよと、5年前に新興市場に上場を果たした。既存の枠組みにはとらわれない斬新な戦略と積極的なM&Aを繰り広げたことから、業界の風雲児とも呼ばれている。
ワンマン社長の弊害と陰口を叩く輩もいるが、それもこれも、一代で築き上げた金川社長の手腕によるところが大きい。
本社にいた時に、何度か新規事業の説明のために、社長と対峙したことがあった。金川社長は、口下手で無骨なところがあるが、いつも核心をついててくる。
「なぜこの企画がボツになるかわからないだって?つまらんから、駄目だ。それ以外になんの理由が必要か?」
これはいけると思った渾身の企画だったが、書類を顔に投げつけられた。私だけでなく、役員も社員たちも、ワンマン社長を全員恐れている。いつ、この人に切られるか不安だからだ。
そんなパワハラじみた仕打ちを受けても、私は金川社長を尊敬している。この会社に長く勤めていたのは、社長の存在もあったのだろう。ただ、そんな尊敬する社長から、お前はいらんとはっきりと言われた手前、会わせる顔がないというのが正直な気持ちだ。
人事担当役員が、緊張の面持ちをみせて、社長室のドアをノックした。
部屋に入ると、社長はソファに座っていた。片手に書類を持って、目を閉じてなにかを考えている。社長が話しかけるまでは、そのまま直立不動で待つのがこの会社の暗黙のルールだ。
社長の厳しい眼光が、私を捉えた。
「きたか。急に呼んで悪かったな。お前にはもう用はない。下がれ!!」
人事担当役員は、お役御免といった感じで、逃げるように部屋を出て行った。
「まぁ、座れ。向こうはどうだ」
「ご無沙汰しております。見ての通り、向こうの生活にも慣れて元気です。さすがに、むこうは気候が厳しいんですが、魚と蟹はめちゃくちゃ美味いんです。社長にお会いするとは思っていなかったもので、こんな格好で申し訳ありません。でも、慣れると作業着もなかなかいいもんです。窮屈なネクタイはもうウンザリですわ……」
以前の私なら、社長に怯えて、このようなくだけた話は絶対にできなかった。自分自身がよくわからない。ほんと、どうしたんだろうか………
「それは、よかった。………残念だが、またそのネクタイ生活をしてもらう。時間がないから、単刀直入にいう。本社に戻ってこい。話はそれだけだ。お前に選択肢はない。これは俺の命令だ!!」
相変わらず、金川社長は結論を先にいう。
「えっ、なぜですか……?」
想像もしていなかった展開で、言葉を失い、そういうのが精一杯だった。この前は、いらないと言ったくせに、社長の考えと話が見えない。
「花城。お前は、この会社に入ってどれくらいになる? 」
「もうすぐ20年になります……」
「そうか……それならば、この会社のことはある程度はわかるな。俺がこの会社を作ってから、もうすぐ30年になる。この会社も潰れそうになったことはたくさんある。俺はこの会社を守るために必死だったよ。それがどうだ。今、入ってきた若い奴らは、なんの苦労もせずに、会社があることが当たり前のように考えている。まさに、学級崩壊した小学校のようだ。この30年、俺が何を考え、何をしてきたか。お前には、わかるか? 」
「………わかりません」
「………簡単だよ。必要な物と人間に、時間と金を突っ込んで、無駄な物と無駄な人間を時間をかけずに、切ってきただけだよ。ただそれだけだ……。会社の寿命は30年だ。うちにも、つまらん膿がでてきた。本社にお前を戻すが、たまたま、お前が必要となっただけだ。だから、自分には実力がある、能力があるとは、思わないことだ」
ここまで、会社経営について、饒舌に話す社長は初めて見た。やはり、すごい人だと思った。恐怖とは異なる恐れを感じ、膝が揺れる。
「話はそれだけだ。つぎの取締役会で、執行役員にしてやる。この会社の最年少役員だ。家に帰って、嫁を喜ばしてやれ!!」
「話はそれだけだ」と社長が言うと、黙って退席するのが、この会社の暗黙のルールだ。
記憶にはないが、「期待に応えるよう頑張ります!」というようはことを言って退席した。
何が起きたのだろう……社長が放った言葉を一つ一つ思い返しながら、赤絨毯の廊下を歩いていると、もっとも会いたくなく男とあった。
「おっ、話は聞いたぞ。なんだ、そのみすぼらしい格好は。田舎暮らしでボケてしまったんじゃないか? 花城執行役員、ご栄転した気分はどうだ。俺が約束通り、お前を呼び寄せてやったんだぞ。感謝しろよ!!」
相変わらず、胸糞の悪い笑い声を立てながら、雨池専務がやってきた。
「せっかく、向こうの生活にも慣れたところなのに、ほんと迷惑な話です」
「貴様、なんだその言い方は。また、飛ばされないように、今度こそ、会社のために頑張るんだぞ!」
私は黙って頭を下げた。そして、雨池とは目線も合わせずに、そのまま前を向いて歩いた。
心の中では、もう二度とこの男には屈しないことを誓った。いや。もう、今の私には屈する理由さえない。
兎にも角にも、私は本社に復帰することになった。しかも、異例の大抜擢で。元の仕事と生活を取り戻したのだ。
ただ、「もとの生活と決定的に違うこと」がある………
妻には本社に復帰し、東京へ帰ることを告げていない。
そして、会社の近くに単身用のマンションを妻に黙って借りた。
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