第9話 望郷
「廃人になる」ということを身をもって体験することになった。精神が壊れて、人間でなくなる。それが廃人であり今の私だ。
生きる意味とは、「やり甲斐のある仕事」、「家族を持つこと」、「子孫を残すこと」だと思っていた。
これまで大切にしてきたもの、積み上げてきたすべてのものを、『知らない力』によって粉々に壊された。
何をするにしても、気力がなくなり、食欲もでない。自分の心がここまで、脆いものだということをこの歳で知った。
結果論だが、単身赴任という形で飛ばされて本当に良かった。
実際に妻と光輝の顔を見なくて済むのだから……。いや、正確にいうと戸籍上の血の繋がらない息子の彼と。
表面上は親子ごっこを続け、気づかないふりをしながら、同じ空気を吸って生活をする。想像しただけでも生き地獄だ。
不貞を働いた裏切りものの妻は、私が真実にたどり着いたことを知らない。むしろ、この前の光輝がいなくなった一件で、一人で育てることへの不安を感じたらしい。私がここへ赴任してからの素っ気なさが嘘だったかのように、頻繁に電話やLINEをしてくるようになった。
「うちの息子が、こんなに話かけるようになりました」
「うちの息子が、ボールを蹴るようになりました」
「うちの息子が、おむつを卒業するために頑張っています」
LINEの写真や動画を駆使して、満面笑顔の息子を、これでもかというくらいに送ってくる。私の息子であった彼は人間と言う道を着実に進んでいるらしい。
他人の子供自慢。上辺ではかわいいとか取り繕うが、これほどウザいものはない。スマホに映るこの無邪気な子供には罪はないのだろう。なにも知ることもなく、純粋に私に愛情を向けているのだろう。それでも、この子供の存在が許せない。
「とうと、いつ帰ってくるの?……」
つらい。
ふざけるな。お前の父親ではない。お前達は、俺の稼ぐ金が目的なんだろう。
「いったい、誰の子だ!!」
妻を問い詰めたい気持ちも湧き上がってくる。
だが、偽りの家族とはいえ、本当に全てを失う勇気もなければ、そもそも言い争う気力もない。
頭の中で、自分が惨めになるだけだから、泣くなと言う。しかし、自然に涙がこぼれ落ちる。
妻からのLINEの返信は最低限。電話も敢えてでないようにしてる。自分の小さな小さな殻に引きこもって、なにも考えずに逃避することに決めた。
ところが、心の波が打ち寄せる。私の人生、どこが悪かったのだろうかと自己否定しろと言う。
妻は、不倫のドラマにハマっていた。得体の知れない輩と若手注目俳優を重ねていたのだろうか。
仕事中心の生活で家族をかえりみなかったからだろうか。もっと、オムツを替えたり、皿洗いや風呂掃除をするべきだったのだろうか。いや、そこまで仕事を優先させたつもりもないし、出来ることはやったつもりだ。
光輝が生まれたときに、2人で喜びあったあの瞬間はなんだったのだろうか。いやまて。あのとき、妻はどうような心境だったのだろうか?本当に愛するものとの遺伝子を残せたことへの喜びだったのだろうか。
頭の中が、疑問だらけでグルグルする。会社にも妻にも、私は人生の敗北者という名の烙印を押されたような気がする。
気持ちを少しでも落ち着かせるために、精神科で処方させた薬を飲む。
くそっ、やぶ医者め。全然効かないじゃないか。
いや、これは悪夢だ。全てはなにかの間違いではないかとも思う。
「遺伝子からは逃げられませんから」
いまとなっては、あのくそったれの赤海の言葉が、ずっしりとのしかかってくる。
休日、この狭い部屋にいると、死にたくなる。外はこんなにも快晴なのに、カーテンを閉め切って真っ暗にする。そもそも、私にとってこの世の中が眩しすぎる。
誰も知らない、心が休まるところにとにかく行きたい。だが、行き先で思い当たるところさえない。
目の前に、総会で配られた「我々の歩み」が無機質に転がっていた。そう言えば、先ほど、私が壁に投げつけたのを思い出した。
こいつらのせいで、酷い目にあった。そもそも、庄の国なんてもの、あいつらの妄想であって、あるわけないだろう?
不思議な感情が湧き出てくる。
本当なのだろうか。あいつらの言っていること、正体を確かめたくなってきた。
そう思うと、居ても立っても居られなくなり、車を走らせた。妻と繋がっている煩わしいスマホをおいて………。
庄の国とやらは、ここから車で2時間くらい飛ばせば着くところにある。
そう考えれば、会社に飛ばされたこの辺境の地は、ただの偶然ではなく、遺伝子に導かれた運命のような気もしてきた。
「庄の国」があると言っていた町には、文明の利器、ナビによって難なく来ることができた。
かといって、土地勘がないため、どこにいけばいいのかが、全く分からない。今更になって、スマホを置いてきたことを悔いた。
とりあえず、先人たちが武器を放棄したと言われる祠とやらを探そうと思った。だが、この分厚い「我々の歩み」の中には、詳しい場所までは書いていない。だが、さすがに有名ではないにしても史跡となって残されているに違いない。
暇そうに歩いている第一村人に尋ねてみる。
「ん!? 庄の国? なに寝ぼけたこと、言ってんのや。わしは生まれてから、ここにずっとおるが。そんな話なんて聞いたこともないわ」
「それよりも、あんた。東京から来たんけ? テレビの取材かなんかけ? 」
歯の抜けたじぃさんに大笑いされた。芸能人は何処に隠れているんだと探ってくるあたりが、かなりのミーハーだった。解読不能の方言を読み解くと、彼はこの町内の班長さんだった。
班長さんは、本当に知らないようだ。最後にはオレオレ詐欺を企むボスとして疑われ、「この村から立ち去れ」と罵られ、逃げ帰った。
その後、何人かの老人に聞いたが、同じような反応だった。
さすがに、ここまで糸口がないと、庄の国どころか、財団法人自体の存在も怪しくなってきたと疑いだした。
疲れた。これ以上、よそ者の不審者として扱われるのも嫌だ。
途方にくれて、コンビニの駐車場でコーヒーを飲みながら、そろそろ帰ろうかと思った。結局は庄の国などないのだ。自分が哀れで笑えてくる。
同時に、なんのためにここまで来たのだろうと虚しくなってきた。精神科のやぶ医者が言う通り、心が病んでるとは言え、なにをやってるんだろうかと。ありもしないものを追っかけて。
帰り道のナビに手を伸ばそうとした。
そのとき、コンビニから出てきた男の顔をはっきりと見えなかったが、一瞬、山籠りをするかのような大きなリュックが視界に入った。このシルエットには、見覚えがある。
あいつだ。
「あっ、ちょっと待ってください!!」
急いで、車を降りて男のところに向かった。
リュックの持ち主は、財団法人の経理担当である木枯だった。
なぜ、こんなところに一人でいるのだろう……。
私の顔をみると、木枯はまるで逃げるかのように去ろうとした。彼には聞きたいことが沢山ある。捕まえて、全部を白状させてやる。しかし、木枯は立ち止まろうともしない。
「私には、あなたに会わせる顔もありせんし、お話しすることもありません……」
相変わらず、聞き取ることも困難な小さな声で呟いた。意外と力は強く、このままでは埒があかない。
「木枯さん!! 待ってくださいって。別にあなたを責める気はありませんから。あなたに聞きたいことがあるんです。ここには、その昔、庄の国があったんですよね。総会で言っていた『祠』とは、何処にあるのでしょうか? せっかくここまできたんです。それだけでも教えてください!!ね、それくらい、いいでしょ」
木枯は立ち止まった。
もっと、山手の奥にあると指差した。指差した方角をみてみる。しかし、その行く先には、なにもなければ、そもそもその説明では全く分からない………
「せっかくならば、木枯さん、一緒にいきませんか? 同じ一族ではないですか!」
そういって、嫌がる木枯を半ば強引に車に引き込んだ。木枯は抵抗していたが、ドアを閉めると、観念したかのように大人しかった。
彼はほんとに口下手で、車の中でも全く話さず、微妙な空気が流れた。私からの問いにもほとんど返してこない。コミ障害かよ。唯一聞き出した情報は、木枯は私と同い年だったというくらいだ。
車は、庄の川沿いの道を上流に向かって上へ上へとあがった。次第に、民家どころか、人影、いや人の匂いもしないようなところになってきた。
山深くなっていくにつれて、道も狭くなり、さすがに不安になってきた。隣の銅像のような男もなにも言わないので、引き返そうと思った。そのとき、木枯が呟いた。
「花城さん、着きました。祠はここの脇道を進んだところにあります。車を停めてください。いきましょうか……すこし、歩きますよ」
ん!? どこに脇道があるのだろうと思いながら、ブレーキをかけた。
車が一台しか通ることができないここに、車を停めろと言われても。だが、ほとんど車も通りそうもないので、木枯の指示に従った。
木枯は車から降りると、森の中の道とも言えないようなところを、枝を掻き分けながら、入っていった。ほんとにこんなところを入るのかよと躊躇しながらも、はぐれないように、私もついていく。
獣道を、すでに15分程歩いたのだろうか………
周りは静寂が包み、2人の中年男の枯葉と枝を踏む音だけが響き渡る。日頃の運動不足がたたって息が切れてきた。
ただ、山道をあがるにつれて、空気が澄み渡り、気分は悪くない。子供の頃、夢中になって山の中を探索したことを思い出した。
「着きました。ここです」
なんだ、これは。
木々達が、競い合うように銅色や金色、燃えるような朱色に染まる美しい秋の森が目の前に広がっていた。
森の中に、ぽつかりとした空間が現れる。
秋空から和らいだ夕陽が真っ直ぐ射し込んだ先には、小さな朽ちかけた祠の残骸が佇んでいる。
もともとは石祠だったのだろうが、崩れかけており、控えめな苔が彩りをそえている。
神社のような立派な社があるものと勝手に想像していた。長年誰からも気づかれなかったうちに廃れたその姿は、どこか寂しさを感じる。
「ほんとに、ここが『庄の国の祠』なのでしょうか。とてもそうは見えませんが。ここを掘ったら、本当に遺跡とかが出てくるのでしょうか? 」
「わかりません。少なくとも、私の従兄弟の楪葉は、古文書を研究した結果、そうだと言ってます。財団のなかでは、本格的な発掘調査をして、新たな社を建立すべきだという意見もあります」
「木枯さんは、どう思われますか? 」
「わかりません。それが事実であろうが、偽りだろうが、私にはそこまでの知識も知りたい気持ちもありません。そもそも、私は争いごとが嫌いで、苦手です。楪葉が言う通り、庄の国というものがあって、平和を愛し、自らが武器を棄てたのならば、素晴らしいことだと思いますが……」
そういって、木枯は石碑の上に覆いかぶさっている枯葉を落とした。
「そうですか。木枯さんは、優しい方ですね。でも、私は疑問に思うのです。庄の民は、武器を全て捨ててしまったことは、正しかったのでしょうか。そのせいで、すべてを失い、身を潜めて生きる羽目になった。いまの世の中も同じようなものです。さすがにこの国での殺し合いは無くなりましたが、会社の中では、自分の保身のために、人を社会的に殺してしまう。結局はそれが人間なのでしょう」
木枯は、背中の奥で静かに聞いている。
「私には、これはという武器はないんですよね。戦う勇気もなければ、資格も特技もない。ただ、そこら辺を転がっている小石ですよ。だから、いまの会社であっさりと抹殺されて飛ばされました。その点では、木枯さんには公認会計士という社会的地位をお持ちだ。ほんと、羨ましい限りです」
「そんなことはありません。私は昔から計算が好きだっただけです。資格をとって、会計事務所に入社しましたが、周りとうまくいかず、逃げ出してしまいました。独立して事務所を開こうにも、客がいないと成り立たない商売です。私にとっては、人と接することは苦痛にしか過ぎません。なんの武器でもありません」
「そうなんですか。。」
リュックから取り出した雑巾のようなもので、崩れかけの石祠を丁寧に拭く木枯に、少しずつ興味をもった。
「会計事務所をクビになり、拾ってくれたのが、この財団法人であり、赤海理事長なんです。それで、経理の仕事とか雑用とか。その関係で、ここにもよく来るんです。ここは、田舎で何もないところですが、この土地が結構好きなんですよ。花城さんは、どうしてこの地へいらしたのですか? やっぱり、この前の幹部会のことがあったからですか? 」
木枯は視線を落とした。
「どうしてですかね。私にも、さっぱりわからないのです。正直いうと、あなたら、財団法人も庄の国も信用していないんです。私は、ご存知のとおり、仕事も家族も全て失いました。この世の終わりというものを知りました。どうしてかわからないのですが、ここに向かっていたのです。やっぱり、生まれた土地に帰りたかったのでしょうかね」
私は、自分でも思ってもない事を言った気恥ずかしさを隠すように微笑んだ。
「息子さんの遺伝子解析結果の話は聞きました。ほんと、なんて言ったらいいのか………」
木枯は、触れてはいけないものを言って悔いている。
「そもそも家族って、親子ってなんなんでしょうね。同じ屋根の下で住んで、昼間は別々に過ごし、ご飯を食べて、毎日同じことの繰り返し。知らないうちに子供は成長する。でも、それが家族だと思っていました。そこには、血の繋がりが当たり前にあるのだからと。子供が生まれて、自分の子かどうかを疑う方がおかしい。それが、いきなり………科学的に正しいと言われるもので、あんたらは親子ではないと言われて………遺伝子検査なんてやらなきゃよかった……。真実なんか知らなきゃ良かった」
また、感情が溢れ出てきた。何度、この感情を味わったことか。木枯の前で涙は流したくない。だが、誰にも相談できずに、溜め込んできた気持ちをこのように言葉にしたのは初めてかもしれない。
「私には家族がいないのでわかりません。すみません。わかりません……」
木枯はそういうと話さなくなった。時間を確認しようとポケットをさぐるが、スマホがなかった。
陽がだいぶ落ちてきて、秋風も冷え、薄暗くなってきた。陽が落ちるのも急に早くなってきた。早く戻らないと、遭難してしまいそうなので、戻ることにした。
「木枯さん! 幹部会の前に、私は一度あなたにお会いしたことがあるんですよ………」
息を切らしながら、先を行く木枯に言葉をぶつけた。
「えっ、どこでですか?」
「東京の電車のなかです。覚えていらっしゃいますかね。若い人に絡まれてましたよ」
「えっ、あの時いらしたんですか? お恥ずかしい限りです。そうそう。ホームで私が暴れてしまって、ホームの誰かが緊急停止ボタンを押したやつですね。見られていたとは………。悪いことはできませんね」
自分は争いごとは嫌いだと言ってたくせに……。見た目によらず、切れたら怖いタイプなんだと思った。
ただ、張り詰めていた緊張の糸が少し緩んだような気がした。この人とは、遠い昔に繋がっていた仲間だったのだと。
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