第17話 人生には自分なりの物差しが必要なのだと思う Part1
・仕事や家事に対してやる気が出ない日が続いている
・憂鬱感を感じる日が多い
・休日を心から楽しめない
うつの兆候として、このような項目が挙げられることが少なくないように思う。
そして、実際にこれらの項目に当てはまる状況にありながら、「やる気が出ない日が続いているからちょっと会社を休もう/転職しよう」「憂鬱感を感じる日が多いからちょっと病院に行ってみよう」と思える人はほとんどいないのではないかとも思う。
「でも、きっと他の人も同じように感じながら仕事や家事を頑張っているわけだし…」
「このくらいで根を上げていたら、会社に(上司に)認めてもらえない」
実際には、こんな風に思ってしまう人が大半なのではないだろうか?
少なくとも、私はそうだ。明らかに精神的に参っている。眠れない日々が続いている。胃の調子も悪い。休みの日も仕事のことが頭を過ってしまう。毎週日曜日の16:00からは本当に憂鬱な時間が続く…。
でも、頭の中では「他の人たちもそういった状況を抱えながら生きているのだ」という考えばかりが右から左へと流れていく。そして、「そんなことを言い訳にして休んではダメなのだ」「そんな理由で転職をしても結局はうまくいかないのだ」と。
ちょうど先々週末だっただろうか、「私はHSP”かもしれない”」と思うようになってから間もなく、私自身のなかにあるこのような考えを妻に話した。すると妻は、事もなげに私に対してこんな内容の言葉をかけた。
「他人は他人。自分は自分。自分自身が辛いとか苦しいって思っている事実に目を向けるべき。他の人のことは関係ないよ」
妻の言葉に、私は随分と気が楽になった気がした。と同時に、至極当たり前のことを諭されたような気がして少し気恥ずかしかった。
(そうだ。辛いと感じていることは間違いない。十分な睡眠をとれない日々が続いていることも事実だ。そのせいで、仕事のパフォーマンスも落ちている気がするし、イライラしたり落ち込んだり、頭の回転が遅くなっていると感じたりすることが多くなっている…)
さらに、妻はこんな言葉を付け加えた。
「それに、仮にあなたと同じ状況にあったとしても、皆が皆、あなたと同じように辛いと感じるわけじゃないと思う。きっと、特に何も感じずに仕事を忘れて休日を楽しめる人もいるはず。つまりは、皆が皆、その出来事に対してあなたと同じようにストレスを抱えてしまうわけではないし、それに耐えているわけではないってこと」
妻の言葉に気付かされた。私は、ある意味で随分と自己中心的に物事を見ていたのだということを。無意識的に、皆が(全員ではないにしても、大多数が)私と同じように物事を捉え、同じような感情を抱くのだと思い込んでいたのだ。そして、自分と同じように物事を捉え、同じような感情を抱いているのにも関わらず、皆それに耐えながら生きているのだと…。
もちろん、一面としてそれは正しいと思う。何の苦労もない順風満帆な人生というのは存在しない。皆、何かしらの苦労あるいはストレスを抱えている。
ただ、至極個別的な事象だけを見たときに、同じバックボーン、同じ状況下において、誰かに何かを言われた場合、それについて特に何も感じない人もいれば、強いストレスを感じる人もいる。そして、この差は異なる場面においても同様に働くことが多いと思われる。つまり、特に何も感じない人はいつもそうだし、逆に強いストレスを感じる人はいつも様々なストレスに辟易しているという具合だ。
そして、長い人生においてこのような差が積み重なれば、それは両者に間に大きな差を生み出すことになることは容易に想像できる。
では、仮にHSPである人が非HSPである人よりも様々な事象に敏感であるという前提に立って、特に何も感じない人を非HSPである人、強いストレスを感じる人をHSPである人として考えるとどうだろうか? 非HSPである人よりも、HSPである人のほうが日々あるいは人生において大きなストレスを抱えることになることは容易に想像できる。
にもかかわらず、HSPである人が、非HSPである人と同じように振る舞い、同じように”頑張る”ことで、どうして健康で文化的な最低限度の生活を送ることができると言えようか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます