第15話 マジョリティのフリをしてきた私もまたマイノリティだった

これはまだ、自分自身でも未だ消化しきれていない思考あるいは感覚で、言語化して自分の外の世界に向けて発信するにはまだ時期尚早かもしれないと感じている。しかしながら、ある意味で自分自身に対する長期的な問題提起というか、常にそれに思考を巡らせることを強いるわけではないにしても、常に頭の片隅に置いておいたほうが良いものだと感じている事柄に関する備忘録として一先ず書き留めておきたいと思う。


不眠に悩んでいた私は期せずしてHSPという存在を知り、自分自身がHSP”かもしれない”と認識するに至った。そして、様々なWebサイトを閲覧したところ、5人に1人、つまり全体の20%程度はHSPに該当するらしいということがわかった。


個人的には、5人に1人と聞いた時には「同じような人が結構いるんだな」と感じた。一方で、全体の20%ということは、HSPに該当する人は社会全体からみるとマイノリティだと見ることもできる。


つまり、(未だに自分自身がHSPなのかどうか判然としないが、仮にHSPだとして)、HSPか非HSPかという観点から見ると私はマイノリティということになる。


首都圏に生まれ、四年制大学を卒業し、会社員として働き、女性と結婚して、夫婦生活を営んでいる。


私はこれまで、無意識的に自分自身をマジョリティだと捉えてきた。いや、マジョリティであるように自らをコントロールしてきたと言ったほうが適切かもしれない。しかし、HSP”かもしれない”と認識し、それが全体の20%の割合でしか存在していないらしいことを知ったとき、私は自分自身がマイノリティであることを自覚した。しかも、このエッセイで幾度か述べているようにHSPは生来の気質によると考えられているらしい。ということは、私は生まれながらにしてマイノリティということになる。



自分がHSP"かもしれない"ということ。


そして、

自分がマイノリティ”かもしれない”ということ。



そんな漠然とした感覚を自覚してからかどうかはわからない。しかし、少なくともHSP”かもしれない”と思うようになってからは、私のなかで少しばかり世の中の見方が変わったような気がする。ゲイやレズビアンといったセキュシャルマイノリティである人々や、発達障害やうつなどと闘っている人々。そういった人々をテレビやネットで目にした時に自分のなかに湧き上がる感覚や感情といった類のものが少し変わったように思う。少なくとも今の私には、それをうまく言語化することはできない。だが、何かが変わったのは間違いない。


ただ、私のなかで1つはっきりと言語化できることがあるとすれば、無意識的にではあるかもしれないが、私はこれまであくまでもマジョリティとしての立場からそういった人々のことを捉えてきたということだ。それは、あくまでもマジョリティを構成する一員として、一般にマイノリティとされている人々のことを理解し受け入れていこうという社会的な流れのなかで、マジョリティである私自身もそれに同調していこうというような。


しかし、HSP”かもしれない”と自覚してからは、同じマイノリティとして、いや、それぞれの人間として、そういった人々のことを捉えられるように”なりつつある”ように感じる。あくまでも、”なりつつある”という段階で、まだ自分のなかではうまく消化してしきれていないのだけれど。


Netflixで配信されているアメリカの政治ドラマに、「サバイバー:宿命の大統領(英題:Designated Survivor)というものがある。


※もし、読者のなかで今まさにサバイバーを視聴しているという方がいれば、この先には同ドラマのネタバレ的な要素が含まれているのでお読みにならないことを勧める


「24」シリーズでお馴染みのキーファー・サザーランドが、思わぬ出来事から合衆国大統領に就任することになった主人公であるトム・カークマンを演じている。


そして、ドラマのなかで性転換手術をした元男である義妹が登場する。劇中、義妹の存在を公にしていなかったことがスキャンダルになりかけた時、義妹は久々に対面したカークマン大統領に対して穏やかに、しかし毅然と「政治利用されることは望まない」と語ったうえで、「私のことを本当に受け入れているのか」と問いかけた。それに対して、カークマン大統領は少し間を置いて次のように答えた。


「受け入れている。しかし、それは理性的に受け入れているに過ぎないのかもしれない。感情のどこかでは、まだ受け入れられていないところがあるのかもしれない。本当のところは、今もまだ、努力して受け入れようとしている最中だ」といった内容で語りかけた。


(あくまでも一度観ただけの記憶をたよりに書いているので、日本語訳やニュアンスにはだいぶ誤りがあるかもしれない…)


私も、今まさにそんな状況にあるのかもしれないと感じている。自分以外のマイノリティとされている人々に対してはもちろん、HSP”かもしれない"自分自身に対しても…。


正直、HSP”かもしれない”自分というものを受け止めきれていない。まさにカークマン大統領が口にしたように、「努力して受け入れようとしている最中」といった表現が適切なように感じられる。

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