第7話 ドッキリとドキュメンタリーが苦手

今までなぜそうするのか、なぜそういった感情が芽生えるのか自分でもわからなかったが、HSPという存在を認知してから、それが自分が持っている生来の気質によるのではないかと感じるようになったことがいくつかある。


たとえば、私は自分でもちょっとおかしいのではないかと思うくらいにドッキリ系の番組が嫌いだ。だから、ほとんど観ることはない。なぜだかわからないが、昔から非常に苦手だった。


誰かを喜ばせるような番組であればまだだいぶマシだ。たとえば、自分の憧れの人が突然目の前に現れたりとか、そういった類のものだ。


苦手なのは、ドッキリのターゲットになった人に対してマイナスの感情を抱かせるようなヤツだ。


・旦那に離婚を突きつけてどんな反応をするのかを観察する

・大切にしていたものの精巧なレプリカを目の前で破壊する

・後輩芸人の目の前で先輩芸人どうしが大げんかをする


たとえば、こういった類のドッキリ系番組だ。こういった番組はまず見ることはない。仮に夕食どきに妻がそのような番組を見ていたとしたら、別のチャンネルに変えてほしい旨をやんわりと伝えることが多い。


モニタリングや水曜日のダウンタウンの特定の企画が該当するように思う。誤解のないように付け加えておくと、番組の内容がどうこうという話ではない。あくまでも個人的に苦手であり、チャンネルを変えたくなってしまうことが多いという話だ。


そういえば、確か梨木香歩がいずれかの著書の中で、主人公に語らせる形でこのようなドッキリ系の番組について語っていた気がする。確か、その主人公は「ドッキリというのは、人間が人間を実験するような気がして嫌いだ」と言っていたような気がする。そして、その部分に妙に共感したことを覚えている。本当に、ドッキリというのは人間が人間を観察しているようで気色の悪さを感じるな、と思った。



ドッキリ系番組だけではなく、内容によりけりではあるがドキュメンタリー番組も苦手である。特に、貧困や、家庭内の不和などを扱ったようなドキュメンタリーは苦手だ。その舞台が日本の場合にはなおさらだ。より身近なものに感じられてしまうからだろうか。


そう言った意味で、特にフジテレビのザ・ノンフィクションは最も苦手な部類の番組と言えるかもしれない。また、時々放送されている大家族系の番組も苦手だ。兄弟喧嘩、夫婦間の離婚危機、連れ子との不和などなど。こういった類の番組を見ると、なんとも言えない気持ちになってしまう。妙に感情移入してしまうせいだろうか。



そして、HSPという存在を認知した今、ドッキリ系番組やドキュメンタリー番組が苦手であるということも、その生来の気質に由来しているのではないかと感じている。どうにも、画面の向こう側で起こっていることを自分ごと化してしまいすぎるような傾向があるようだ。

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