Data.35 弓おじさん、南へ
「うん、何事もなく着いてしまったな」
案の定新要素に遭遇することなく、俺は南の港町トナミに到着した。
青い空と青い海が水平線で交わる。
風の質感が初期街や風雲山とも違う。潮風だ。
気温は少し高いかな。
このゲームは地域ごとに自然環境などがガラッと変わる。
暑い場所もあれば寒い場所もある。
きっと火山マップとか雪山マップとかもあるのだろう。
だが今は海だ。
初めてくる街でやることはたくさんあるが、とりあえず海を近くで見よう。
白い砂浜が俺を呼んでいる……はずだったのだが。
「な、なんだこれは……!」
白い砂浜の上に、無数のプレイヤーが打ち上げられている……!
寝ころんで日焼けをしているわけではない。
びしょ濡れでぐったりして倒れこんでいる。
この謎は本人たちに尋ねるのが手っ取り早いな。
砂浜に降りて今まさにぐったりから立ち直った人に話しかける。
青年プレイヤーは俺の顔を見て驚いたものの、快く話を聞いてくれた。
「いったいこれは……どうなってるんですか?」
何を聞いていいのかわからず語彙力が消滅する。
青年は『わかりますよ、その気持ち』とでも言いたげな笑みを浮かべた後、一言だけ俺に助言した。
「海に入ってみてください。そして、行けるとこまで行ってみてください。それですべての答えがわかりますよ……!」
彼はそれだけ言い残して行ってしまった。
うーん、すごく嫌な予感がするが、ああまで言われると他の人に答えを聞きに行くのは情けないような気持ちになる。
海……か。
リアルではもちろん行ったことがある。
片手で数えられるほどだが……。
しかし、泳ぎは問題ない。
一時期健康のためにプールに通っていたこともある。
あまり続かなかったけど……。
ま、まあ、海とか水への恐怖心がないのは確かだ。
深いところとか大きい魚は怖いけど、これはゲームだし立ち向かうための武器だってある。
言われたとおりに入ってみるか。
砂浜から歩いて海へと入っていく。
肩までスッポリ水に入ったところで、意を決して潜る。
ちゃんと海の仕様は調べてある。
このゲームは海の中でも息ができるはずだ。
流石に窒息の感覚まで再現したら大問題になりそうだからな……。
でも、リアルではありえないこと故に、体は息を精いっぱい止めようとする。
「落ち着け……喋ってみるんだ……」
口を開いても、口の中に海水が入ってくる感覚はない。
ここまでくると体も問題ないと認識する。
重いダイビング装備を背負う必要もない、夢の海中散歩の始まりだ。
「そういえば、酸素ゲージとかもないんだな」
VRゲームの水中の仕様は『呼吸は出来るが制限時間付き』というのが主流と聞いていたが、NSOでは無制限に動き回れるようだ。
ただし、水の抵抗はしっかりあるので地上よりも移動が疲れる……。
浅瀬には綺麗な魚が躍るだけで、モンスターがいないことが救いだな。
さて、あの青年は行けるとこまで行けと言っていたが、それは沖の方へ向かえということで良いのだろうか?
俺としても綺麗な海の景色を見て回りたいし、光の届かないほど深いところでなければぜひ行ってみたい。
キャラの体は浮力が弱いのか上へと引っ張られることもない。
沖に向かって坂道のように沈んでいく海底を歩けば、簡単に前に進める。
俺は軽い気持ちで沖へと歩き始めた。
まだ周りには泳いで遊んでいるプレイヤーが見える。
みんなリアルではありえない海を楽しんでいるのだろう。
ソロプレイヤーの本能か、少し人気のないところに進んでみる。
まあまあ水面が遠く感じる深さに来たところで……遭遇した。
初の海中モンスターと……!
「なるほど……これはイジワルして海に行かせたくなるわけだ……!」
出会った敵はウツボ型モンスターだ。
海底の大きな岩の隙間からニョロリと姿を現した時、完全に気を抜いていた俺は叫んでしまった。
でも、魚は虫と違って苦手じゃない。
驚いただけですぐに弓を構え、攻撃を開始した。
そして、すぐに『違い』に気づいた。
いつものように弓の小気味よい『キリリ……』という音もしなければ、『シュッ!』と矢が勢いよく飛んでいく音もしない。
水中だからだ……!
まったく矢が飛ばないわけではない。
ただ、威力は減衰し、射程も酷く短くなる。
それはきっと他の武器も同じだ。
剣は簡単に振り回せなくなるし、魔法だって水属性以外はどうなることやら……。
「裂空!」
風を追い越し、雲を切り裂く、超高速の矢とて例外ではないが、他のスキルよりは威力も射程も減衰していない。
おそらく風の抵抗を減らすような矢の形をしているから、水の抵抗も減るのだろう。
しかしながら、これで浜辺に打ち上がった無数のプレイヤーの謎が解けた。
みんな調子に乗って海の深いところまで行って魚モンスターたちにキルされたんだ。
海の中でキルされると、あの浜辺にリスポーンする。
あの中に混じるのは……ちょっとごめんだな。
今のままでは海の中で戦えないことは十分わかったし、海の藻屑となる前に撤退しよう。
きっと海の中で戦う手段は港町に隠されているはずだ。
「風雲一陣!」
海の中で風を起こすと、たくさんの泡が発生した。
やはり風も雲も海の中では十分な力を発揮できないか……。
だが、目的には事足りる。
「舞風!」
泡々を袴で受け止めて水面へと浮上する。
水面に出たら【ワープアロー】を砂浜に撃ち込んで街に帰還だ。
イベント中は使えなかったうえ奥義にされてしまったが、やはり便利すぎる。
ゴ……ゴゴゴォ……!
急に潮の流れが速くなる。
もうちょっとで水面に出られるというところで、俺は海流に巻き込まれ海の中に引き戻された。
これは『スクランブル』の予兆か?
確かに出会うことを望んでいたが、海中はマズイ。
『スクランブル』は別に強制じゃないし、逃げてもいい。
ここは逃げ一択……。
いや、『スクランブル』ではない。
間違いなく『緊急事態』ではあるが、こちらに向かってきたのは……。
「龍だ……!」
竜、じゃなく龍!
西洋風ではなく中華風だ。
にょろりと長い体をくねらせて海の中を我が物顔で進むその姿は、空を悠然と飛ぶ風雲竜を想起させる。
こいつはおそらく風雲竜と同格かそれ以上だ……!
海の中では絶対に勝てない。
逃げようともがく俺を龍はキッとにらみつけ、口から激しい『潮流のブレス』を放った。
こいつの場合は、風雲竜みたいにこちらから攻撃するまで見逃してはくれないんだな……。
そもそも風雲竜よりも荒々しいオーラを纏っている。
あの時と違って、万に一つも勝てそうな気配がない。
ドラゴンとは……何なのだろうか?
個体によって差があるのか?
俺はなすすべもなくブレスに巻き込まれ、視界は闇に包まれた。
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