第15話 アンジュ=サットンの冒険②
「痛い…」
ビタンっという音が私の耳に届いて、膝が熱くなった。急いで起き上がって膝を見る。赤い染みが彼の服を染めていく。ズキズキと痛む膝の周りを抑えると余計に染みが広がった。流れそうになる涙を意地で食い止める。この状況は自分が作り出したから。彼の言いつけを守らず安易に外へ出た。知らない場所しかないのに。
グッと唇を噛み締めて歩いていくと目の前に大きな階段が現れた。そこに引き寄せられるかのように近づいていく。足から伝わる痛みを我慢して階段を一段ずつ上ると視界が開けて赤い大きな二本の柱が現れた。二本の柱はまっすぐ上に伸びていて、上で横向きの柱と交わっている。
「こんなものどうやって作るのかしら…」
その構造物に目を奪われる。中には見慣れない建物があってその建物の前には数段の段差がある。フラフラとそこに近寄って行って私は段差に座り込んだ。柱を見つめながら今更自分の間抜けさを後悔する。何度も後悔したはずなのに。この間抜けさの所為で両親と離れてしまうことになって、知らない世界に来てしまって、そこで知らない私の面倒を見てくれている彼に迷惑をかけている。
「また一人になるのかしら…」
彼が探しに来てくれるはずがない。今頃面倒な女がいなくなったと済々しているかもしれない。
「お父様…お母様…」
彼がいてくれたおかげで和らいでいた孤独さがぶり返してくる。父と母に会いたい。
…神田に会いたい。
来てくれるはずないのに。何度も思ってしまう。数日間奇妙な女に優しかった彼の姿を思い出す。
神田に会いたい。
神田に会いたい。
「神田に会いたいわ…」
思わずそう呟いてしまった時だった。
「居た…っ」
少し息切れ気味の声が響いた。聞き覚えのある声。聞きたかった声。
「神田…!!」
ずっと目を背けていた心細さが弾け飛んだ。涙で少し離れた場所にいる彼の姿が歪む。
「お…っ前な…」
彼に向かって駆け出す。近づくと、走ってきたのか彼の額には汗が滲んでいるのが分かった。あふれ出した感情のままに彼の胸に飛び込む。
「なっ…!」
「ごめんなさい…」
一瞬、身を後ろに下がりかけた彼が止まる。
「はぁ…」
大きなため息が上から聞こえて、謝るくらいならするなよ…と弱弱しい声が聞こえた。私の涙で顔をうずめているシャツが湿っていく。
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」
涙が止まらない。彼の言いつけを自分勝手に破った私を彼が探しに来てくれるとは思っていなかった。嗚咽を漏らしながら謝り続ける私の背中へ遠慮がちな彼の手が添えられた。それは上下しながら私に優しい熱を移してくれる。その熱を感じて、涙が一層勢いを増して溢れ続ける。彼の手が少し父の手に似ているような気がした。いつも私がどこにいても見つけ出してくれたあの手に。
「生きた心地がしなかった…」
階段に隣り合って座ると彼は静かにそう言って膝に頭を付ける。散々泣いた所為でうまく開けることができない目でそんな彼を捉える。涙が伝った部分を風が撫でる。そんなに心配してくれているとは思わなかった。彼は少し頭を上げてスッと目を細めて私を見る。
「勘違いすんなよ。死なれでもしたら、後味悪すぎるからな」
俺の精神衛生上よくないからだ、と続けて彼はまた顔を膝にうずめた。
「ごめんなさい…」
今日何度目か分からない謝罪を繰り返す。
「見つかったからもういい…」
膝に顔をうずめているせいで少しくぐもった声が聞こえる。彼の顔が見たい、そんな我儘なことを思ってしまう。言葉に出せば怒られてしまうこと必至なので何とか彼の顔を見ようと静かに覗き込む。当たり前だが見えない。そんな罰当たりなことを試みていると彼がガバッと顔を上げた。
「かっ…何してんだよっ⁉」
怒られた。思っていたより近い距離に自分でも戸惑う。顔に熱がこもって自分が赤くなっていくのが分かる。そんな私を見て彼も顔を更に赤くする。
「しっかり反省しろっ!!」
怒鳴ってから彼は立ち上がった。そんな彼を見上げると“何してんだよ”と赤い顔のまま訝しげな表情をする。
「帰らないのか?」
「か、帰る」
立ち上がると春の強い風が吹いて私の髪が舞い上がった。
「手を握ってもいいかしら…」
「お前反省してんのか?」
消えそうな私の声がしっかり聞こえたらしい彼は赤い顔をしながらも少し怒っているみたいだ。
「言ってみただけよ…」
そんな彼を見て少し狼狽えた私は慌てて自分の言動を撤回する。
「はぁ…」
もう何度と聞いたため息を吐いた彼は勢いに任せて私の手を握る。
「今日だけだからな!!」
そんな彼の横顔は耳まで真っ赤になっている。
「あそこは神社だ」
帰りながら彼は私がいた所がどういう場所か教えてくれた。
「お前の世界でいう教会みたいな場所かもな」
そういった彼は手を繋いでから全く私の方を見てくれない。しかし、ずっと私の真横にいてくれるのを見ると歩幅を合わせてくれているみたいだ。
「週末は休みだから、その時準備をしてあそこに連れて行ってやる、何かわかるかもしれない」
ちゃんと考えてやってたのにと彼はぶつぶつと呟く。
「ふふっ」
思わず笑みがこぼれる。繋いだ手に力を籠めると赤い顔の彼が冷めた視線を寄越す。しかし、赤い顔の所為で全く怖くない。それどころかこちらを見てくれたことで口角は上がっていくばかりだ。そんな私の様子に諦めたような表情をして彼も少し笑った。
帰ると一番に汚いと言って、彼は私をシャワールームに放り込んだ。擦りむいた膝に石鹸が染みるのを感じながらシャワーを浴びる。その後は少し乱雑な手当てに耐えた。痛いと不満をぶつけて自業自得だと彼に睨まれた。おまけに手当てが終わった後貼った絆創膏の上を叩かれたせいで少し涙が目に浮かんだ。そんな私を見て満足そうに彼は笑った。彼の隣に座ってテレビを見ようとしたけれどすぐにうとうとし始めてしまう。まだ一緒にいると言った私は顔を赤くした彼に早く寝ろと怒られた。少し拗ねながらベッドに入り込むとすぐに耐えがたい睡魔に襲われ、私は眠りについた。
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