第13話 アンジュ=サットンの夢②


「わぁ!」


開くといくつもの幼い彼の顔が並んでいる。泣いている彼、笑っている彼、大人の女性と頬をくっつけて幸せそうな彼。かっちりとしたスーツに身を包んだ男性と先ほどの女性の間に立って男性と同様にスーツを着て緊張している表情を浮かべる彼。私はアルバムの中の彼を追っていくことに夢中になった。


だから。


扉が開く音にも気が付かなかった。彼の姿を堪能しながらページをめくる。しかし、数ページめくった時点で写真はぱったりと途切れた。白いパージが続く。不思議に思って、もう一ページめくった時だった。


「おい、何してんだよ」


めくったページを見る前に彼の不機嫌そうな声が聞こえた。


「きゃあ!!」


アルバムに集中していた私は突然聞こえた彼の声に悲鳴を上げた。心臓がバクバクと鼓動する。


「きゃあって言いたいのはこっちだよ。断りもなく人の部屋に入るなよ…」


そう呆れる彼は私の手元を見る。そして、止まった。


「…」

「…」

「…」


き、気まずい…


誰だって勝手にアルバムを見られてしまうなんて気分のいいものではないだろう。本当は彼のアルバムであることを確認できればそれで良かった筈なのに思ったより集中してしまった。


「…」


相変らず無言を貫く彼。どうしよう。とてつもなく怒らせてしまったのかもしれない。これならわぁわぁ叫ばれた方がまだましである。


「ち、小さい時のあなたってかわいい顔していたのね!」


そのセリフにあの赤い顔を見せて“何言ってんだよ!”とか“ばっ!…馬鹿じゃねぇの⁉”とか叫んでくれることを祈る。


「…」


しかし、彼は黙ったままアルバムを見つめるだけだった。


「こ、これに載っている人はあなたのご両親?」


焦った私がそれに触れた時、彼はようやくこちらを見た。状況が好転したとは言い難い目で。何も見えていない。何も聞こえていない。何も感じていない。そんな目だった。


「ね、ねぇ」


そんな目に居心地が悪くなって立ち上がり彼に問いかける。足の上に置いていたアルバムがばさりと落ちる。


「あ、あぁ」


その音でようやく我に返ったらしい彼が私を見て、頷いた。


「もういいだろ」


彼は何となく弱弱しい声を出したように思えたが、アルバムを拾って元の場所に戻し、こちらに向き直るころには彼らしい顔で


…怒っていた。


「大体なんで勝手に部屋に入るんだよ。リビングでじっとしてられないのかよ?ガキか?」


すっかり調子を取り戻した彼はこちらを馬鹿にしたような表情で見る。


「起こしてもいびきかき続けやがって。緊張感ってものがまるでないな?昨日出会ったばかりの男の家でぐうぐう寝られるとか本当に女か?」


自分の非を認めている私は甘んじてお叱りを受け入れる。


「はぁ…もうしょうがないよな…お前は幼児だったもんな…?もういいからリビングに戻れ。着替えたいんだよ」


受け入れる…受け入れる…受け入れる…


「おい」


受け入れる…受け入れる…受け入れる…


「だから着替える…」


受け入れる…受け入れる…受け入れる…


「いつまでいるつもりだよ!!着替えるって言ってるんだからリビングに行け!!」


いきなり声を荒げる彼に驚きはしたが、あの赤い顔を見てこれ以上ないほどにホッとした。







「おーまーえーなぁ?」


着替えてリビングに入ってきてもまだ彼は怒っていた。


「わざわざ用意して行ったものなんで食べてないんだよ⁉」


怒っている理由は別にあるみたいだが。


「一口だけでやめるとか嫌がらせか?」


机の上には一口だけかじられたパンと手の付けられていないお茶。これの事ももうすっかり忘れていた。だって冷たくて…と口の中でもごもご呟くと彼は深いため息を一度ついて私を部屋の奥へと呼んだ。

リビングからカウンターを挟んだ向こう側はキッチンだった。流しの横には三口のガスコンロがあり、その反対側には食器のおかれた棚がある。彼はその棚に置いてある大きな箱にパンを入れた。


「これは電子レンジだ。食べ物を温める時に使う。お前が温めたいときはこのボタンを押せ」


そう言って彼はオレンジ色のボタンを指さす。

その後、私が了解したのを確認すると、いろんなボタンを何回か押して、最後にあのオレンジ色のボタンを押した。


「そういえば今日お母様の夢を見たの」


目の前のサイドテーブルにあの箱で本当に温まったパンを置きソファーに座った後、隣の彼に話しかける。彼はなにやら机で食べろと怒っているが、一人で食べるのが嫌でそんな彼の事を無視する。


「夢の通り本当に母が泣いていたらどうしよう…」


思わずそう呟くと寂しさがぶり返してくる。


「お前の母親ってお前に似てんの…?」


そんな私を知ってか知らずか彼はテレビから目を背けず私に聞く。一瞬考えこんで


「似て…ないわね…お母様は私なんかと比べようもないほど素晴らしい人だもの」


私の答えを聞いて、彼はフッと鼻で笑う。一瞬馬鹿にされたかと思ったが大丈夫だろと言った彼の声を聞いてそうではないことを悟る。


「お前ビービー泣いてばかりだし」


馬鹿にされていない…?もう一度鼻で笑った彼を見て今しがた自分の出した答えに疑問を抱く。馬鹿にしてるでしょ?という言葉とともに彼に掴みかかることにする。


「お前の母親は凄いんだな」


しかし、そのあとすぐに発せられた言葉に私の試みは阻害された。


「そうよ!」


そう答えた私は、彼が私の母を褒めてくれたことがうれしくて満面の笑みを浮かべていたと思う。


「お父様もすごいのよ!」



だから思わず聞かれてもいないのに父の事までべらべらと喋った。


自分の両親がいかに素晴らしくて優しいか。いかに私を愛しているかを。


パンを食べながら話す私はその間テレビを見つめる彼があの何も見えず、何も聞こえず、何も感じていない表情を浮かべていることに気付いていなかった。




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