第8話 アンジュ=サットンの長かった一日①

「見てないわよね⁉」

「み、て、ね、え、よ!!」


なんで俺がと呟く彼の恨めしそうな視線を感じつつも、私は着替えを進める。いや、正確にはそんな視線を感じる事は出来ない。なぜなら今彼の目元は彼の私物のタオルで覆われているからだ。私の要求に素晴らしい勢いで無理、無理と首を振った彼と私は再び腕の引き合いをすることになった。しかし先程の私の行いに怯える彼は余裕で私に負けた。目元のタオルはそんな彼が自分からこうさせてほしいと願い出たのだ。私も別に彼に着替えている姿を見て欲しかったわけではないので快くその申し出を受け入れた。

だが、このタオル、予想以上に着替えの妨げになる。彼が不器用すぎるのかもしれないが、ボタンは取れるし、ドレスは少し破れるしで最悪な着替えとなった。取り敢えずドレスを脱ぐことはできたとホッと一息つく私の背中に


“ん、これ何??”


と問いかける声が聞こえるとともに、彼の手がコルセットに触れる。思わずひゃっという変な声が口から漏れる。


「ばっ…お前!!変な声出すな!!」

「こ、コルセットよ!!」


彼が自分から着替えを進めようとするなんて思っていなかった私は彼が突然触れてもいいようにさっさと着替えを終わらすべく、上の服に首を通す。

着てみると尚、その服の着やすさに驚いた。下の服の形は元居た世界の男性が着ているものと変わらないが、ウェストの部分が伸縮するようになっているおかげでベルトがなくても着ることができる。


「お、終わったわ」


という私の声を聞いて、タオルを下げた彼はげっそりとした顔を見せた。


「お前もう二度とこの服着ようとするなよ??」


その言葉に頼まれたって着ませんよと言いながら舌を出す。破けていたりしてもう着られるものではないが、何が帰るための手掛かりになるか分からないのでこのドレスを手放すことはできない。持っていくしかないドレスをたたむ私を見て、私の後ろにいた彼は畳まれたドレスをひったくった。

何すんのよと彼の行動の意図を聞くために振りむくと彼は鞄から薄手の生地で作られた鞄を取り出していた。そこに私のドレスを突っ込んで私にそのかばんを手渡してくる。どうやら私が持ち歩きやすいようにしてくれたらしい。その優しさに免じてドレスがくしゃくしゃに丸め込まれていることには目をつぶることにする。


「じゃあ行くか。」


その声を合図に私たちは扉の外に出る。やっとあの部屋から出ることができた。開放感から瞳を閉じて大きく息を吸い込むと、なんだか思考がクリアになっていく気がした。そして、息を吐き出して目を開けた私の前には、つるりとした素材で作られた道が続いていた。


「わぁ!!凄いわね!!なにこれ!何が敷いてあるの⁉」


道に足をこすりつけて、感触を確かめながら声を上げる私に彼はぎょっとして明らかに私より大きな声で叫んだ。


「おいっ!!お前声が大きいんだよ!!学校から出るまで一言も話すな!!あとその気持ち悪い話し方もやめろ!!」


辺りをきょろきょろと見回す彼は完全に不審者だ。何をそんなに警戒しているのか。


「貴方の方が大きな声を出しているじゃない!」


納得のいかないことで怒られた私はさっきよりさらに大きな声で彼に応戦する。


「ちょっ!分かった!俺が悪かった!それは認めるから静かにしてくれ!!あと俺の事を貴方って呼ぶのはやめろ!神田でいいから!」


まるであばれ牛を制するように手のひらを私に向けて動かす彼の姿に腹が立つ。しかし、彼の慌て方が尋常ではないので私は大人しく黙った。質問を禁じられ手持ち無沙汰になったため、せめてここを出てから学校について色々聞こうとこの建物の中を観察する。道の左側にはこの建物の窓と同じように均等に並んだ部屋があり、中では机に座って何かを学んでいる人や数人で集まって楽しそうに話している人、木の板に絵を描いている人などがいた。おそらくこれが教室だ。学校では複数の生徒が同じ部屋に集まって勉強するとオリビアに聞いたことが有る。


木の板は…黒板か…?


「ねぇ神田…」


怒られないように小さめの声でそれの名前を確認するために彼の名前を呼ぶ。これは質問ではない。確認である。


「…」


しかし、彼からの返事はなかった。急いで教室から視線を前に向ける。彼の姿は私の声が聞こえるはずもないほど遠くにあった。


…あ、ありえない。


普通女性を置いて先に進んでいってしまうものだろうか。大声で叫んで文句を言いたい気持ちを抑え込んで彼に向かって走り始める。彼に借りた靴が床を踏むたびキュッキュという小さな音が鳴らす。何だか走ってばかりのような気がする。


「ちょっと…待って…!!」


やっと彼に追いついて、彼に手を伸ばし服の裾を掴む。


この人、歩くの早すぎない⁉


私が服の裾を掴むことによって進むことができなくなった彼はこちらを振り返る。


「なっ…!」


振りむいた彼の顔はやはり真っ赤。もうそちらの方が正常なんじゃないかと思ってしまう。

しかし、私の息が荒い事に気が付いた彼はバツ悪そうに


“ごめん”


と謝って、私の手を振りほどこうとはしなかった。加えて幾分か歩くスピードを緩めてくれた。やっと外に出られた時には彼はすっかりやつれていた。


バレるかと思った…


と言いながら彼は私の横で項垂れる。一方の私はというと、外に出ることができて、気分爽快である。空気はなんだか煙たいし、見える空は狭いし、ぽつぽつと数本木が立っている以外に植物は見当たらないし、その代わりに嫌に高い建物が並んでいるしで元居た世界の痕跡なんてどこにも見当たらないけれど数日前よりはましな景色に見える。家族に会えない寂しさは募るけれど、その思いを振り払って隣で項垂れ続ける彼に笑顔を向ける。


「じゃあさっそくご飯を食べに行きましょう!」

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