第7話 アンジュ=サットンの現状➁
「離せよ…!!」
と叫ぶ彼と
「い、や、で、す!!」
それに応戦する私。彼の行動は当たり前の事なのかもしれない。私だって同じ状況に陥れば、違う世界から来たなんて言う家無し女とは関わり合いたくないと思うに決まっている。しかし今は私が違う世界から来た家無し女だ。ここで彼の手を放せば、私に明日は来ない。死活問題である。
「俺はお前の話に付き合ってやると言っただけでお前の面倒を見るなんて言ってない…!!」
「それは私の面倒を見るといったも同然です!!」
「全然違うだろ!!」
「それにあの時とは状況が違います!」
「それは俺にとっても同じだ!!」
必死に私と逆方向に体重をかける彼の様子を見て、私にある考えが浮かぶ。…ここで彼の手を離せば彼は倒れてしまうのでは…?これは良いことを思いついてしまった。倒れた彼に乗っかって逃げられないようにした後、説得すればいいのだ。いつもなら絶対にしない事だろう。母がそんな私を見たあかつきには失神してしまう事間違いない。しかしここに母はいない。居ないのだ。また襲ってきた悲しみを振り払うように彼の手を放す。
「うわっ!!」
小さく声を漏らした彼は私の思惑通り体重をかけていた方向へと尻もちをついた。そこに素早く乗って首に手をかける。これで彼に逃げられることはないだろう。やってやったと得意げになる私は多分知らない世界に来てしまった不安で、少しおかしくなっていたのだと思う。母でなくとも、いつもの冷静な私がこの行動を見たとしても卒倒していた。
「私あなたといるしか無いんです!!」
顔の距離、およそ10センチメートル。はしたないとかそういうレベルではない。スカートを破いたせいで露になった太腿で出会ったばかりの男性のお尻を挟み、ノースリーブから伸びる腕を首に沿わせる。
「お願いです!!逃げないでください!!」
しかし、色仕掛けなんて知らない私の顔はいたって真面目である。大袈裟かもしれないが、生死が関わっている。ここで彼に逃げられるわけにはいかない。しばらくして反応のない彼の顔色をうかがう。
「…」
「…」
さっきとは一転して真っ青である。もう気絶する一歩手前位の顔色だ。
「だ、大丈夫ですか!?」
ゆさゆさと肩を振ると彼は、はっと我に返った。そして、今度は顔をこれ以上ないほどに赤く染めげた。
「お、降りろ!!頼む!!降りてくれ!!逃げないし面倒も見てやるから!!」
彼の気迫に押されてさっと彼から飛びのく。私が退くと、彼は心臓を抑えながら、ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返した。…大丈夫かしら…?と思い近寄ろうとする私から彼は同じ間隔が保てるように、後ろへ下がる。
「い、いや!!マジで!!逃げないからこのままの距離でお願いします!!」
叫ぶ彼の声があまりにも大きくて思わず耳を塞ぐ。なおも荒い息を繰り返している彼が落ち着くのを待っていると
ぐぅぅぅぅぅぅ
というくぐもった音が私の耳に届いた。そういや丸二日、何も食べていない。寧ろよくここまで持ち堪えたと思う。思わず彼の方を見ると今の音の衝撃で顔から赤みが引いた彼も私を見ていた。
「ふっ…あははは!!」
数秒私を見つめた後堰を切ったように彼は笑い出した。
「おま…っ…マジかよ…ふふっ…あははは!!」
笑いが止まらないようで息を切らしながら笑う彼を見た私の顔に熱が集中していく。
「当り前じゃない!!ここに来てから何も食べてないのよ!!」
叫ぶ私を見ながら彼は笑い続ける。
「はいはい、かわいそうでちゅねぇ。そんな可哀そうなアンジュに優しい神田様がご飯を奢ってあげようねぇ」
少し離れたところにいる彼はうんうんと頷きながらまたあの嫌味な優しい顔を私に向ける。むかつく…彼に見捨てられるわけにはいかないため湧き上がる苛立ちをどうにか自分の中で抑える。必死に作った笑顔を向けると彼はまたぶはっと吹き出した。頑張れ私…怒ってはいけない…今はまだ…でもとりあえずこんな男に敬語を使う必要はない…お腹を抑えて震える彼に冷たい視線を送る。
「とりあえず…ふっ…その恰好は目立つから…ふふっ…これ着て…っ…」
いまだに笑い続ける彼がこちらに渡してきたのはあの動きやすそうな服だった。
「わぁ!この服貴方も持っていたのね!!」
彼の持つ、つい数十分前に見かけた服に飛びつく。伸縮性のある素材で作られたそれはドレスの様に動きにくいうえに誰かに手伝って貰わないと脱ぎ着できないものと違って、動きやすく、着脱の際にも容易になるような作りだった。
「これなら被るだけで着られるわね!!」
後ろを見たり、ひっくり返したりする私を見て彼はお前やっぱりどこか別のところから来たんだなと少し哀れんだ眼を私に向ける。そんな目をしないでほしい。悲観的になりそうな自分から目をそらして必死に奮い立たせているのだから。
「あなたがここにいると着替えることができないのだけれど」
そんな彼の視線を見たくない私は彼に退出を促す。はいはい、と私の愛嬌のない言葉に二回頷いて入口の方へ向かっていく。彼が完全に後ろを向いたことを確認して着替えを始めようとする。そこでハタと気付く。…ドレスのボタン…自分では外せないんじゃないかしら…どんどん入り口に向かう彼の背中を見つめながら必死にボタンへ向かって手を伸ばす。…無、無理だわ。届くわけがない。仮に届いたとしても後ろ手で外すなんて器用な真似私にはできない。
「ね、ねぇ」
恐る恐る彼に声をかける。
「ん?」
と彼が歩みを止めることなく返事をする。
「着替えるのを手伝って欲しいのよ…」
と私が彼に伝える。彼は数秒止まった後、最早、見慣れたものとなった赤い顔をこちらに向けた。
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