第5話 アンジュ=サットンの希望②

こんなに腹の立つ優しそうな顔をされたのは初めてである。優しそうなのに、その表情に神経を逆撫でられる。病院??私は病気などにはなっていない。こんな状況なのにもかかわらずよく正気を保てていると自分を褒めてやりたい位だ。そう、だからこんな表情をされる謂われは無い。怒りに震える私に彼は表情を崩すことなく畳みかける。


「お前もう高校生だろ??いい加減現実見ろよ…そりゃあ現実は嫌なことばかりだけれど目を背けたままじゃ始まらないんだよ…?アンジュ=サットン?タレントにも自分に外国風の名前つける人いるけど日本人だろ?本名は安易に佐藤アンジュとかか?あと、学校にそんなドレス着てくるからハブられて一人でこんな人気のないところで昼休みを過ごすことになるんだよ…ちゃんと制服着ろよ…」


そう言いながら彼は私の肩をポンポンと叩き続ける。何を言っているのか分からない箇所はあるが、ここが学び舎であるらしいことは分かった。ひたすら馬鹿にしてくる彼の事は置いておいて、城内でないことに一息つく。これで私が不敬罪で訴えられることは無くなった。安心したところで私の肩に乗せられ続けている手を弾く。ついに私が彼の手を弾くことができた。


「私は病気などではないわ!!高校生が何なのかは知らないけれど、先日16歳になった身、きっちり貴方よりは現実を見ているつもりです。名前だってアンジュ=サットンで間違いないわ!このドレスは結婚式の最中に気付いたらここにいたから着ているだけで、いつもこのような華美なドレスを着ているのではありません!ご心配なさらなくてもお友達はちゃんといます!!」


少し語尾を荒げてしまった事は見逃してほしい。それでも彼の台詞に対して正確に反論したつもりだった。それなのに。


「そういう設定なんだな。分かる,分かる。誰しもそういう道を一度は通るものだもんな? でもいつか恥ずかしく思う日が来る筈だからこの辺で卒業しておいたほうがいいと思うぞ?」


一向に彼は私の神経を逆撫でしている表情を崩すことはない。この男はなんなのだ。まるで言葉が通じない。そして、一度は通る道とはなんだ。もしかして…こういう知らない場所に知らない間に迷い込んでしまうことを言っているのか?だったら!卒業したらしい彼なら帰り方を知っているのかもしれない!下手に出るのは癪に障るが、この際、贅沢は言っていられない。帰るため、両親に会うためなのだから。


「も、もしかして貴方はこの状況から脱することができたのですか…?」


私の疑問に少し戸惑い、何かを考えた後、


「あぁ」


となんとなく恥ずかしそうに頷く。これは!!一筋の光が見えたかもしれない。自分の家へ帰るための手掛かりがあんなに初めの段階で見つかっていたとは!パッと顔を明るくした私を見て彼は一歩後ろへと下がる。私は家へと帰る手がかりを逃がしてなるものかと彼の手を咄嗟に握った。


「ばっ!…ちょっ!…やめ!…」


赤くなり、あたふたと慌てる彼を無視して尋ねる。


「それで!元居た場所、つまり私の家へはどうやって帰ればいいのですか⁉」


私の顔を見たままぽかんと口を開けたまま固まった彼はしばらくしてから手遅れか…と呟いた。その言葉に不安を煽られる。


手遅れ…?私もう帰れないのかしら…?


昨日あんなに泣いたのにまだ涙が溢れてこようとする。


「おまっ…泣くなよ!!」


突然涙目になる私に彼はひどく驚いたようだった。まだ泣いてはいない。あくまでもまだ。家へ帰りたい。きっと母と父は心配している。いや勝手に結婚式を抜け出した私を怒っているかもしれない。彼は俯く私の対処に困ったのか黙りこくってしまった。その間にも涙は溢れようとしてくる。


「あーーーーー!!分かったから!!泣くな!!もうお前の言っていること馬鹿にしないから!!」


もうあと一歩で涙が零れ落ちてしまうというタイミングで彼は声を張り上げた。突然声を張り上げた彼に驚いて、涙が引っ込む。


「えっと?お前はアンジュ=サットンで家への帰り方が分からないんだな??ドレスは…ウェディングドレスなのか…?」


小さい子をあやすように私の目を見ながらやさしく問う。先ほどの嫌味な優しさとは違う私の事を本当に心配している優しい顔だ。彼の変貌に驚きながらも彼の顔を見つめぶんぶんと大きく二回首を縦に振った。そんな私を見て彼は、はぁと一度大きくため息をつく。その時またあの鐘の音が鳴った。物事が好転していると思った。協力者ができただけで無くまた、鐘の音を聞くことができた。きっとこれで家へ帰れる。


「ねぇ!! この鐘の音はどこの教会が鳴らしてるのですか!?」


嬉々として彼に尋ねる。しかし、現実はそんなに甘くなかった。


「教会…?え…?あ…?そういう設定?」


戸惑う彼をよそに私は鐘の音を鳴らす協会の場所を特定しようと辺りを見回す。彼は私の言動にまだ戸惑っているようで乗るべきか…?本当の事を言うべきか…?とブツブツ呟いている。何に乗るのかは分からないが、歩かなくていいのは願ったり叶ったりである。


「って違う!!授業!!」


何か解決方法が思いついたのか彼は急に立ち上がった。そんな彼を見上げると、彼は焦ったように私を見る。


「教会とやらの問題は後だ!!お前も急げよ!!放課後またここに集合だ!!最後までお前の話に付き合ってやるから取り敢えず今は中断だ!!」


そう私に言った次の瞬間には彼は部屋から飛び出していた。授業…彼の発した言葉を二回ほど反芻してからその意味を飲み込む。ここは学び舎だ。ここにいる以上彼はきっとここの生徒なのだろう。彼が戻ってくるまでここで待つしかない。あの男たちが彼への暴行の場にここを選んだということはここにはあまり人は来ないのだろう。そう結論付けて先程の本棚の影には戻らず窓際に腰掛け外を見た。


「わぁ…」


窓の外には私と同じくらいの人たちが手にラケットを持ち、ボールの打ち合いをしている。


「テニスだわ!」


見たことのある風景を見て嬉しさがこみ上げる。やはりそんなに遠くには来ていないのかもしれない。恰好は…少し見慣れないものだけれどドレスを着て行うより何倍も動きやすそうな服である。きっとこの学び舎で独自に開発されたものなのだろう。昨日市場の人々の声だと思ったものは彼らの声だったらしい。ケラケラと笑いながらボールを打ち合う姿を少し羨ましく感じる。私は学校というものに通ったことがない。幼いころに彼との結婚が決まり、通う暇もなく淑女教育が開始した為、ずっと家庭教師に勉強を教わっていた。彼にはお友達がいると大きな声で言ったが実は一人しかいない。そういや彼女は結婚式に来てくれていたのだろうか。


「オリビア…」


懐かしい彼女の名前を呟きながら窓の外の光景を眺めた。

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