第4話 アンジュ=サットンの希望①

「…なん…てない」

「…そつ…く…よ」


人の声がしてハッと目が覚めた。こんなところで熟睡してしまうなんて我ながら図太いというか、間抜けだというか…


「神田…お前俺らの事舐めてんのか…?」


寝起きの耳に響くとても機嫌がいいとは言えない声色に身震いがする。城内の人間かもしれない。あんな声で脅されでもしたら、きっと昨日の様に逃げる事は出来ない。それに昨日はたまたま運よく追いかけてきた人物より私が速かっただけで、今日もそんなにことがうまく運ぶとは思えない。朝方にはここを出ていこうと考えていたのにそんな時間は過ぎている。下手すると昼前になっているかもしれない。そっと本棚の影から入口近くで揉めている人たちの様子をうかがう。


「あっ…」


小さな声が口から漏れた。一人の人間が二、三人の男に取り囲まれている。そして、その取り囲まれている人物は昨日、私に暴言を吐いた彼である。ここにいるということは、騎士か何かだったのかもしれない。それにしても、何をすればあんなに上司から制裁を受けるのか。取り囲んでいる男の一人おそらく上司であろう、そしてあの震え上がるような声を出した男が、彼と同じ目線になるように座り、襟元をつかんで持ち上げる。


「お前のいいところなんて、金持ってることしかねぇだろ?お友達にちゃんと恵んでくれよ。」


へらへらと口元をゆがませてはいるが、全く笑っていない目を彼に向ける様子に疑問を持つ。


これ…虐め…?


城内でもこんなにばかげた行為が行われているのかと驚いた。その様子から目を離せないでいると、男は彼に近づけていた頭を少し後ろに反らして思い切り頭突きをした。開いた口が塞がらないとはこのことを言うのかと思った。なんて幼稚で知能レベルの低い行動なのか。それでも彼には効果的だったのか、彼は頭を抱えてうずくまった。そんな彼を笑いながら男たちは部屋から立ち去る。彼はうずくまったまま、しばらく動かなかった。そのまま動こうとしない彼を不審に思って足音を立てないように本棚の影から出る。静かに近づいて彼を覗き込んだ。それでも反応する様子のない彼がいよいよ本格的に心配になってきて、声を掛けようと決心する。


「あ、あの…?大丈夫…でしょうか…?」


私は心配したはずだ。なるべく優しい声が出るようにしたし、優しい顔をしたはずだ。なのにどうしてこんな顔で睨まれなければいけないのか。しかし、昨日とは違って額を赤くした男の眼光は全く怖くない。いやいける。今日は私のほうが上手だ。余裕な私は昨日の彼とは違って、彼に向かって手を差し伸べた。が。彼は差し伸べた私の手を弾いた。何という男であるか。こんな男には出会ったことがない。私の手を弾いた男は自分の力で立ち上がると、私の顔をまた睨み上げる。とその瞬間彼は細くしていた目を丸くした。


「お前…昨日の…」


私の足元から顔までをじっくりと見つめた彼は途端に訝しげな表情を作る。


「なんで、昨日と同じ格好なんだよ…というかお前なんか汚いな?」


馬鹿を見るような表情にカチンとくる。なんでって、家に帰れなかったからに決まってるじゃない。汚いって私昨日、教会は見つからないわ、人に追いかけられるわで大変な思いをしたのよ?恰好なんて気にしていられなかったのよ。大体、あなたのような人がどうして城内にいることができるのよ。と言うかここは何処なのよ。どうやったら家に帰れるのよ。という諸々の疑問より先に口をついて出たのは


「虐められているのですか?」


おそらく彼の地雷であろう疑問だった。私の予想通り、私の疑問を理解した彼はたちまち不機嫌そうな顔を作った。


「は?」


そして、不機嫌そうな声を出す。


やってしまった…


「き、騎士様にもそ、そういうの有るんですね」


だが、今更口をついて出た言葉を取り消すことなどできない。どんどん会話の流れは悪い方向に向かっている気がするが私はその修正方法を知らない。


「あと、おでこは大丈夫ですか?」


少し長めの前髪を横へ流すようにしておでこを確認する。まだちょっと赤いようだが、傷にはなっていない。ほっと安心しながらさっきまで怒っていたはずの彼が何故か無抵抗なことに疑問を持つ。不思議に思って彼の顔を覗き込むと。…真っ赤だ…そんな彼の表情に自分がした自分から触ってしまうという行為の女性としてのはしたなさを理解する。


「触んな!!」


ぴたりと止まった私の手を我に返った彼が真っ赤な顔をしたまま弾く。これで彼に手を弾かれるのは三回目だ。だが、今回は私が悪い。いきなり触れば誰だって怒る。


「てか、騎士って何?お前なんなの?演劇部?それともただの頭おかしい人?」


赤い顔を何とか冷まそうと自分の手で仰ぎながら彼は尋ねる。明らかに馬鹿にしている表情のせいで自らの行為に対する反省は紙の様に飛んで行ってしまう。すべての疑問に丁寧に答え見返してやろうと決心し、彼の方を見る。


「城内にいる男性を騎士様だと思ってしまうのは仕方のない事でしょう?私はアンドリュー=サットンが娘アンジュ=サットン、以後お見知りおきを。演劇を見たことはありますが、私は女優ではないので役を演じたことはありません。」


ここで一度息継ぎを挟む。


「大体あなたこそ何ですか?騎士様でもない男性がどうして城内に??とても使用人には見えませんし…もしかして、先ほどのあれは城内に入り込んでいるのがばれて脅されていたのですか?」


なるべく丁寧に女性らしく言いたいこと言い終わった爽快感で彼の方を見る。おそらく私は今ひどく得意げな顔をしているのだと思う。そんな私とは対照的に彼は可哀そうな人を見つめるような眼をする。その目はなんだ…その瞳を物憂げに細めた後、彼は私の肩をポンポンと二度叩き、


「病院行けよ?」


そう言ってとても優しそうな顔をした。

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