ばけもの(1)

何もかもが不快だった。

眼前の僕を押し倒した女の荒い息が。

匂いが。

赤らめた顔が。

これからすることへの期待に細めた目が。

密着した体から伝わる体温が。

奥ゆかしく僕の背中に回そうとする手つきが。

次にすることのために舌舐めずりする仕草が。

無理矢理重ねられた唇の柔らかい感触が。

絡められる足が。

唇を離した後の微笑みが。「抵抗しないってことは…良いんだよね?」なんて言葉が。


不愉快な気持ちから女から目をそらした。女はそれを諦めを含んだ肯定と捉えたようで片手で自分のをもう片方の手で僕のを弄り始めた。僕のはそこだけ別の生き物のように意思に反して反応している。それが一番不愉快だった。


窓に目をやると外の世界の景は星のない空に寂しく上弦の月が佇んでいるだけだった。


「大きくなった…えへへ、大丈夫だよ。天井の染みを数えてるだけで終わるからね」


女が不快な猫なで声で言った。どこかで聞いたことのあるような台詞だった。…普通は男の言う台詞だが。


僕は手持ち無沙汰から言われたとおり天井に目をやった。僕を見下ろしている女と目が合った。不快だった。僕は女の目の向こうの天井を見ていた。女の目は僕の目をがっしりと捉えていた。女の目は笑っていた。その笑みに何が含まれているのか、僕は分からなかった。


天井に染みなんて無かった。やがて別の生き物は女の中に取り込まれてしまった。全て入りきると女は恍惚の表情を浮かべ、僕に唇を重ね、舌で僕の口をこじ開けてしまった。

僕は今繋がってる所以外も全て別の生き物に乗っ取られた様で体のどこももう思う通りに動いてくれなかった。女が僕の舌を貪る。その行為は麻酔のようで、僕はもう何も出来なくなった。


女が力なき僕の手を握り腰を動かし始めた。僕は他人事みたいにそれを見てることしか出来なかった。やがて僕は女の中に吐き出した。すると同時に女は体をくねらせ声を漏らした。

「出ちゃったね…気持ち良かった?ふふ 」

僕は女を無視して眠くなったので目を閉じた。けれど眠れることはなかった。


結局行為は3度繰り返された。女は満足したのか最後に永い接吻をしてから僕に抱きついて寝てしまった。


今更思い通りに動き始めた体を運び女を振りほどいて立ち上がった。すっかり目は暗闇に馴れて、数時間前に女に剥ぎ取られて投げられた服を部屋の隅に発見できた。


僕は部屋を出た。外の世界は呑気にまだ夜を演じていた。

涼しい風が僕を撫でる。目を閉じると女の匂いがして、それが嫌で目を開けて歩きだした。


頭が痛む。


多分3時くらいだろうか。こんな時間に外を歩くのは久しぶりだった。

自販機の光が眩しかった。

誰の気配も感じない涼しい世界が心地良かった。


もう女のことは考えたくなかったが頭から離れなかった。

確か一緒にお酒を飲みに行って潰されて、気が付いたら女の部屋にいて服を脱がされて…そんな感じだったと思う。

頭が痛むのはいっぱい酒を飲まされたからだ。 でも夜風に当たって少し楽になってた。


少し歩いたらまた自販機があった。ポケットに入っていた100円玉をぶちこんだ。

100円で買えるのは天然水だけだった。

ガコン、という音をたててペットボトルが落ちてきた。

そこで考えるでもなく考え込んで眩しい光に当たりながら僕は立ちすくんだ。


また女の顔が浮かんだから僕は頭を横に振ってペットボトルを拾って歩き出した。

足を止めたのは公園の前だった。幼少の記憶を遡る。あの頃遊んだ友達の名前も思い出せなかったが、ブランコが好きだったような気がして、赤いブランコに腰掛けた。


無意識に空を見上げた。月がぽっかりと消えて黒と白とその2つを溶かす色だけがあるだけの寂しい空が広がっていた。


見えない星を数えているうちやがて僕は本当に眠ってしまっていた。

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けものばけもの、君 朱里 窈 @project344

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