第57話 憎悪の炎 5

「来たっ!」


 船を襲う衝撃にトリスが身を起こした。


 ついに待っていたものが来たと分かったのだ。


 この状況で船に襲いかかるのは、トリスの救出にやってきたリーゼロックPMCに決まっている。


 だったらただ助けられるのを待つ訳にはいかない。


 この隙を利用して、トリスにも確認しなければならないことがあるのだ。


 彼らが到着したら、恐らく有無を言わせずに保護される。


 トリスの言うことにも耳を傾けてくれるだろうし、希望すれば仲間の遺体を探してくれるかもしれないが、あまり時間をかけているとセッテを逃がしてしまうかもしれない。


 攻撃を受けたら大事なものを確保して緊急脱出する。


 セッテはそういう用心深さを持っているとトリスは判断していた。


 だからこそ大事なことは先に確認しておかなければならないと思ったのだ。


「………………」


 トリスは起き上がってドアの傍に身を置いた。


 息を潜めて、誰かが入ってくるのを待つ。


 この異変だ。


 トリスをこのままにしておくことはあり得ない。


 そう考えてのことだ。


 そしてその予想は大当たりだった。


 すぐに部屋の戸が開かれたのだ。


「おいっ! すぐに移動するぞっ! この船は攻撃を受けているっ!」


「………………」


「小僧?」


 しかし部屋の中にトリスの姿はない。


 本当はすぐ傍に居たのだが、死角になっていて見えなかったのだ。


 少しでも動けば目に入った筈だが、トリスはこの男が部屋に入る角度、視線を向ける位置をきちんと把握していた。


 何度か連れていかれる際に、それをきちんと観察していたのだ。


「………………」


 トリスはそっと動いた。


 動きはあくまでも静かに。


 しかし容赦はなかった。


「がっ!?」


 トリスは小柄な身体に似合わない怪力を発揮して、男の喉を突いた。


「がっ! ぐっ!」


 小さな手でも亜人の全力だ。


 呼吸を封じられた男は声も出せない。


 トリスはそのまま男の頭を掴んで床に叩きつけた。


「っ!!」


 容赦の無い攻撃だった。


 男の頭からは血が流れている。


 放っておけば死んでしまうかもしれないが、トリスは構わなかった。


 死んでも構わないぐらいの気持ちでやったのだ。


「………………」


 トリスは男の身体から武器を引き剥がす。


 ナイフと銃を自分の装備として奪い取り、そしてすぐに動き出した。


「どこにある? 彼らは、どこにいる?」


 走り出したトリスは迷わない。


 船の構造はまるで分からないが、どこに目的のものがあるのかは察しがついている。


 居住エリアと研究エリアが分かれていることを最初に理解して、わずかな移動時間の間にも何処に何があるのかを把握していたのだ。


 そしてD区画と表示されている場所にセッテの研究エリアがあることも把握している。


 仲間の遺体があるとすれば、その区画だと考えている。


 その区画を虱潰しに調べれば、きっと目的のものに辿り着ける筈だった。


「あっ!?」


「お前どうやってっ!?」


 途中で警備兵に見つかったが、トリスは容赦なく撃った。


 銃のエネルギーは麻痺レベルだったが、今は殺害レベルに切り替える時間も惜しい。 


 そのまま撃ちまくって気絶させた。


 撃ちすぎたのでエネルギーが切れかけている。


 トリスは倒した相手の銃を奪い取って、自分のそれはそのまま捨てた。


 ナイフは接近戦でしか使えないが、この銃があれば近付く必要は無かった。


 ずっとこの時を待っていたトリスの動きは鋭い。


 無駄な抵抗をせずに、体力を温存して、この時の為に耐えていたのだ。


 トリスには一切の迷いがなかった。


 大人しい実験体だと誤解していた奴らはトリスの恐ろしさを味わうことになっていたが、そんなことすらも今の彼にはどうでもよかった。


 D区画の部屋を虱潰しに探し、そして目的のものを見つけた。


「そん……な……」


 トリスは持っていた銃を取り落とす。


 敵地のど真ん中でそんなことをする愚を、トリスは嫌と言うほど知っている。


 しかし今だけは理性を保つ余裕がなかった。


「嘘だ……こんなこと……」


 目の前が真っ赤に染まる。


 何度目かもしれない憎悪の感情。


 しかしこれは今までで最大のものだった。


 許せない。


 許さない。


 絶対に、許さない。


 全ての人間を許さない。


 こんなことをした奴らには絶対に報いを受けさせてやる。


 そんな感情で心が塗り潰される。




 仲間の遺体は確かにそこにあった。


 一人残らず、そこに保管してあった。


 ただし、そのままの姿ではなかった。


 首と胴体が切り離されているものがある。


 胴体を開かれて、無数のケーブルに繋がれているものがある。


 内臓の一つ一つ、筋肉の一つ一つを解体されて、サンプルとして瓶詰めにされているものがある。


 その半分以上は、そのままの原型を留めていなかった。




 仲間の遺体と直面する覚悟はしていた。


 しかし、切り刻まれた仲間の肉片と再会する覚悟はしていなかった。


 そんなものがこの世界に存在している筈がないと、心のどこかでそう考えていたのだ。




 そして、幼い少年の心は完全に壊された。


 辛うじて踏みとどまっていたものは、本人の意志によって取り返しのつかない場所まで堕ちていくのだった。



 リーゼロックPMCの隊員達はそれぞれの技倆を発揮して、敵の船をほぼ無力化していた。


 戦闘機が船の発着場に入り込んで、次々と武装した隊員が乗り込んでいく。


 その後にマーシャも続いた。


 マーシャはハロルドとイーグルたちに護られている。


 トリスを取り戻す為に有効だと分かっていても、それでも必要以上に彼女を危険に晒すつもりなどなかった。


 激しい戦闘になることを覚悟していたが、予想外に船内は静かだった。


「妙だな?」


 ハロルドが訝しげに呟く。


 乗り込まれていることは分かっているのに、迎撃してこない。


 戦闘員の数が限られているのだとしても、この状況はどう考えてもおかしかった。


「隊長。罠の可能性があります」


「それは俺も考えている。しかしトリスがいる以上、罠だと分かっていても進むしかないだろう」


「それはそうですけど、そうなるとマーシャちゃんが……」


 自分達は罠があっても食い千切ることが出来るが、マーシャを護りながらとなると難しい。


 マーシャには傷一つ付けたくない。


 それが全員が持つ共通の意識だった。


「心配してくれてありがとう。でも、私のことは気にしなくていい。トリスが心配だ。迷っているぐらいなら進もう」


「……マーシャちゃんがそう言うなら」


「仕方ないか」


 マーシャを危険な目に遭わせるのは嫌なのだが、本人がそう言っている以上、進むしかない。


 それにトリスのことも放っておけない。


 一刻も早く救い出さなければならない。


 ハロルド達は進むことにした。


 そして進んだ先で見たものは、想像を絶するものだった。




「トリス!!」


 マーシャが叫ぶ。


 トリスがそこにいた。


 しかし無事だとは言いがたい。


 身体は無事だ。


 傷一つ無い。


 それだけは分かる。


 しかし、中身が無事とは言えなかった。


「………………」


 澄んでいたアメジストの瞳はどこか虚ろだった。


 ぼんやりとマーシャを見るトリス。


 しかしその瞳はマーシャを映してはいなかった。


 彼の手は血まみれだった。


 いや、手だけではない。


 手にはナイフを持っていて、返り血で身体の半分を染めていた。


 血の付いた虚ろな顔はマーシャ達を認識しているかどうかも怪しい。


 そして彼の周りには多くの死体があった。


 バラバラに切り刻まれた人間の死体。


 恐らくはこの船の警備員であろう戦闘職だ。


 それだけではない。


 白衣の研究者の死体も転がっていた。


「まさか……」


 ハロルドは嫌な予感がして艦橋へと向かう。


 初めて乗る宇宙船でも、大体の規格は共通しているので、ここまで進めば艦橋がどこにあるかは把握出来る。


 走り続けて三分ほどで艦橋に到着した。


「うっ……」


 そこで見たのは、おぞましいほどの死体の山だった。


 男も女も関係なく殺されている。


 それも全てがナイフで殺されていた。


 銃を使うつもりはなかったのだろう。


 ただ、強烈な痛みを与えて殺すことを目的としている。


 彼らも銃を抜こうとしたのだろうが、艦橋の人間は戦闘職という訳ではない。


 銃の扱いも基本的なものしか身につけていない。


 戦闘に特化したトリスを相手取るには力不足だったのだろう。


「何故、こんなことを……」


 ハロルドの知るトリスは優しい少年だった。


 常に誰かのことを思いやり、マーシャのことを一番大事にしていた。


 少しだけ気の弱いところもあって、気の強いマーシャとは凸凹みたいなコンビだと思っていた。


 そんな少年がこの惨劇を引き起こした。


 それが信じられなかった。




「よせっ! トリス!!」


「っ!?」


 外から聞こえた声にハロルドが反応する。


 あれはイーグルの声だ。


 トリスに向かって叫んでいる。


 何事かと思って戻ってみると、トリスがイーグルを攻撃していた。


「なっ!?」


 救出に来た筈の自分達をトリスが攻撃している。


 つまり敵だと思われているということだろうか。


「トリス!?」


 ハロルドもトリスに呼びかける。


 しかしトリスは何の反応もしない。


「まさか。操られているのか?」


 脳に何らかの操作をされているのだとしたら、自分達を味方だと認識出来なくてもおかしくはない。


 救出に来た筈の自分達を攻撃する理由は、他に思い浮かばない。


 しかしそうなると一度トリスを無力化しなくてはならない。


 今のトリスを相手に無傷で済ませるのは無理だった。


 ただでさえ、格闘訓練では自分達に迫る腕を持っているのだ。


 ナイフの扱いは得意ではなかったが、今は驚くべき鋭さを発揮している。


 イーグルはよく避けているが、トリスが相手なだけに思い切った真似は出来ない。


 このままではいずれ斬りつけられるだろう。


「くそっ! 何らかの操作を受けているのだとしたら、不味いぞ。解除させないと……」


 ハロルドが忌々しげに呟く。


 周りの隊員達も麻痺レベルでエネルギー銃を撃ち込もうとしているが、二人の位置が密着しすぎて上手くいかない。


 イーグルを巻き添えにする可能性があるのだ。


 イーグルを撃ってしまえばトリスは間違いなく彼を殺すだろう。


 今のトリスにイーグルは認識出来ない。


 そして正気に戻った時、彼はそれを後悔する。


 そんなことはさせられなかった。


「違う。トリスは何の操作も受けていない」


 しかしマーシャがそれを否定した。


 確信のある口調だった。


「どうして分かる? あれはどう考えても正気じゃないだろう。そうでなければ俺たちを攻撃する筈がない」


「そうじゃない。正気を失っているのは確かだが、操作されている訳じゃない。あれはトリスがずっと抑えつけていた感情なんだ」


「なんだと?」


「トリスはずっとああしたかったんだと思う」


「ちょっと待て。つまり、俺たちを殺したかったってことか?」


「違う。『人間』を殺したかったんだ」


「………………」


「トリスは『人間』を憎悪している。もちろん、私も同じだ。許せないと思っている」


「………………」


 それは無理もないと思った。


 人間が亜人にしてきたことを考えれば、当然の感情でもある。


 それを理解していても、マーシャの口から聞かされると哀しかった。


 自分達は間違いなく彼女たちに愛情を注いでいる。


 その愛情が伝わっていないのかと思うと、哀しくなってくるのだ。


「そんな顔をしないで欲しい。少なくとも、全ての人間が憎い訳じゃないよ」


 マーシャは苦笑してから弁解した。


 このままでは誤解されかねないと判断したからだ。


「レヴィアースに助けられなかったらどうなっていたか分からないけどな。もう駄目だと思っていた時にレヴィアースに助けられて、お爺ちゃんに出会わせてくれて、そしてみんなに出会わせてくれた。人間にもいい人たちがいるって、思い出させてくれた。私はみんなが好きだよ。人間すべては好きになれないけど、でも、レヴィアースやお爺ちゃん、そしてみんなのことは好きだよ」


「マーシャちゃん」


「トリスだって同じ気持ちだと思う。だけど、トリスは私よりもずっと情が深い。仲間達に対して、自分達に対して、そして私に対してされたことを忘れていないし、忘れられない。だから、本当はいつああなってもおかしくなかったんだ。何かきっかけがあったのは確かだけど、あれは本来のトリスだ。操作されている訳じゃない。それは断言出来る」


「だとすれば、今後も俺たちは敵として扱われるということか?」


「いや。正気を失っているからこそ私達を認識出来ないんであって、ちょっと落ちつかせれば理性は取り戻すと思う」


「どうやって?」


「私が行く」


「マーシャちゃんっ!?」


「人間は認識出来なくても、私なら認識出来る。トリスは私を一番大事にしてくれているからな。私ならトリスを止められる。その自信がある」


 それは確信だった。


 自分が止めに入れば、トリスは正気を取り戻してくれる。


 それだけトリスに想われている自信があった。


 トリスの本質は『大切な仲間を護る』ことだから。


 トリスにとってマーシャはたった一人残された『護るべき存在』だから。


「駄目だ。危険過ぎる。下手をするとマーシャちゃんまで殺されるぞ」


「大丈夫。多少の傷は負うかもしれないけど、トリスは絶対に私を殺さない。その確信がある」


「しかし……」


「行ってくる」


「マーシャちゃんっ!」


 ハロルドが止める間もなく、マーシャは駆け出した。


 トリスにイーグルを殺させる訳にはいかない。


 そんなことをすれば、あの優しい少年は自分をもっと責めるだろう。


 それを止められるのは世界でただ一人だけ。


 彼にとって唯一護るべき存在として認識されているマーシャだけなのだ。


 だから自分が行く。


 自分にしか出来ないことだと分かっているからこそ、マーシャは躊躇わない。


 止めようとするハロルドの手をすり抜けて、マーシャは正気を失ったトリスへと駆け寄る。

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