第56話 憎悪の炎 4

 次にトリスが連れて行かれたのは、簡素な個室だった。


 拘束具はきちんと外され、自由に動けるようになっている。


「二十四時間拘束したままだと身体に悪影響があるから、身動きだけは出来るようにしておくが、逃げ出そうなどということは考えない方がいい。ここにはいくつも迎撃装置が仕掛けられているし、警備員も巡回している。素手の子供がどうにか出来るものじゃない」


「………………」


 トリスを運んできた男は無情に言い放つが、彼は聞いていなかった。


 無言でそっぽ向くだけだ。


 何かを喋ったりするつもりはないらしい。


 セッテとは情報を得る為に会話をしたが、この男と会話をする必要は感じていないのだろう。


「可愛くないガキだぜ」


 男はそう言って扉を閉めた。


 同時にロックが掛けられる。


 外からロックが掛けられるということは、中からロックを解除するのは不可能なのだろう。


 少なくとも、やり方を知らなければ不可能だ。


「………………」


 トリスは部屋の中を確認した。


 監視カメラの類いは仕掛けられていないようだ。


 少なくとも見える場所には。


 見えない偽装にしている可能性も考慮して探してみると、案の定監視カメラは見つかった。


 トリスはそれを残らず破壊した。


 たとえ機械越しであっても、見られているという感覚は分かるのだ。


 亜人の鋭敏な感覚を総動員すれば、監視カメラや盗聴器の類いを見つけ出すことはそれほど難しくない。


 もとより、亜人の直感は人間よりもずっと優れているのだ。


 監視カメラと盗聴器を残らず破壊したことで、トリスはようやく一息ついた。


 破壊したことで部屋を移動させられるかもしれないが、その時はまた同じ事を繰り返せばいいだけだ。


 破壊するなと注意されたところで、やめてやるつもりはなかった。


 拉致監禁している相手の指示に従う必要性など、これっぽっちも感じていなかったからだ。


 トリスは自分に出来る抵抗をするつもりだった。


 クラウスは絶対に自分を助けてくれる。


 そう確信しているからこそ、それまで自分に出来ることをしようと決めていたのだ。


 諦めることだけはしない。


 そうすることで、この状況を耐えている。


 ただ一つ気になるのは、仲間の遺体についてだった。


 もしも彼らの遺体がここにあるのなら、放ってはおけない。


 どうあっても回収して、きちんと弔ってあげなければならない。


 そこだけは譲れなかった。


 救出部隊が到着したら、彼らにお願いして亜人の遺体の回収を手伝ってもらおうと考えている。


 彼らは優しいので、トリスの願いを拒否したりはしないだろう。


 トリスはまだ自分の甘さに気付いていない。


 仲間の遺体が、亜人の遺体が、研究者の手元にあって『そのままの形』で残されていると信じていたのだ。



 そしてトリスの予想通り、救出部隊は翌日には準備を完了させていた。


 セッテの船は上手く逃げていたつもりのようだが、イーグルの仕掛けた発信機はきちんと痕跡を残してくれていた。


 ロッティのあるラスメル星系から少し離れた場所で周遊していた。


 発信機がなければ見つけられなかったが、幸いにして発見出来た。


 今は見つからないようにこちらが隠れている。


 クラウスがトリスの救出部隊として出したのはリーゼロックPMCの中でもかなりの精鋭達ばかりだ。


 彼らは我こそはと救出に名乗りを上げていた。


 トリスとマーシャはPMCの人気者だ。


 攫われたと聞いて黙ってはいられない。


 必ず自分達の手で救出してみせると燃えている。


 そして一緒に来たマーシャの事も護り抜くと決めている。



 リーゼロックPMC最新鋭艦『アイリス』では、敵の船の様子を逐一チェックしていた。


 周遊しているが、いつ移動するか分からない。


 油断は出来ないが、こちらの様子に気付かれる訳にもいかないので、監視していることがバレないように注意していた。


 アイリスにはステルスをかけているので、相手からはこちらの位置は見えないことになっているのだ。


「あそこにトリスがいるんだな?」


 マーシャがホログラムディスプレイに映る船を見て舌打ちする。


 今すぐ乗り込んでやりたいところだが、マーシャはクラウスと約束しているので無茶は出来ない。


「ああ。そうだ。分かっているとは思うけど、マーシャちゃんが乗り込むのは安全が確保された後だからな」


 うずうずしているマーシャを窘めるのはイーグルだった。


 クラウスからくれぐれもマーシャから目を離すなと言われている。


 そして敵の狙いがマーシャである可能性もあるので、本当に無茶はさせられないと思っている。


「分かっている。無茶はしない。だけど、無茶じゃなければいいよな?」


「どういうことだ?」


「イーグルと一緒に行く。イーグルから離れない。もちろん、他の人とも離れない。それなら私を護ってくれるだろう?」


「トリスの救出がメインなんだが」


「分かってる。だけど、私がいた方がいいと思う。これはただの勘なんだけど」


「勘か」


「うん。私がいた方がいい。そんな気がする」


 つまり、トリスが救出されてアイリスに戻ってくるのを待つのでは手遅れかもしれないと思っているのだ。


「分かった。ではマーシャちゃんも連れて行く」


「ありがとう」


 しかしそれに反論したのは部隊長だった。


 今回の部隊を指揮しているのはハロルド・ローレンス。


 対人格闘、射撃、戦闘機操縦全てにおいて卓越した技術を持つ男だった。


 年齢は四十代前半で、まだまだ現役として活躍している。


 経験豊富でもあり、戦場に子供を連れて行くことを良しとしない良識も持ち合わせている。


 トリスを救出するのは当然と考えていたが、クラウスの命令でなければ、マーシャを連れて行くことは断固として反対していた。


「ハロルド。気持ちは分かるが、ここはマーシャちゃんの気持ちを尊重してやろう。それにこの子達の『勘』はなかなか馬鹿に出来ないものがある。知っているだろう?」


「それはまあ、知ってはいるが……」


 対人格闘でトリスとマーシャの相手をしているハロルド達は、自分達と互角に戦う二人を見て不思議に思っていたのだ。


 奴隷闘士として闘っていたとはいえ、所詮は子供同士だ。


 本格的な戦場における戦闘経験には圧倒的な差がある。


 亜人の身体能力を駆使したとしても、こちらの経験を交えた攻撃を加えていけば勝てない筈がない。


 そう思っていた。


 しかし避けられる筈のない攻撃を避ける。


 それも一度や二度ではない。


 動きというものには特定のパターンがある。


 そこに経験とフェイントを交えた攻撃に工夫を加えるのが本職の戦闘だった。


 しかしトリスとマーシャはそれを掻い潜る。


 見えていない筈の攻撃も避ける。


 どうしてなのか質問したことがある。


 その時に返ってきた答えは『勘』だった。


 つまり、なんとなく分かるのだという。


 そこに明確な理由はない。


 ただ、分かる。


 それだけだった。


 亜人というのはみんなそのような勘に優れているのだろうか。


 だとすれば絶対に敵に回したくないと思った。


 ジークスの人間達はよくもまあこんな恐ろしい奴らと戦おうと思ったものだと、呆れたりもした。


 対人戦闘では勝てないので、最新兵器と物量作戦で押し切ってようやく勝てたのだろう。


 そしてその勘は戦闘だけに発揮されるものではないらしい。


 未来予知というほどではないのだろうが、マーシャが絶対に譲らない時には、それなりの理由があるのだということを知っている。


「ごめん。ハロルド。迷惑を掛けるのは分かっているけど、お願いだから連れて行って欲しい」


「う……」


 上目遣いで見上げられると弱いハロルドだった。


 ハロルドは特にマーシャを可愛がっている。


 お菓子を買ってきて与えると、本当に嬉しそうに笑ってくれるマーシャに対して、かなりデレたりもしたのだ。


 まだ結婚していないハロルドにとって、突然出来た娘のようなものだと思っているのかもしれない。


 もちろん、トリスのことも同様に可愛がっている。


 だからこそ二人の『おねだり』には弱い。


「わ、分かった。ただし、絶対に俺たちから離れるなよ。マーシャちゃんだけが何かを見つけたとしても、一人で突っ込んだりせずに、ちゃんと俺たちに教えるんだ。それを約束出来るか?」


「約束する」


「絶対に?」


「絶対に」


「破ったら一時間膝抱っこの刑だからな」


「……そこはお尻ペンペンとか、お仕置きをするところじゃないかな?」


 マーシャが呆れたようにハロルドを見る。


 しかしハロルドの方は胸を張って開き直った。


「女の子のお尻を叩いたりは出来ないだろう。トリスなら考えてもいいが、流石に無理だ。それよりもマーシャちゃんを膝抱っこしたい。星暴風スターウィンドの膝にはよく乗っていたんだろう?」


 ハロルドがレヴィアースのことを話題に持ち出してくる。


 レヴィアースがクラウスの家で世話になっている間、頼まれてPMCの方にも顔を出していたのだ。


 模擬戦の相手をして欲しいと頼まれて、全員の相手をしたことがある。


 当然、その全てに勝利していた。


 PMCの部隊員は星暴風スターウィンドとしてのレヴィアースを知っていたつもりだが、実際に経験すると敬意を抱かずにはいられない腕前だった。


 だからこそ本名ではなく星暴風スターウィンドの呼び名を使っているのだ。


「よく知ってるなぁ……」


「会長が羨ましそうに話していたからな」


 どうやらクラウスが漏らしたらしい。


 確かにマーシャはレヴィアースの膝にはよく乗っていた。


 好んで座っていたと言ってもいい。


 しかしレヴィアースの膝が特別なのであって、他の大人にはそこまで甘えようとしなかった。


 警戒しているのではない。


 ただ、マーシャにとってのレヴィアースが特別なので、他の人に対して同じようにはしたくなかっただけなのだ。


 しかしそれは他の大人にとってとても寂しいことだったらしい。


 もっと自分達に甘えて欲しいと、そう思っているのだろう。


 こんな時に和んでしまいそうなやりとりだが、しかし余計な緊張をほぐそうとしてくれているのだと分かるので何も言わない。


「いいよ。約束を破ったらハロルドの膝に一時間だな」


「よし。逆に楽しみになってきた」


「………………」


「隊長、ずるいっすよ」


「本当だ。ずるい」


「俺もマーシャちゃんを抱っこしたいのに」


「いや、これぐらいで膝抱っこ出来るなら、むしろ戦闘機に乗るようになったら負けた時にやってもらおうぜ」


「それ名案だなっ! トリスと二人で片膝ずつとか、天国じゃねえか?」


「言えてる」


 わいわいと盛り上がるアイリス艦橋。


 緊張感の欠片もない。


 逆に言えば自然体だ。


 だからこそ彼らは強い。


「ハロルド。どうやって攻略する?」


 マーシャは今回の救出作戦の内容について問いかけてくる。


 気になるのは当然だろう。


「最初は砲撃と戦闘機で陽動をかける。船を攻撃すれば向こうも自衛用の戦闘機を出してくるかもしれない。それらを全部片付けてから中に突入する。突入後は虱潰しに探すしかないが、時間との勝負だな。あまり時間をかけすぎると敵を逃がすことになる。もちろん逃がした時の対策ぐらいはしておくが、あまり楽観はしない方がいい。これだけ大がかりなことをしてトリスを攫った相手だからな」


「同感。でも先に船を攻撃してトリスは大丈夫かな?」


「そこは問題無い。宇宙船というのはある程度規格が決まっていてな。居住区を避けて撃てば中の人間にそれほど被害はない筈だ」


「なるほど」


 船にもある程度ダメージを与える必要がある。


 しかし中の人間は傷つけられない。


 他の人間はどうでもいいが、トリスまで巻き添えにされるのは困るのだ。


「問題は突入した際にトリスを人質にされた時だな。そうなるとこちらが身動きを取れなくなる」


「その時は私が陽動を引き受ける」


「何だって?」


「私を見たら、敵は私も欲しがる筈だろう? だからトリスを人質にするようなら、私を交渉材料にして離すように言う」


「馬鹿な。そんなことをしたらマーシャちゃんが危険だ」


「危険は承知の上だよ。でもメリットもある」


「何だと?」


「素手で無力化されているかもしれないトリスと違って、私は武器を持つことが出来る。目に見える武器は捨てさせられるかもしれないけど、服の中に仕込んだ武器までは見破られない。そしてトリスを離して貰えるまで近付けば、私が攻撃する。全員は仕留められないと思うけど、それでも体勢を崩すことは出来るだろうし、そのタイミングでみんな畳み掛ければ、トリスも取り戻せるし、私も無事な筈だ。どうかな?」


「いや……それはそうだが……」


「これでも、対人戦闘はそれなりだと思っているんだけど?」


「う……」


 確かにその通りだった。


 マーシャとトリスの対人戦闘能力はかなりのものだ。


 本職であるハロルドやイーグルたちでも負けてしまうことが多い。


 彼らを知らない他の人間ならば、間違いなく翻弄出来るだろう。


「しかしマーシャちゃんが危険過ぎるぞ」


「分かってる。でも、トリスを人質に取られたらみんな身動きが取れなくなる。それは最悪だと思う。それならば多少のリスクを受け入れてでも、状況の変化を誘う方が前向きだ。違うかな?」


「………………」


 困ったことに、違わない。


 呆れるぐらいにマーシャの言葉が正しい。


「分かった。その方向で行こう」


「トリスが自力で逃げ出していた場合は、保護して離脱でいいと思う。それから本体である宇宙船を攻撃すれば問題無いと思うし」


「そうだな。それでいこう」


 方針が決まったところで、早速出撃準備が始まった。


「じゃあ俺も行ってくる。マーシャちゃんはここにいてくれ」


「分かった。オペレーター席に座ってもいい? 様子を逐一確認したいんだ」


「ああ。オペレーター席は空いているから好きにするといい」


 戦闘機操縦者がそれぞれ出ていく。


 ハロルドもイーグルも戦闘機操縦者なので、艦橋からは居なくなる。


 マーシャはオペレーター席に座ってから、さっそく端末を操作し始めた。


 戦闘宙域となる場所を映し出して、どんな変化も見逃さないようにする。


「………………」


 こうして見ているだけなのが悔しい。


 レヴィアースのように戦闘機操縦者として熟練していれば、こんな時トリスを助けに行けるのに。


 護られているだけなんて嫌だ。


 自分は護りたいのだ。


 そして抗いたい。


 マーシャは常にそう考えている。


 きっとトリスも同じだろう。


 彼はマーシャよりも護ることに重点を置いているが、それでも抗い続けていることに変わりはない。


 絶対に助けなければならない。


 あの日常を、こんなことで壊させる訳にはいかないのだ。

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