第55話 憎悪の炎 3

「ここは……」


 トリスはうっすらと目を開ける。


 意識を取り戻したトリスは、状況をまだ把握出来ていなかった。


 簡易ベッドに寝かされていたトリスはゆっくりと起き上がる。


 何もない部屋だった。


 しかし自分がいろいろな機器に繋がれていることはすぐに把握した。


 腕に刺さった点滴の針のようなもの。


 そして脳波を計測するもの。


 更には身体に付着している様々な吸盤がトリスの身体を細かく調べていた。


「………………」


 まるで病人だなと思ったが、トリスはそこで暴れたりはしなかった。


 自分に繋がれたものを慎重に、一つ一つ取り外していく。


 身体の調子はいまいちだが、動けないほどではない。


 ここがどこなのかは分からない。


 だから動いて調べることにしたのだ。


 自分がヘマをして捕まったことは理解しているが、そのままの状況に甘んじているつもりはなかった。


 一刻も早く脱出して、そしてリーゼロックの屋敷に戻らなければならない。


 護衛のイーグルも心配しているだろうし、マーシャやクラウスもきっと心配している。


 彼らに心配はかけたくなかったのだ。


 既に手遅れだが、すぐにでも戻れば安心してくれるだろう。


 ここが既に惑星ロッティの外で、トリスの知らない宇宙空間であることなど、まるで気付かない。


 気付いたとしてもどうしようもなかっただろう。


 全ての機器を自分の身体の接続から外した後、トリスは部屋を出た。


 しかし部屋の中には誰も居なかったが、外には見張りがいた。


「あ、お前、いつの間に?」


「っ!!」


 トリスはすぐに逃げ出そうとしたが、その前に撃たれた。


「っ!!」


 見張りの男が撃った銃はエネルギータイプのもので、威力を調整出来るものだった。


 麻痺レベルで撃たれたトリスはその場に倒れる。


「あ……ぐ……」


 身体が動かない。


 麻痺の効果が効いているのだろう。


「う……うぅ……」


 考え無しに動いてしまったのが不味かった。


 少しでも状況を考えれば、もっと慎重にならなければいけないと分かった筈なのに。


「うぅ……」


 動かない身体が恨めしい。


 自分はいつも失敗ばかりだ。


 マーシャと違って、いつも間違えてばかりだ。


 それが悔しい。


 正しい道を選びたいのに、いつも間違えてしまうのが情けない。


 どうすればいいのか、どうするべきなのか、いつも分からない。


 彼女に導いて貰わなければ、どこにも進めなかった。


「まったく。しばらくは目を覚まさない筈なのにな。やっぱり獣は人間とは違うんだろうな。あの博士もそこを研究したいと言っていたから、そこは大事なんだろうけど」


「………………」


 小柄なトリスはひょいっと抱え上げられて、元の部屋に戻される。


 そして見張りの男はどこかに連絡を取っていた。


「博士。亜人の小僧が目を覚ましました。逃げ出そうとしたので麻痺レベルで撃ちましたが、この後はどうしますか? え? 連れてくるんですか? 確かに今はしばらく動けませんけど。でも、動けるようになったら暴れるかもしれませんよ。拘束具? ああ、確かにそれが安全ですね。分かりました。ある程度拘束具で縛り付けてからそちらに連れて行きますよ」


 見張りの男は淡々とした口調で話していた。


「……今の、誰?」


「驚いた。喋れるのか。舌まで麻痺している筈なんだがな。やっぱり獣だからか?」


「………………」


 確かに喋るだけでも辛い。


 痺れた舌を何とか無理して動かしている。


 それでも、この状況を少しでも理解する為に、質問することは止めなかった。


「今のは、誰なんだ?」


「ここのボスみたいな人さ。俺はただの雇われだからよく知らないんだけどな。亜人の研究をしているらしいぜ。この研究が成功すれば、亜人の戦闘能力を人間にも反映させることが出来るんだとか。そうなれば真っ先に試して貰いたいね。俺も戦闘を生業としているから、強くなれる分には大歓迎だ」


「………………」


 トリスはベッドに寝かされたまま拘束具を付けられている。


 両手両足を縛られて、更に両腕ごと胴体を縛られている。


 そこまでしてようやく再び抱え上げられた。


 お姫様だっこのような抱え方ではなく、肩に担ぐ荷物のような扱いだ。


 お姫様だっこよりは遙かにマシだが、荷物のように運ばれるのは不快だった。


「………………」


 そして運ばれている間に分かったのは、ここが地上ではなく宇宙船の中だということだ。


 少し前までのトリスならばその違いも分からなかっただろうが、リーゼロックPMCで戦闘機や宇宙船の構造も学んでいるので、その違いが分かるようになっている。


 宇宙船に必要な最低限の設備というものがある。


 例えば生命維持システムに必要な空調設備などが定位置に配置されていた。


 他にも一定間隔で通信画面が壁面に埋め込まれている。


 トリスを担いでいる男は手に嵌めてある腕輪タイプの通信端末で連絡を取っているようだが、宇宙船の館内では壁面に埋め込まれている端末で連絡を取るのが一般的だ。


 他にも酸素供給装置なども設置されており、宇宙船に必要なものがいくつも目に付いた。


 ここは宇宙船の中だということは分かったが、だからこそ深々とため息を吐いた。


 ここで暴れたとしても、逃げ出す方法が分からない。


 戦闘機の操縦も、宇宙船の操縦も、本番ではまだこなしたことがないのだ。


 模擬装置で練習しただけでは、いきなりぶっつけ本番など出来る訳がない。


 それに学んでいるのは操縦方法だけであり、宙図も読めないし、計器類の数値もまだ把握出来ない。


 ここから自力で逃げ出すのは絶望的だった。


 それでも絶望せずにいられるのは、トリスの保護者であるクラウスがロッティの有力者であり、自由に動かせる戦力としてのリーゼロックPMCを保有しているからだ。


 護衛のイーグルはトリスが攫われるのを目にしているし、その報告は必ずクラウスのところに届けられるだろう。


 そうなれば確実に救出が行われる。


 迷惑を掛けてしまうのは申し訳ないが、それでも助けて貰えるという安心感はトリスを少しだけ前向きにさせていた。


 今は敵の目的を知ることが大切だと、意識を切り替えた。


 マーシャならばきっとそうすると思ったからだ。




 そしてトリスは他の部屋に移動させられた。


 身体を縛り付けられたままだったが、それについては構わなかった。


 今は情報を集めるのが先だと割り切っている。


「やあ、亜人の少年。初めまして。私はセッテ・ラストリンドという」


「………………」


 連れて行かれた先に居たのは、白衣の男だった。


 灰色の髪を整髪料で撫で付けた、やや神経質そうな男だった。


 黒い瞳はトリスの内側まで見透かしそうなほどの執念がある。


「こちらが名乗ったからには、そちらも名乗り返して貰いたいんだがね」


「誘拐犯に対して尽くす礼儀は持っていないよ」


「それもそうか。確かに我々は君を誘拐した。本当は女の子とセットで攫ってやりたかったんだがね。なかなか上手くいかなかった」


「………………」


 マーシャに手を出したら許さない……と危うく口に出すところだった。


 それではマーシャの情報を流してしまうことになる。


 それだけは避けたかった。


「君はトリスくんだろう?」


「………………」


「名乗って貰わなくてもある程度は調べているんだ。クラウス・リーゼロックがどこからか保護した亜人の子供。ジークスの亜人が全滅したのは残念だけど、各地では生き残っている亜人もいるだろうからね。探し続けて正解だった」


「………………」


 一つだけ分かったことがある。


 亜人の生き残りを探している事は間違いないが、トリスをジークスの生き残りだとは思っていないらしい。


 つまり、レヴィアースのことがバレた訳ではないようだ。


 そこは安心した。


 そしてジークスから逃げ出してきたという立場でなければ、マーシャの身は安全な筈だった。


「目的は?」


「ようやく喋ってくれたね。私の目的は亜人の身体を研究することだ」


「人体実験か」


「その通り。死体よりも生きている身体からの方が多くのデータが取れるからな。生きているサンプルが欲しいとずっと思っていたんだ。ロッティのクラウス・リーゼロックが亜人の子供を養子に迎えたと聞いて、様子を見に来たんだが、本当に活きが良さそうで驚いたよ。これならば十分に実験に耐えられる筈だ」


「こんなことをして、タダで済むと思っているのか?」


「亜人の子供をどうにかしたところで、責める人間はいないと思うがね」


「それは僕の保護者を甘く見すぎだ。あの人は僕たちに正式な戸籍を与えている。つまり僕たちにはれっきとした市民権がある。その上でこんなことをしているのなら、立派な犯罪だぞ」


「やれやれ。クラウス・リーゼロックも物好きなことをする。亜人を愛玩する為に飼っているかと思えば、本当の意味で可愛がっているとはね。戸籍まで与えて、真っ当な生活をさせている? 正気とは思えないね」


「……僕たちには真っ当な生活をする権利すらないって言いたいのか?」


「そうだろう? 亜人の社会にいれば真っ当な生活は出来るだろうが、人間は亜人を差別するのが基本姿勢だ。そんな世界で真っ当な生活を望む? 馬鹿の考えだろう、それは」


「………………」


 馬鹿の考えなんかじゃない。


 少なくとも、その夢は叶いかけていたのだ。


 クラウス・リーゼロックが庇護しているのなら、街の人間達はトリス達に手を出せない。


 そして素直な気持ちで接していく内に、本当の隣人として可愛がってくれていた。


 トリスにはそれが嬉しかったのだ。


 人間を憎む気持ちはあったけれど、全ての人間があんな奴らばかりではないと、そう思うことが出来ていたのだ。


「どちらにしても貴重な亜人の素体を諦めるつもりなんてない。人間とほとんど変わらない身体構造でありながら、こ

こまで違うのは興味深いからな。特に能力面の開花は素晴らしい。あらゆる面で天才性を発揮する可能性がある。クローン技術を用いれば、人間よりも圧倒的に優れた人型兵器が出来上がる。実に興味深い。解剖してみるのも面白そうだが、それは死体相手でも出来るからな。生きている間はじっくりと研究させて貰うことにしよう」


「………………」


「どうした? 恐怖で声も出ないか?」


「……違う」


「何が違う?」


 トリスの声は低い。


 何かに耐えているものだった。


 しかしそれは恐怖などというものではない。


 もっと別のものだ。


 彼が最も許せないと感じるもの。


 その為に、確かめなければならないことがある。


「死体の解剖なら、いつでも出来ると言ったな?」


「ああ」


「それは僕が死んだらいつでも出来るということか?」


「いいや。亜人の死体は大量に確保してある。ジークスで起こった内戦は大いに都合が良かったからな。大人も子供も、好きなだけ遺体を回収出来た。ただ、皆殺しを徹底しすぎていたのが困りものだな。少しぐらいは生きている素体が欲しかったからな。まあ、君が手に入ったのだから結果的には良しとしよう」


「………………」


 トリスの目の前が真っ赤になった。


 アメジストの瞳が赤く染まりかける。


 純粋な怒り、いや、憎悪の為だ。


 仲間は死んだ。


 自分はそれを見捨てて逃げ出した。


 だけどそれで終わりだと思っていたのだ。


 死んだ仲間には何も出来ない。


 そう思って、今の生活に馴染もうとしていた。


 しかしもしもそうでなかったとしたら?


 セッテの持つ『死体』がトリスの知る仲間のものだとしたら?


 ジークスで死んだ亜人の数はかなりのものだろう。


 その中にトリスの仲間がいるとは限らない。


 しかしこれだけは確かめなければならなかった。


「もしもその中に僕の仲間達がいたら、僕はお前を絶対に許さない」


 低く唸るような声で言うトリス。


 そこに込められていた憎悪に気付かなかった訳ではないが、セッテはそんなことで動じるような性格ではなかった。


 多くの死体を扱っているのだ。


 その程度で参るような神経は最初から持ち合わせていない。


「許さない? その有様で何をするつもりだ? もとより、君の感情はどうでもいいんだよ。君は一生ここに閉じ込められて、実験にその身体を捧げることになる。死ぬまで切り刻まれて、そして死んだ後も切り刻まれる」


「………………」


「私が聞きたかったのはあの少女の他に亜人の生き残りがいるのかどうかだが、その様子だと正直に答えるつもりはなさそうだな」


「当たり前だ」


「まあいい。あの少女も出来れば確保したいからな。状況が落ちついたらまたロッティに戻るつもりだ。あの少女の命を盾に取られても、同じ事が言えるかどうか、試してみようじゃないか」


「………………」


 セッテはマーシャのことも諦めるつもりはないらしい。


 しかしトリスが誘拐された以上、マーシャの警備は更に厳重になる筈だ。


 あのクラウスが自分の領域で二度もこんなことを許す筈がない。


 だからマーシャのことはそれほど心配してはいなかった。


 それよりも、このまま捕まっておくつもりはなかった。


 絶対に確かめなければならないことがある。


 その為に、今は耐えようと決めた。


 必ず自由に動ける時がくる。


 その時には絶対に思い知らせてやると決めていた。


「ではまずは血液サンプルから貰おうか」


「………………」


 トリスの小さな腕を取って、注射器を近付けられる。


 採血の為だろうが、トリスは抵抗しなかった。


 今の時点で抵抗しても無駄だからだ。


 アメジストの瞳でセッテを睨みつけながら、それでも耐え続けた。

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