第40話 旅立ちと始まり 4

 腕を組んでレストランを出た二人は、適当に街中をぶらついていた。


 開いていない店も多かったので、スターリットを散歩したり、時々買い食いをしたりするだけだったが(あれだけ食べたのに歩き始めたらまた食べたくなったらしい)、マーシャはそれだけで楽しそうだった。


 そんな楽しそうなマーシャを見ていると、七年前の彼女を思い出してしまう。


 本当にあの時の子供がここまで育ってしまったんだなぁと、感慨深い気持ちにもなってしまうのだ。


 一瞬だけ自分が酷いロリコンになってしまったような気分にも襲われてしまうのだが、それは目の前の美女を見ることで打ち消した。


 過去はどうであれ、今は文句無しの美女なのだ。


 まだ十代の筈だが、見た目は申し分無しなので問題無し、と判断した。


 そしてデートの上では当然の流れとして、ホテルにも行った。


 マーシャを美味しくいただいたレヴィだが、肝心のマーシャの方はダメージが大きすぎたらしく、ベッドの上でぐったりとしていた。


「う……うぅ……」


 気力と体力を消耗しすぎて、うつ伏せでぐったりとなっている。


 三角の耳はぺったりと垂れてしまい、ふさふさだった尻尾の毛並みもやや萎れてしまっている。


 気力体力欠乏状態だった。


 そういうことは初めてだったので、緊張してしまっていたというのもある。


 常に自然体でいようと決めているマーシャだったが、それにも限界はある。


 レヴィに任せてみたが、やはり身体の方は保たなかった。


「やっぱり初めてだったんだな」


「あ……当たり前だろう……。レヴィが初恋なんだから……」


「そう言って貰えるのは嬉しいけどな」


 ぐったりしているマーシャの頭を自分の腕に乗せてやり、そのまま抱き寄せる。


 お互いに一糸まとわぬ姿だったが、その分体温を感じられて心地いい。


 先ほどまでは思う存分乱れていたが、今はのんびりとした時間を過ごしている。


「それにしても立派な毛並みだなぁ。いつまでも触っていたくなる」


「……やっぱり相変わらずだな」


 昔からマーシャやトリスの尻尾がお気に入りだったので、今も触っている。


 萎れてしまった尻尾を丁寧に撫でつけて、つやつやなもふもふへと戻そうとしている。


「レヴィは不思議だな」


 すぐ近くにあるレヴィの顔を見て、マーシャが笑う。


 少しだけ力が抜けた笑顔だった。


「何が?」


「今までこの姿を晒したら、大抵の人は差別してくる。投資家としてのパーティーに呼ばれたこともあって、出席したこともあるけれど、亜人だと分かると侮蔑の視線を向けてくることも珍しくない。獣臭いと言われたこともある」


「そりゃあ、見る目が無いな。こんなにいい匂いなのに」


 確かに獣耳と尻尾は持っているが、獣臭いどころか、とてもいい匂いがする。


 レヴィにとっては差別どころか心地いいぐらいだった。


「でもその様子だと、亜人だということはそこまで隠さなくても良くなっているのか?」


「少なくとも、ジークスの生き残りだということはバレない。他の星に散っていた亜人の一人ということになっているからな。お爺さまがそういう風に過去を偽装してくれた。今の私はマーシャ・インヴェルクであってマティルダじゃない。マーシャ・インヴェルクとしての私は誰にも追われる理由が無いんだよ」


「今回はしっかり追われていたけどな」


「あれだってエミリオン連合軍としては表沙汰に出来ない作戦だった筈だ。きちんと片付けた以上、この先は問題無いと思う」


「それなら安心だな」


「うん。安心だ」


 ぎゅっとレヴィに抱きつくマーシャ。


 体温の心地よさが気に入ったらしい。


 胸板に頭を乗せてごろごろとすり寄ってくる。


 狼というよりは猫みたいで可愛らしい。


 そんなマーシャの頭をよしよしと撫でてやると、また嬉しそうにしていた。


 子供扱いは怒るかと思ったが、そうでもないらしい。


「でも、そういうことなら堂々と耳尻尾を出して歩けばいいのに」


「追われることはないと分かっていても、差別的な視線を受けるのはあまり気分のいいものじゃない。隠しておけるのならその方がいいんだ」


「俺は気にしないのに」


「レヴィの方が特殊なんだ」


「クラウスさんは?」


「もちろんお爺さまも特殊だな」


「可愛がって貰えたんだな」


「もちろんだ。お爺さまは私にとって大切な家族だ。それぐらい、大切にしてくれた。今も大切にしてくれている。感謝している」


「そうか。今度、お礼に行かないとな」


「今度こそレヴィをスカウトするかもしれないな。エミリオン連合軍に遠慮する理由が無くなったから」


「うーむ。俺だけならまだしも、オッド達もいるからなぁ」


「お爺さまなら三人まとめて引き取ってくれると思う」


「かもな。オッドも優秀だし、シャンティも天才だし」


「あげないけどな」


「へ?」


「三人とも私が引き取る。私の仲間にする。私がスカウト中なんだから、お爺さまにはまだあげない」


 そう言って悪戯っぽく笑うマーシャ。


 子供っぽい笑みが微笑ましい。


「俺はまだ返事はしていないぞ」


「うん。そうだな。だから私は期待して待っているだけだ。ワクワクしながら待っている」


「………………」


 断られるとは思っていないらしい。


 確かに、二人の了承さえ得られれば断るつもりはないのだが。


 まっすぐに自分を信じてくれているその顔が、嬉しくもあり、少しだけ後ろめたくもある。


 裏切るつもりはないのだが、マーシャの気持ちに決定的な部分で応えられないことが分かっているからこそ、申し訳ない気持ちになってしまうのだ。


 マーシャはそれでもいいと言ってくれるだろう。


 レヴィがマーシャの過去を知るように、マーシャもレヴィの過去を知っている。


 だからこそ、マーシャの気持ちに応えられない理由を知っている。


 マーシャはそれでいいと思っていた。


 傍に居られれば、それでいいと思っていた。


 ただ、もう一度会いたい。


 そして一緒に居たい。


 それだけを願っていたマーシャにとって、それ以上踏み込む理由は無いのだ。


 もちろん、踏み込みたいという願いはある。


 しかしそれはレヴィを傷つけてまで叶えたい願いではないのだ。


 レヴィは幼い頃のマーシャを護ってくれた。


 絶望から救い出してくれた。


 かけがえのない恩人でもある。


 少なくともマーシャはそう考えている。


 きっとトリスも同じだろう。


 だからこそ、許せなかった。


 レヴィはマーシャを助けてくれたのに、マーシャはレヴィを助けられなかった。


 レヴィが一番辛い時に、絶望の中にいる時に、助けてあげられなかった。


 貰ったものを返すことが出来なかった。


 結局、レヴィは自分達だけの力でそれを乗り越えてしまった。


 力になって貰えたのに、力になってやれなかった。


 それがマーシャには悔しい。


 マーシャがエステリの悲劇を知ったのは、その事件が起こってからしばらく経ってからのことだった。


 間に合わなかったし、悔やんでも悔やみ切れないぐらいに手遅れだったのだ。


 しかしマーシャはそこで嘆くだけに留まったりはしなかった。


 死んだ筈のレヴィの痕跡を必死で辿り、そしてスターリットの運び屋レヴィの情報を掴み取ったのだ。


 二年ほど前にスターリットを訪れ、こっそりとレヴィの様子を確認した。


 生きていたことが嬉しくて、声を掛けたくなった。


 しかし運び屋としての仕事に勤しむ中、ふと空を見上げた姿を目にしてしまった。


 焦がれるような、悔やみきれないような、ぐちゃぐちゃな表情。


 地上に墜ちてから、ずっと宙を見上げている。


 もう二度とあの場所に戻れない。


 もう二度と戦場には戻りたくない。


 それでも、あの宙に焦がれている。


 このままにはしておけなかった。


 あの時は間に合わなかった。


 だけど、次はきっと間に合う。


 レヴィを星の海に還してあげたい。


 思う存分星の海を飛び回ってもらいたい。


 全てを諦めてしまっているレヴィに、希望を取り戻して欲しい。


 その為の力を、今度は自分が与えるのだ。


 そう決めたマーシャは早速その願いを叶える為の作業に取りかかった。


 リーゼロック・グループの宇宙船開発部門からデータを引っ張ってきて、宇宙船の開発について勉強した。


 それから戦闘機の開発についても勉強した。


 途中で協力関係になったブレーンとも知恵を出し合って、世界に一つだけの宇宙船と戦闘機を造り上げたのだ。


 最強の宇宙船。


 そして最強の戦闘機。


 胸を張ってそう言えるだけのものを用意した。


 そしてレヴィの前までやってきたのだ。


 これだけの好条件を提示して、断られるとは思っていない。


 ……いや、少しだけ思っている。


 物事に絶対などということはあり得ないし、それに、レヴィは二度と仲間を失いたくないと思っている筈だから。


 新しい仲間を得ることを恐れている。


 そんな気がするのだ。


 自分はレヴィを想っているが、レヴィにとっては助けた子供の一人でしかない。


 想われているなどと、自惚れることは出来ない。


 それでも、助けて貰える程度には好かれていると思っていた。


 だからこそ、やるべきことははっきりしている。


 自分に出来るのは、手を差し出すことだけ。


 その手を取るかどうかはレヴィに任せる。


 失敗したら諦める。


 その先どうするかは決めていないが、スターリットにしばらくいるのもいいのかもしれないと思っていた。


 一緒に旅をするのは諦めても、レヴィを護ることは諦めない。


 今度こそ手の届く場所にいるのだから、絶対に護ると決めている。


 基本的に後先はほとんど考えていないマーシャの行動だが、心の赴くままに進むにはそれが一番だということも分かっていた。


 後先という選択肢は人生においてとても大切だが、それがあるからこそ立ち止まったり、迷ったりしてしまう。


 本当に欲しいものがあるのならば、後先など考えずにひたすら手を伸ばすべきなのだ。


 失敗した時のことは、失敗した後に考えればいい。


 少なくともマーシャはそう思っていた。


「レヴィ」


「なんだ?」


「もし、レヴィが断ったとしても、私はここにいたい」


「………………」


「一緒に運び屋をしたい訳じゃないんだ。ただ、手の届く場所に居たいんだ。今度こそ、護りたいから」


「普通は立場が逆なんだがなぁ」


 女の子に護られるほど弱くはないつもりだった。


 しかしマーシャがあの事件を知っているのなら、そう考える気持ちも理解出来てしまう。


 護れなかった後悔は、レヴィの中にもあるのだから。


「私が近くに居ても、邪魔じゃないか?」


「邪魔なんてことは考えたこともないな」


「そうか」


 だったら傍に居ようと決めた。


 邪魔にならないのなら、傍に居たい。


 それがマーシャの願いだから。


「一週間後。宇宙港で待っている」


「分かった。どちらにしても宇宙港には来る。その時に返事をする。それでいいか?」


「うん」


 ぎゅっと抱きついてくるマーシャ。


 そのマーシャを抱き返してから、レヴィは笑いかける。


「それはそれとして、もうちょっと付き合って貰おうか」


「え?」


「最初はマーシャに合わせてたから、まだまだ元気いっぱいなんだよな。マーシャもだいぶ回復したみたいだし、第二ラウンド、行ってみようか」


「………………」


 マーシャの顔が一気に引きつる。


 一度だけでもかなりの体力と気力を奪われる経験だったのに、ろくに休憩を挟まないまま第二ラウンドに突入しようとしている。


 初めてということを差し引いても、容赦の無いレヴィだった。


 しかし求めて貰えるのが嬉しくて断れなかった。


 結果として、マーシャは起き上がれなくなるまでレヴィの欲望に付き合うことになるのだった。

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