第3話 トリス

 その夜、トリスは眠れなくなって部屋を出た。


 亜人の子供は一定のエリアから出ることは許されていないが、それでも庭に出ることぐらいは出来る。


 外回りには脱走防止用の迎撃装置があるので、人間の見張りはいない。


 もとより、奴隷に人間の見張りなど勿体ないと考えているのかもしれない。


 人の目が無いのは助かるが、逃げられないのならあまり意味は無い。


 左手には包帯が巻かれている。


 珍しく怪我をしてしまった。


 迷いながら闘った所為だろう。


 相手も驚いていたが、その隙を突いてすぐに昏倒させたので決着はむしろ早かったぐらいだ。


 しかし今後もこんな状態で戦い続けたら、自分が壊されてしまう。


 しかしどうすればいいのかも分からない。


 悶々とした悩みを抱えながら、トリスは外に出る。


「うっ……ぐぅっ!」


「え……?」


 少し離れた位置から呻くような声が聞こえた。


 苦しみに耐えるような声だ。


「誰かいるのか?」


 トリスは心配になって声が聞こえた方へと向かう。


 もしかしたら誰かが体調を崩しているのかもしれない。


 戦いの傷が悪化しているのかもしれない。


 だったら治療しなければならない。


 そう考えたのだが、そこに居たのはマティルダだった。


「マティルダ……?」


 壁の向こうに隠れていたマティルダは、膝をついて呻いている。


「トリス……?」


 マティルダの方も驚いたようにトリスを見ている。


 こんな時間に誰かが来るとは思っていなかったらしい。


「何をしているんだ? 随分と苦しそうだったけど」


「お前には関係ない」


「………………」


 ばっさりと拒絶されて落ち込むトリス。


 やはり嫌われているのだろう。


 トリスの方はマティルダを憎からず思っているので、この反応は辛かった。


「はぁ……はぁ……」


 マティルダは呼吸を整えている。


 やはり調子が悪そうだ。


「どこか悪いのか?」


「………………」


 心配して声を掛けたのだが、無視された。


 少しだけむっとなったが、ここで言い合いを始めたらマティルダからはより一層嫌われてしまうような気がしたので堪えた。


 これ以上嫌われたくはないのだ。


「………………」


「………………」


 気まずい沈黙が続く。


 マティルダの銀色の瞳は今すぐ立ち去れと訴えていたが、体調が悪そうな彼女を置いて立ち去るという選択肢は存在しない。


 そんなことが出来る性格ではないのだ。


「……はぁ」


 マティルダはため息交じりに諦めたようだ。


 こういうところでは頑として引き下がらない相手だということは、うんざりするほどに理解してしまっているのだ。


 出来れば誰にも知られたくはなかったが、トリスならば他人に話すようなことはしないだろうと思ったので、お構いなしに続けることにする。


 マティルダは大きく息を吸って、そして覚悟を決めた。


 自分の首輪に手を伸ばし、そして触れた。


「マティルダ!?」


 この首輪は自分達を縛り付ける為のものだった。


 触れるぐらいならなんともないが、無理にはずそうとすると電気が流れる仕組みになっている。


 遠隔操作も可能な代物で、リモコン一つで即死級の電撃を流されることもある。


 言うことを聞かない亜人を調教する為に作られたものらしいが、最初の方はトリスも随分と酷い目に遭ったことを覚えている。


 何度も電気を流され、身体が動かなくなったことも数え切れないほどに経験している。


 だからこそ、今は触れることすら恐ろしい。


 それはマティルダも同じ筈だ。


 ここに来たばかりのマティルダはトリスと同じぐらい反抗的な子供だった。


 何度も電気ショックを受けて、倒れている。


 その時のトラウマが解消されたとは言えない状況だ。


 それなのに、自分から首輪に触れようとしている。


 無理に引っ張れば電気が流れるのに、それでも躊躇わずに。


 いや、躊躇ってはいる。


 その顔には恐怖が張り付いている。


 あの頃の恐怖が消えた訳ではない。


 そして、克服出来た訳でもない。


 それでも、足掻くことはやめない。


 意志の強い銀色は、決して諦めない。


「マティルダ!!」


「うあっ!!」


 ぐっと引っ張ったマティルダは電気ショックを受ける。


 目に見えるほどの電気が流れ、そのまま膝をつく。


「大丈夫か!? マティルダ!!」


 トリスが慌てて駆け寄るが、触れた瞬間に感電してしまい、手を引いた。


「うっ!」


 びりっとした刺激が手に残っている。


 マティルダはこの何倍もの刺激を全身に浴びた筈だ。


「マティルダ。どうしてこんなことを……」


「お前には関係ない」


「マティルダ」


「………………」


 答えを聞くまでは引き下がらない。


 そういう態度だった。


 マティルダは盛大なため息を吐く。


 彼は自分を嫌っている相手であっても、心配せずにはいられない。


 そういう性分なのだ。


 心配されていることは分かっている。


 しかし、何も出来ない癖に心配ばかりされても腹立たしいだけなのだ。


 そしてそれと同じぐらい、自分を心配してくれる相手がいるということに、少しだけ救われてもいた。


 トリスのことは大嫌いだったが、彼が自分を思いやってくれていることは、少しだけ救いになっている。


 誰にも想われないというのは、辛いことだから。


 自分は誰のことも想っていないのに、誰かからは少しだけ想われたいなどというのは、虫のいい話だということは分かっている。


 だから自分からそんな気持ちを求めたりはしない。


 だけどトリスは仲間に等しくその気持ちを向けてくれる。


 それに少しだけ救われている。


 だから、突き放せなかった。


 嫌いであっても、このまま突き放すことだけは出来なかったのだ。


「心配しなくてもいい。ただの訓練だから」


 だから何をしているのか教えてやることにした。


 トリスになら知られても問題はないだろうと判断したのだ。


「訓練?」


 案の定、トリスは不思議そうに首を傾げている。


「電撃に慣れていけば、いざという時に使われても生き延びられるかもしれないだろう?」


「……それで、普段から電撃を受ける訓練を?」


「………………」


 こくりと頷くマティルダ。


 呆れるトリスに対して、マティルダは大真面目だった。


「随分と無茶をするね。大体、電撃なんて絶縁体でしか防ぎようが無いじゃないか」


「そうでもない」


「え?」


「人間の身体はどうか知らないが、私達亜人の身体は適応力が高い。電撃にも慣れるということだ」


「そう……なのか……?」


「少なくとも、同じ電撃でも最初よりはマシになってる」


「………………」


 そう言えるほどに何度も試してきたという事実が恐ろしかった。


「最初は一撃で立ち上がれなくなったけど、今は一日に十回ほど受けても耐えられるようになっている。ちなみに、今ので十二回目」


「………………」


 呆れるのを通り越して、ドン引きした。


 あの恐ろしい電撃を十二回も自分から受ける神経が信じられない。


「そんなことをしていたら、そのうち死ぬぞ」


 電気ショックの恐ろしいところは、外傷ではない。


 その心臓を止めてしまう可能性があることだ。


 逆を言えばその刺激で止まってしまった心臓を動かすことも可能だ。


 そういう応急処置もあると聞いたことはある。


 しかし自分達はそんな治療法など知らない。


 心臓が止まれば、そのままなのだ。


 それが分かっていてこんな恐ろしい訓練を続けているマティルダが理解出来なかった。


「理解出来ないなら、それでいい」


「マティルダ……」


「少なくとも、私の身体はだいぶ電撃に慣れてきた。逃げ出すことは絶望的であっても、それでも出来ることを諦めるつもりなんてない。それに状況が変わればあいつらはこの首輪を使って私達を一気に処理する筈だぞ。トリスにだってそれは分かっているだろう?」


「それは……」


 分かっていることではあった。


 しかしだからといって、死ぬかもしれない訓練を続ける理由にはならない。


 誰だって、死の運命は先延ばしにしたいに決まっているのだから。


「どうせ死ぬのなら、最期まで足掻きたいだけだよ。諦めるのは性に合わない」


「………………」


「この訓練をしておけば、致死の電撃を受けても生き残れるかもしれない。少なくとも、私はその可能性に賭けようと思ったからこそ、こうして訓練をしている。そして成果も出ている以上、やめるつもりは無い。運悪くその前に死んだとしても、何もしないよりはマシだからな」


「強いな、マティルダは……」


「トリスの方が強いじゃないか」


「僕が強いのは戦闘だけだよ。それ以外では、弱い。マティルダよりもずっと弱い」


「まあ、そうだな」


「………………」


 少しぐらいは慰めて欲しかったのだが、マティルダは容赦なく肯定した。


 それがかなりのダメージになってトリスの心に突き刺さる。


 同時に、否定して慰めて欲しかったと思っていた自分にも驚いた。


 弱いと分かっていたが、ここまで弱っていたのかと自分で呆れてしまう。


「慣れることに気付いているなら、他の奴にも教えてやればいいのに」


「そんなことをしたら隠しきれないじゃないか」


「え?」


「みんなが同じ訓練をしていたら、人間の方が警戒する。こうやってこっそりやる分には監視カメラの死角で行えばいいけど、全員をその状況で訓練させることは出来ないだろう?」


「それはまあ、そうかな」


「人間に警戒されたら、もっと酷いものを装着させられるかもしれない。電撃の出力を上げられるかもしれない。そんなリスクは冒せない」


「それは、他の仲間を見捨ててでも?」


「もちろん」


「助けようとは思わないのか?」


「助かる努力は自分でするべきだ。少なくとも、私はそう思う。こんな地獄で誰かの助けを夢見ているなんて、おめでたすぎるだろう。自分のことは自分で助ける。その為に出来ることなら何でもする。そうやって足掻いた先に、自分だけしか助からなかったとしても、それは仕方のないことだと割り切っているさ」


「………………」


 マティルダの言うことは正しい。


 他人のことに構う余裕が無い以上、自分を助ける努力を最優先にすることは当然だった。


 そして自分を助ける努力を怠り、他人の助けを夢見てしまうのはただの甘えだ。


「トリス。言っておくけど、この状況はお前の所為でもあるんだからな」


「え?」


「お前がみんなを助けようとしているからこそ、みんなはそこに救いがあると思ってしまうんだ。錯覚でしかないのにな」


「………………」


「希望を持たせて、責任を取れとは言わないけど。でも縋られている以上、あいつらが希望を持ったまま死んだなら、その責任はお前にある筈だぞ」


「それは……」


「まあいいけど」


「おい」


「だって私には関係ないし。まやかしの希望を与えたのがお前であっても、何も考えずに縋ったのはあいつらの責任でもあるからな。まあ、公平に考えて半々ぐらいか」


「………………」


 随分と厳しい意見だった。


 しかし間違ってはいない。


「…………はあ。今日はもうやめる」


「え?」


「気分じゃなくなったし、これ以上は明日の戦闘に響くからな」


「……そこまで計算しているのか」


「当然だろう。こんなことに耐えたとしても、その前に私が壊されたら意味がないからな」


「ごもっとも」


 どんな時でも冷静さと冷徹な計算を崩さない。


 こういう部分はトリスにはない、羨ましいと思えるところだった。


 そのままマティルダは立ち去ると思ったのだが、立ち止まってから口を開いた。


 トリスの方は振り向かないままだ。


 どうしても気になっていたことがあった。


「トリス」


「なに?」


「一つだけ、訊きたいことがある。答えたくないなら答えなくてもいい」


「僕に答えられることならいいよ」


「どうして、みんなを助けようとするんだ?」


「え?」


「私も、他の奴も、自分のことだけで精一杯だ。今日一日、明日一日、生き延びられるかどうかさえ分からない。それなのに、どうして他人のことまで気に掛けられる?」


「それが疑問?」


「ああ。答えたくないのなら、答えなくてもいいけど」


「………………」


 マティルダにはそれが分からなかったのだ。


 自分のことだけで精一杯なのに、他人を助けようとする。


 それは強者の余裕だろうか。


 それとも別の理由だろうか。


 それが気になった。


 そこにある種の強さが、マティルダの知らない強さがあるのなら、この行き詰まった状況の突破口になるかもしれないと思った。


 その部分に関しては大して期待していなかったが、それでも疑問に思っていたことは確かなのだ。


「やっぱり、おかしいと思う?」


 それを問いかけられたトリスは苦笑していた。


 自分でもおかしなことをしているという自覚はあるらしい。


 そしてマティルダのような考え方が、この状況では正しいのだということも理解している。


「おかしいと思うし、不思議だ。だから理由が知りたかった」


「そっか。まあ、大した理由じゃないんだけどね」


「そうなのか?」


 ここでようやくマティルダが振り返った。


 きょとんとした、不思議そうな表情だった。


 トリスを嫌っている筈なのに、そこにあったのはあどけない表情だ。


 トリスはマティルダのそんな表情を初めて見た。


 少しだけ胸が高鳴る。


「うん。本当に、大した理由じゃないんだ。僕自身の為でしかないから」


「………………」


 マティルダは視線だけで先を促す。


 トリスもここまで話した以上、隠すつもりもなかった。


「僕はマティルダがここに来る前から捕まっていたからね。その時からずっと闘っていた」


「知ってる」


「だから、君が知らない僕もいる訳だ」


「当然だろう」


「うん。そうだね」


 そこは少しぐらい興味を持って欲しいと思ったのだが、実にどうでもよさそうだった。


 興味があるのは肝心の理由なのだから。


「僕も最初はマティルダと変わらなかったよ。自分が生き延びるので精一杯で、他人のことなんて気に掛ける余裕がなかった。それに最初の頃は僕も弱い方だったからね」


「トリスが?」


 信じられない、という表情でトリスを見るマティルダ。


 今のトリスからは信じがたいのだろう。


「努力の結果だよ」


「なるほど」


 それなら納得だ。


 努力は成果に繋がる。


 報われるかどうかは別として。


 しかしその努力も余裕があるからこそ出来るのではないかと思う。


 生き延びるのに精一杯で、怪我をしたら回復するので手一杯なのだ。


 時間がある時は休息を摂るのがここにいる子供達の通常スタイルだ。


 余計な体力を消耗すれば、それだけで命取りになるのだから。


「僕はね、何度目かの戦いの時に、女の子を一人殺しているんだ」


「え……」


 それは信じられないような言葉だった。


 誰のことも傷つけたくない、誰も殺したくない。


 それがトリスの考えだった筈だ。


 それなのに、同じ亜人を、しかも女の子を殺したことがある。


 それはマティルダにとって衝撃的な事実でもあった。


 トリスは辛そうに目を伏せる。


 その時のことを思い出しているのだろう。


「その子は、僕の幼なじみだった。同じ村で育って、兄妹みたいに過ごしてきたんだ。僕は彼女が大好きだった。彼女も、きっと僕を家族みたいに考えてくれていたと思う」


「初恋だったのか?」


「初恋とは、少し違うかな。傍に居るのが当たり前で、自然なことに思えたっていう関係。多分、家族みたいなものだったんだ」


「そうか」


 初恋というには近すぎる関係だったのだろう。


 マティルダにはそういう存在はいなかった。


 いや、居たのかもしれないが、もう思い出せない。


 ここに来る前の記憶は、既に霧の彼方へと消えている。


 過去がほとんど思い出せない。


 毎日電気ショックを身体に浴びせている悪影響もあるのかもしれないが、単純に思い出したくないからなのかもしれない。


 両親のことも、そこで過ごしていた記憶も、思い出せない。


 そしてそれを辛いと思えない。


 そんなことを考える暇があるのならば、今を、そして明日を生き延びることに使いたいと思っている。


 それは刹那的な生き方でもあった。


 しかしそうしなければ生き延びられなかったのだ。


 少なくともマティルダはそう信じている。


 しかしトリスは違う。


 過去を捨てていないし、捨てようともしない。


 忘れることに逃げたりはしない。


 いや、その子が傍に居たからこそ、忘れられなかったのかもしれない。


 支えてくれる存在だったのか。


 それとも逃げられない足枷だったのか。


 トリスにとってどちらだったのかは分からない。


 いや、本当は分かっている。


 大切な存在を足枷だと思えるような性格ではない。


 それぐらいは察することが出来た。


「僕も、彼女も、生き延びるのに精一杯で、相手を気遣う余裕はなくなっていた。彼女と闘いたくないと思うような余裕すら無くなっていて、僕は必死で闘ったよ。そして。気付いたら彼女に致命傷を与えていた」


「………………」


「その時、久しぶりに正気に戻った気がするよ。久しぶりに彼女の顔をまともに認識出来た気がした」


「………………」


 そこまで荒みきったトリスの姿というのが想像出来なかった。


 しかしそれだけの地獄を経験したからこそ、今のトリスがあるのかもしれない。


 なんとなくだが、マティルダはそう考えた。


「……泣いていたんだ」


「………………」


 そう言ったトリスの方が泣きそうな声を出していた。


 そして今すぐにでも泣き出してしまいそうな表情だった。


「死にたくないって、泣いてた……」


「………………」


「ずっと、死にたくない。このまま終わりたくないって、泣いてたんだ。そして、そのまま事切れてしまった」


「トリス……」


「僕は、その時の彼女の言葉と表情が忘れられない。どうしても、忘れられないんだ。それから、仲間を殺したり、壊したりするのが怖くなった。それが嫌だったから、強くなろうとした。必要以上に傷つけなくて済むように」


「つまり、その記憶から逃げたかった?」


「そうかもしれない。どうしても思い出してしまうから」


「忘れたい?」


「……分からない。忘れたら、きっと楽になれると思う。だけどそれは許されないような気がするんだ。僕が彼女を殺したから。死にたくないっていう、家族の願いを踏みにじったから。きっと彼女は僕を許してくれない。謝ることももう出来ないけど、ずっと許してくれないことだけは分かる。だからこそ、忘れたらいけないのかもしれない。忘れることすら、きっと許して貰えない」


「………………」


 死者は何も思わない。


 だから生きているトリスがそこまで自分を責める必要はないと、そう言ってあげられたら良かったのかもしれない。


 しかし言えなかった。


 楽になれないのではなく、楽になろうとしていない相手にそんなことを言っても、意味はないからだ。


 忘れたいと口にしていても、きっと忘れたくないと思っている。


 その記憶が今のトリスを支えているのなら、尚更だろう。


「僕は優しい訳じゃないよ。ただ、嫌な記憶と向き合いたくないだけなんだ。強くなんてないし、そう言われる資格もない」


「そうだな」


 マティルダはトリスのことを強いと思っていたが、その考えは改めることにした。


 彼は弱い。


 優しく見えるのは、嫌な記憶から必死で逃げようとしている結果なのだろう。


 それでも、逃げたらいけない部分では逃げていない。


 ギリギリのところで踏みとどまっている。


 それだけは認めてもいいと思った。


「私が仲間を壊すのを責めるのは、自分がその記憶を思い出したくないからってことか」


「……ごめん」


「いいさ。理由が分かったら、少しだけすっきりした」


「そう言って貰えると助かるけど」


「つまり、偽善でも何でもないんだな。トリスはトリスなりに、必死なだけなんだ」


「うん」


「それが分かっただけでもいい」


「マティルダ?」


「でも、一つだけ忠告する」


「?」


「どうせ嫌な記憶から逃げるなら、もっと前向きになった方がいい。現状が変わらないと分かっていてみんなを助けようとするよりも、自分が助かることを優先して、努力をした方が、明るい未来が待っているかもしれないだろう?」


「あるのかな、そんな未来」


「分からない。実際は、酷い未来かもしれない。でも、そう信じなければ、前になんて進めないだろう。生きている以上、希望は必要なんだ」


「確かにね」


 マティルダの言うことは正しい。


 生きている以上、希望は必要なのだ。


 いや、生きようとする以上、というべきか。


 生きていても希望が無いのなら、死んでしまえばいい。


 自分で自分の命を絶てば、絶望はそこで止まるのだから。


 ただ、最期まで救われないだけだ。


 彼女のように、救われないまま終わるだけだ。


 それは嫌だった。


 終わりが見えない、何も変わらないと分かっていても、こうして足掻き続けているのは、やはりどこかに希望を探しているからなのだろう。


「言いたいことは分かるよ。でも、これまでのやり方は簡単には変えられない」


「だろうな」


 絶望から逃げる為にみんなを助けようとしているトリスは、簡単には変われない。


 今はトリスこそがみんなにとっての安心なのだ。


 彼がその考えを突然変えてしまえば、みんなは一転してトリスを憎悪することになるだろう。


 幼なじみの絶望を受け止めきれなかった彼に、他の仲間達の憎悪を受け止めろというのは酷な話だ。


 きっと耐えられないだろう。


 だからこそ、トリスは変われない。


 変わりたいと願っていても、簡単には変われないのだ。


 それはみんなの為ではなく、自分自身の為なのだ。


「すぐに変われなくてもいいさ。みんなを壊せとも言わない。ただ、現状維持をしながら自分が助かる道をもう少し前向きに考えてみてもいいんじゃないかって思っただけだ」


「ありがとう。努力してみる。じゃあ、一つだけお願いしてもいいかな」


「?」


「これ」


「………………」


 トリスは自分の首輪を指さした。


 電撃の首輪。


 自分達を縛る鎖でもある。


「せっかくだから、ここから始めてみようと思う。少しだけ付き合ってくれないかな」


「死んでも知らないぞ」


「根性で頑張るよ」


「今日だけだからな」


「うん。ありがとう」


 本当なら協力する義務など無い筈なのだが、トリスが自分自身の為に少しだけ歩き始めたことが嬉しくて、マティルダは手を貸すことにした。


 本心を話してくれたことへの礼なのかもしれない。


 マティルダはトリスの本心を知った後では、彼をそこまで嫌いとは思えなかったのだ。


 自分と同じで、ただ足掻いているだけなのだと分かったからこそ、少しだけ好感が持てた。


「まずはその首輪をぐいっと引っ張る」


「うん。ぐいっとだね」


 言われた通り、トリスはぐいっと首輪を引っ張った。


「ーーーっ!!」


 そして凄まじい電撃が身体に流れる。


 叫んでしまえば異常を知らせてしまうようなものなので、それだけは何とか耐えた。


 しかし叫びそうになるぐらいに強烈な電撃だった。


「うっ!」


 そのまま倒れるトリス。


 身体が動かない。


 指一本動かせない。


「あ……う……」


 何かを言おうとするのだが、何も言えない。


 口もしびれて動かせないのだ。


「最初は酷いものだろう?」


 そんなトリスの様子を見てニヤニヤするマティルダ。


 少しだけ意地悪な表情だ。


 いつも強者の余裕があると思っていたトリスのそんな姿を見るのは、少しだけ気分がいいらしい。


 あまり趣味がいいとは言えないが、協力する以上、これぐらいの報酬があってもいいだろうと思うことにしたらしい。


 それからたっぷり十五分は動けなかったトリスだが、痺れた身体を何とか動かして立ち上がる。


「これは……思った以上に強烈だな……」


 まだ身体を上手く動かせない。


 喋ることすら億劫だった。


「無理はしない方がいいぞ。ダメージが翌日まで残ると、戦闘に支障が出るからな。最初は一回だけにしておいた方がいい。五分以内に動けるようになったら、徐々に回数を増やしていくのがいいかもな」


「う、動けるようになるのか?」


「私はなった」


「………………」


 それはマティルダだからじゃないのかと言いたかった。


 戦闘能力ではトリスの方が上だが、その他の面では圧倒的に劣っていると自覚せざるを得ない。


 電撃の対策など、トリスには考えつかなかった。


 どうすればいいのか分からなくて、ただ日々を過ごしていただけなのだ。


 マティルダのように自分に出来ることを、前向きに行うということをしてこなかったのだ。


 トリスは呆れると同時にマティルダのことをとても尊敬し始めていた。


「多分、亜人の身体はダメージに対する適応力が高いんだ。これは私自身の体感だけどな。徐々に身体を慣らしていくことが出来る。一度食らったダメージは、次はもっと軽くなるんだ。あくまでも、感覚的なものだけど。この適応力を突き詰めていったら、ダメージゼロも夢じゃないかもしれない」


「マジで?」


「ちょっと夢のある話だろう?」


「すごく、夢があるな」


 見方を変えれば自分の身体をひたすらに虐め続ける自虐行為だが、目標がきちんと定まっている以上、これは別物だ。


「その気があるなら頑張ればいい。私は止めないし、応援もしない」


「応援ぐらいはして欲しいんだけど」


「却下。嫌いな奴の応援なんてしたくない」


「………………」


 しょんぼりしてしまうトリス。


 やはり嫌われているらしい。


 尊敬し始めている少女から嫌われるのは、かなり凹んでしまう。


 本当はマティルダもそこまでトリスを嫌いではなくなったのだが、素直に口に出すのも癪だったので、いつも通りの態度にしているのだった。


「なら、私はもう行く。起き上がれるようになったら部屋に戻ればいい」


「うん。マティルダ」


「?」


「ありがとう」


「別に、礼を言われるようなことはしていない」


「それでも、お礼を言いたかったんだ」


「………………」


 マティルダはトリスをまじまじと見てから、そのままぷいっとそっぽ向いた。


 どうやら照れているらしい。


 尻尾が落ち着きなく揺れている。



 この日、トリスとマティルダは少しだけ距離を縮めた。


 お互いに、分からない部分を理解したので、相手のことを少しだけ受け入れる余裕が出来たのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る