26話 大人と子供

 こういったケースでの避難について私たちは事前の訓練を受けていましたから、多少の混乱はあれど、みなは無事に安全圏に逃れられたのだと思います。


 推測で語るしかないのは、モンスター逃亡から避難誘導までのわずかな混乱の中、私がみんなと引きはがされ、女騎士さんに引っ張られ、さる大きなテントの中へと導かれたからでした。


 外は夕暮れ時だというのに、中はほぼ完全な暗闇でした。


 そのうちに小さな明かりが灯り、広いテントの中央に、大柄な人物が立っているのがわかります。


 真っ赤な髪を後ろになでつけ、立派なマントを羽織ったその人は、アルスル陛下であらせられました。


 私はとっさにひざまずきそうになりましたが、今は中身が陛下ら三英雄の恩人であるグレンだと思い出したので、横柄にあごを上げ、彼をにらみつけました。


「唐突ですまないね。進捗を聞いておきたくて」


 今、外では『ハント』で使うモンスターたちが逃げ出して、騒ぎになっているはずです。


 しかし陛下はそのようなこと、まったく気にも留めておられないようでした。

 陛下はグレンに接する時には、どこかひょうひょうとした態度なものですから(通常の式典などではいかめしい顔をされているようで、そういう絵画などをよく拝見します)、内心がよくわかりません。


 さて、進捗というのは、陛下がグレンに任じたという、『次代の三英雄選定』でしょう。


 実のところ、女騎士さんから『陛下がそう望んでいる』と伝聞で聞いただけで、直接言葉を交わすのは『グレン復活』の日以来初めてなので、どうにも『陛下からの使命』という実感がわきませんでした。


 しかしこうして進捗をたずねられると、本当に私には王命が降っていたのだなというのが、実感をもって感ぜられます。


「進捗と言われてもな。まだまだ、学園生活は始まったばかりだ」


 私は率直なことを申し上げました。

 言ったあとで『ガートルード様に聖剣を』とでも言っておけばよかったことに気づき、しまったと思いました。

 進捗報告を求めるのが、唐突すぎるのです。答えを準備する余裕がありませんでした。


「しかしグレン、剣舞のペアに選んでいた子がいたじゃないか。あの子は、君の目から見て、聖剣の担い手候補たる『なにか』があったんじゃないか?」


「待て待て」頭をおじさんモードにするのに、呼吸三回分の時間が必要でした。「進捗を聞きたいなら、事前に連絡をしろ。いきなり言われても、こっちもまとめる時間が必要だ」


「それもそうだ。けれどね、これは、君に対する試験も兼ねている」


「……俺に対して?」


「君、記憶や人格が不完全だと言っていただろう? 孫娘の記憶と混ざっているとも」


 言った気がします。


 どうにか私の中にグレンがいないことを悟られないようにとの方便でしたが、それは陛下の中で、意外な重みを持った言葉になってしまっていたようです。


「だから、こういうとっさの時に、君の人格が色濃く出てくるのか、それとも孫娘の人格が色濃く出てくるのか、それを知りたいのもあってね。唐突にたずねてみたんだよ」


「趣味が悪い」


「はははは。まあ、こっちは『ついで』なんだ。あのままグラウンドに君をおいておくわけにもいかなかったからね。避難のついでに招いて、久々に話をしたかった。……ところで本当に、ペアの子に聖剣の担い手として目をつけているわけではないのかな?」


「なんとも言えねぇのが現状だ。……だいたい、それを見るための聖剣祭でもあるんだろう?」


「それもそうだ。なら、君も見るといい。モンスター・・・・・を放った・・・・。聖剣学部生徒のとっさの対応が見られると思うよ」


 しばらく呆然としてしまいました。


 どうやらモンスターが逃げ出したのは、アルスル陛下の仕込みだったようです。


 私は、つい、怒気をはらんだ声で言ってしまいました。


「どうしてそんなことをした」


「……当時、戦った相手はどれもおそろしい連中ばかりさ。……でもね、僕が一番おそろしく、苦労した敵は、『平民の身でいきなり聖剣を担った子供』に対する、世間の風当たりだった」


 王様はうつむいたようです。

 顔が陰って見えなくなりました。


「僕は、次の聖剣の担い手には、最初からみなに望まれた英雄であってほしいと思う。世間なんていう余計なものと戦うことなく、みんなに応援されたうえで、英雄となってほしいと思っているんだ」


「……なにを言いたい」


「これから六年かけて、この学園に、『みんなに望まれる英雄』を創り出す」


「……」


「今回のモンスター放出も、その活動の一環だよ。聖剣候補が決まっていれば、その子にこの騒ぎを片付けさせるつもりだ。いないのなら、そうだな、ガートルードにでもやらせよう。あの子が一番、聖剣を継ぐ大義がある。世間を納得させる力がもっとも強いのが、あの子だろう」


「……学園ができてから今まで、聖剣を継がせる相手を選ばなかったのは、なんで?」


「理由は二つある。一つは、脅威が差し迫っていなかったこと。もう一つは、できうるなら、聖剣なんか誰も継がないほうがいいと、僕が思っているから」


「……なぜ」


「英雄は、戦いが終わったあと、誰にも望まれなくなったんだ」


「……」


「君が死んだあとの僕らの扱いは、それはもうひどいものさ。貴族からうとまれ、平民からも調子に乗っているとか、過去の人とか、そんなふうに言われた。前国王が護ってくださらなければ、僕は暗殺されていたか、投獄されていただろう。僕は王様になる以外に、生き残る道がなかったんだよ」


「……」


「だから、今度の英雄は、みんなで納得して選んでほしい。神様とかいうわけのわからない存在がいきなり指名するんじゃなくて、みんなに選ばれ、望まれ、役割を終えれば自然に社会に戻れる、そういう英雄である必要があるんだ。……そのためにはね、演出しなければならないんだよ」


 どうにもその先を聞きたくない気持ちでした。

 けれど彼は、言ってしまいます。


「演出をせずに英雄は生まれないから」


 ……どうやら私は、案外、英雄という存在に、夢を見ていたようでした。


 いえ、これはたぶん、私の夢ではないのでしょう。


 ハンナの夢。


 彼女が憧れをにじませて語った『聖剣の英雄』の物語。

 私の中にあったそれが、ヒビ割れて、くすんでしまった。私の中にあった、彼女の、無邪気な夢が。それがなんだか、衝撃なのでした。


 陛下の意見には、たしかに、彼なりの正義があるように思われました。

 私も『グレン』であり次代の英雄を育てる立場のフリをしていますから、こういう、夢の舞台裏を明かされることに、文句は言えません。


 ただ。

 ただ、私はどうしたって、許せないことが、一つだけ、あるのでした。


「なぜ、剣舞の終了を待たなかったのですか?」


「……どういうことだい? 深い意味はないよ。強いて言うなら、剣舞が終われば次は『ハント』だからね。みんな戦いの準備をしてしまう。そういう時にモンスターを放っても、危機感が薄いと思ったから、かな? 危機感のある状況を平定したほうが、英雄っぽく演出できるだろう?」


「剣舞のために努力をしてきた子がいます」


「……」


「そこで最高の動きをして、王様の目に留まるんだと、努力を重ねた子がいます。その努力を無碍むげにするようなタイミングでモンスターを放つ必要が本当にあったのか、私は聞いているんです」


「今は孫娘の人格が強く出ているようだね」


 ……は?


「だからなんだ」


「だから、とは?」


「俺が孫娘なのか、それとも俺なのか、そんなモンが今、関係あるのか?」


「……!? グレン、君、目の色が変わって……」


「誰が語ろうが、そんなモンはどうだっていいんだよ。大事なのは、テメェにあこがれて努力を重ねたガキの努力を無碍にしていいのか、そんなことをするほどの権利がテメェにあるのか、そこだろうが。意見を言った相手の立場が関係あるのか? 相手の立場で向き合うかどうかを決めるのか?」


「……いやしかし、それは」


「そいつは、テメェを英雄としか見なかった、テメェの人格を尊重しなかった連中とどう違う? テメェを苦しめた連中と同じことを、ガキの世代相手にやるのか? どうなんだ、アルスル!」


「……僕は」


 耳が痛くなるほどの静けさの中に放り出されました。


 外からは放たれたモンスターに応じるものとおぼしき声が、漏れ聞こえてきているのです。

 けれどそれは遠く、この空間に満ちた重苦しい沈黙を、いささかもかき乱せない程度の音でしかありませんでした。


「僕は、間違っていたらしい。……本当にごめんなさい」


 気づけば陛下は謝罪をしていました。


 それはそれは少年のような、かわいらしく、しおらしい、謝罪なのでした。


「……ねえ、グレン、大人はさ、みんな、子供の時代を経験しているだろう?」


「……」


「だから、僕は、子供のことだって、わかっているつもりでいたんだよ。あのころの僕が感じた、苦しみを、絶望を、感じさせないように、配慮しているつもりでいたんだよ。……でも、僕は子供のころのことを、すっかり忘れてしまっていたらしい」


 陛下は顔を覆って、つぶやきました。


「君より年上になってしまったんだよね、僕も」


 それはそれは悲しげで、なんとも言えない、ささやきでした。

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