16話 決闘・後編

 ギュンター様は決闘場にたどりつくことができませんでした。


 私はことの顛末てんまつを詳しく存じ上げませんが、なんでも翌朝になって落とし穴から発見されたようです。

 誰がやったのでしょう。


「一番怪しいのが、アンなのよね」


 そういうわけで決闘の翌放課後、私は自室でガートルード様より取り調べを受けていました。


 たしかに客観的に見て、もっとも怪しいのは私なのです。


 なにせギュンター様と決闘する予定だったのは私であり、決闘に敗北すれば『ガートルード様のご友人』という得がたい立場を失うことになるのですから、動機は充分と言えるでしょう。


 私は涙をこぼしながらうったえます。


「たしかにガートルード様のご友人でなくなるのはつらいことです。けれど、対戦相手を罠にはめてまで、決闘を逃れようとは思いません」


 口ではそう言うものの、ガートルード様のご友人という立場は、私のようなものにはもったいなく思いますので、手放せるものであれば、すぐにでも手放したいというのが本音でした。


 そもそも私には勝利するメリットがないのでした。


 ギュンター様は『自分が勝ったらこうしろ』と私に言いましたが、彼が負けた時のことについて、なにも言及していないのでした。

 そのことについてガートルード様の側近であるマリーさんにたずねたところ、『決闘を挑むという行為そのものが、敗北すれば名誉を失うリスクを負っている。だから、決闘を挑んだ側は名誉を懸けているのだ』という回答をいただきました。


 すばらしすぎて涙が出そうです。

 きっと王族や貴族の方々は、名誉でご飯を食べていけるのでしょう。


 つまりどう考えても、私は負けていいのでした。

 罠にかけるのであれば、ギュンター様ではなく、私自身を罠にかけるべきなのです。


 さすがに『ガートルード様の友人をやめてもいい』という本音をご本人に向けてもらす勇気もない私は、そのあたりのことを黙って、とにかく悲しげに、とにかく必死をよそおって、自分はそんな卑怯なマネはしないということを、論理ではなく感情にうったえかけました。


 するとガートルード様に影のように付き従っていたボブカットメガネが、ガートルード様に耳打ちをします。


 その声は小さかったのですが、今の私には伝説の斥候レンジャーである『影の英雄グレン』の能力がありますので、最大強化された『盗聴』のパークで内緒話も筒抜けなのです。


「……ガートルード様、そもそも、ギュンター様は男子寮で落とし穴に落ちたということです。あちらのほうは女人禁制ですし、寮監りょうかんも目を光らせておりますから、『身長の倍ほどの深さの落とし穴』など掘るほどの時間はとれないものと思われます」


「そうね。アンが力持ちだったとしても、その深さの落とし穴を、寮監や他の寮生に気づかれずに掘ることは不可能よね……マリーの言うことも、もっともだわ」


 マリーさんは非常にいい仕事をしてくださったようです。


 理屈での検証は第三者にやってもらうに限ります。

 当事者が理屈であれこれ語ると、どうにも怪しいというか、なにもしていないとしても、なにかしていそうな雰囲気が出てしまうのです。

 だから私はいわれなき疑いを向けられて嘆き悲しむ以上のことをしてはいけないのでした。


「けれど、ギュンターはまっすぐな性根の持ち主で、人から罠にかけられるようなことはしていないはずなのよ」


 まっすぐな性根の持ち主はしばしば『誰にも嫌われない』みたいに解釈されがちですが、そのまっすぐさゆえに敵を作ることは、今回、私と敵対したことからも明らかだと思うのです。


 しかし私は、そうおっしゃるガートルード様のお気持ちもわかるような気がしました。


 私のパパは貴族の家庭教師をしていたこともあるので、貴族の方々とかかわったことも多い人でした。

 そのパパに昔から『アンはかわいいなあ。こんなにかわいいと、将来はお姫様になっちゃうよ』と言われて育てられたので、私も『なるほど』と思い、それからというもの、言葉遣いや物腰、作法など、いつお姫様になってもいいよう、貴族的なふるまいを心がけてきました。


 そのパパの語ってくれたことでなにより興味深かったのは、貴族の方々のものの考え方です。


 権謀術数うずまく貴族社会において、『まっすぐ』は非常にすばらしい美徳なのでした。

 もちろん最低限の作法を心得ておく必要はありますが、素直で、裏表がなく、さわやかというのは、貴族の婦女子がとても好む、少年の気質なのだそうです。


 パパは理屈っぽいところがあったせいで嫌われて、貴族の五男だったのを勘当され、庶民に落とされたこともあり、『ではどうすればよかったのか?』という疑問を解消するために、『貴族に好まれやすい人格』というものを、けっこう研究しているのでした。


 そうして結論づけられた『貴族女性に好まれる気質』に、あのギュンター様はどんぴしゃなのです。

 絵に描いたような、ご婦人に好かれる少年の気質の持ち主なのです。


 きっとガートルード様も、にくからず思っていることでしょう。

 決闘の日に落とし穴にハマって約束の時刻に約束の場所に来ることができなかったというのは、なかなか無様ぶざまに思えるのですが、それを差し引いてなおギュンター様の名誉を回復しようと尽力するぐらいには、ギュンター様に対する好感度が高いのです。


 けれどガートルード様は公明正大なかたですから(理性的、というのとは少し違って、ニュートラルであろうとする、バランスをとろうとする性格、ということです)、私を一方的に悪者にするわけにもいかず、こうして事件の検証みたいなことをなさっているのです。


 どうせ証拠なんか出ないのにご苦労なことです。


 さりとて私以外に犯人がいるわけもなく、ギュンター様への怨恨の線もないと思いこんでいるので、事件は迷宮入りし、尋問は水掛け論めいてきました。


 こうして煮詰まったタイミングを見計らって、私はあらかじめ用意していた言葉を告げます。


「……私をお疑いであるならば、悲しいですが、それで結構です。私は、私の無実を証明する手段を持ち合わせておりませんし、ガートルード様のおっしゃるとおり、たしかに、一番怪しいのは私のようにも、思われてきます」


「そんな、疑うというか、これは……」


「そこで、決闘に間に合わなかったのはギュンター様ではございますが、このたびの決闘は、私の不戦敗ということにしてください。そうすればギュンター様の名誉が傷つくことはございません」


「……アン、あなた……」


 ガートルード様が悲しみをまとったおどろきを、その気高いお顔ににじませました。


 私が悪いのです。


 こと隠密、潜入、罠作製において『影の英雄グレン』の能力は本当に有効で、私は証拠一つ残さず男子寮に潜入し、音もなく一瞬で落とし穴を作製し、柔らかい土など敷き詰めてケガをしないよう配慮までできてしまったのです。

 ギュンター様が通る箇所は例の『周囲の様子が立体的に頭に流れ込んでくる能力』で把握済みでしたし、実際に現場に行くと、目標の通り道に光る足跡が浮かび上がるように見えたので、ギュンター様だけが通る道を知るのも、さして難しくはなかったのです。


 あまりにも完璧なやり口でした。


 私が私だけの力で今回のようなことをやろうとすれば、ギュンター様には軽いと言いがたいケガをしていただくことになってしまったでしょう。

 無傷でことを終えられたのは、本当に、祖父の力あってのことなのです。


 それでもリスクをおして私自身を罠にかけなかったのは、どろんこになってもいい適当な服がなかったのと、あと、勝手に暴走して勝手に私の平穏を乱したギュンター様やガートルード様への意趣返しという大義があったからなのでした。


 このあと私はガートルード様のご友人という立場から解放され、代わりにギュンター様がその位置におさまりますが、決闘にまつわる気持ちの悪い顛末てんまつは、気まずさとなって彼女らの心に残るでしょう。

 それこそが、私の平穏を乱した彼女らへのささやかな復讐なのでした。いじましくも慎ましい、ほんのわずかな、針のひと突きなのです。


 私は内心の満足と開放感からくる笑いをこらえるのに、大変な労力を割かねばなりませんでした。まだだ。まだ笑うな。


 ガートルード様は決意したような表情で、おっしゃいます。


「……アン、あなたの気持ちはわかりました。ギュンターの名誉を思うあなたの気持ちを無下むげにはできません。あなたの言う通り、あの決闘は、ギュンターの不戦勝としましょう」


「……はい」


「そして、アン、わたくしは……今一度、あなたにお願いをしたいのです」


「……はい?」


「アン、また、わたくしとお友達になってくださらないかしら?」


「…………はい?」


「今までのあなたに代わって、これからはギュンターがわたくしの友人となります。けれど、新しくあなたを友人に迎えることを禁じられてはいないもの」


 ガートルード様は、燃えるようにきらめく赤い瞳を細め、ほほえんでくださいました。


 私は『その理屈がまかり通るなら決闘の意味がないんじゃない?』ととっさに口にしそうになったのをこらえ、予定外の事態に困惑しつつ、対応を考えねばなりませんでした。


 相手は王族です。


 そしてこの国は王様が一番偉いのです。


 だから私は彼女らに血税を吸い取られる哀れな国民の一人として、ふさわしいお返事をしました。


「ありがとうございます、ガートルード様。大変光栄です」


 彼女の目の前にひざまずいて、手の甲にキスをしました。


 やはりなんというか、彼女と私とは、相性が悪そうでした。

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