5話 天職

 昔の男はしゃべらない。


 言葉の価値が、軽くなるから。


「……行くぞ」


 特に説明もなく一晩山の中で待たせた監視役の騎士様たちに、ぶっきらぼうにそれだけ言って、私は次の目的地に向かうことにしました。


 家に寄ることができたのはアルスル陛下の温情であり、本来ならばグレンとして復活した直後に、私は王都に向かわねばならなかったのです。


 それを一晩とはいえ家に寄る時間を与えてくださったアルスル陛下以下近衛騎士団のみなさまには、心の中では、深く感謝しています。

 一晩お待たせしてしまったお詫びもしたかったのですが、なにせ今の私は『昔の男』なので、昔の男はお詫びなど滅多にしないのです。


「グレン様、これほど長くかかるのでしたら、先に言っていただかないと、我々にも準備というものがありますので……」


「そうですよ! こんな山の中で一晩過ごすだなんて、聞いていません!」


 私は二人をじろりとにらむと、黙ったままそばにあった馬車に乗り込みました。


 この無礼きわまりない態度が許されるのです。そう、昔の男ならね。


 おばあちゃんに聞いた祖父の生活態度は、改めて衝撃的なものでした。


 しゃべらない、謝らない、笑わない。


 昔の男はどうやら、その三本柱で成り立っているようなのです。

 そしてさらにもう一本柱を加えるとするなら、『働かない』。


 当時は『男が家族を養うが、家事は女の仕事』という価値観があったようで、男は外で働き、家、換言するにプライベートでは、なに一つ仕事をしないのです。


 食べたものを食べっぱなしにしてもいいし、脱いだ服を脱ぎっぱなしにしてもいいし、遊んだあと片付けをしなくていいし、茶碗の片付けが終わったタイミングで『おい、お茶』とか要求してもいいのです。


 その自由な気風に私はあっというまに惚れました。


 私には適性のある職業が一つたりともないと生まれてから十年間確信をもって生きてきましたが、それは見識の不足が原因で、本当は、私にも適性職業があったのです。


 それこそが『昔の男』。


 私はどうやら、『昔の男』が天職でした。昔の男なら、いくらでもやれそうな気がします。

 そして昔の男のなにがすばらしいって、昔の男はプライベートではなに一つ作業をしません。

 私はすでに『昔の男』という仕事をしているので、つまり、なにも働かないでいいのです。


 昔の男の私は腕を組んだまま馬車にどっかり座っていました。


 騎士様たちは不満そうにしながらも馬車を駆り、王都へ向けて出発します。


 旅路は快適でした。


 私が昔の男としてふるまうだけで、御者役の男性騎士も、馬車室の対面に座る女性騎士も、私になにも話しかけてこないのです。


 私は特にしゃべるのが嫌いというわけではないのですが、しゃべりたくない時に気を遣って意味のない会話をするのはめちゃくちゃ嫌いなので、この無言の空間が心地よく、馬車の揺れでお尻が痛いのはまあイヤでしたが、ずっとこういう静かな時間が続けばいいなと思っていました。


 しかしこの沈黙に耐えきれない、心の弱い存在がいました。


 対面に座る女性騎士です。


 すでに十八歳ということで、私から見ると大人なのですが、まだまだ精神的には未熟なのでしょう、沈黙に耐えかねたように、話しかけてきました。


「あの、グレン様、質問をよろしいでしょうか?」


「……」


 私は昔の男なので、まったく言葉を発さず、にらみつけました。

 よろしくないです、というアイコンタクトです。


 けれど騎士様はアイコンタクトが通じなかったようで、言葉を続けました。


「あなたは、アルスル陛下やエリザベート聖下とともに、旅をし、『人類の脅威』を倒したと聞きます。そして、その『人類の脅威』がまた復活しそうだとも……」


「……」


「教えてください。『人類の脅威』とは、具体的に、どのような存在だったのですか? それは、獣なのか、種族なのか、はたまた別のなにかなのか……いずれ立ち向かうべき存在のことを、騎士として、知っておきたいのです」


 私は黙ったまま騎士様をにらみつけました。


 だって知るはずがないのです。


『人類の脅威』の正体は、徹底的に伏せられています。


 それが『脅威の獣』と呼ばれる眷属けんぞくを放ったり、モンスターに働きかけて凶暴化させたりという話は知っています。

 しかし『人類の脅威』がどんなかたちで、どんな攻撃をするかは、誰も知らないのです。


 おそらく当時最前線で戦った騎士たちと、三英雄と呼ばれるアルスル陛下、シナツ様、エリザベート聖下しか知らないのではないでしょうか?


 ちなみに祖母も知りませんでした。


 ここで私の中に祖父の記憶が混入していて、都合良く思い出せたらよかったのですが、祖母の経験からくるカンとやらもあてにはならず、私の頭の中は王都に着いたあとに出される食事のことでいっぱいでした。


 こういう時、昔の男はどうするのだろう……


 黙ったままやり過ごすのも、限度があります。

 いっそ昔の男が『昔の男語』みたいなものを操る生命で、それが現在我々の使っている言葉とまったく違うものであれば、『昔の男語』でまくしたてて混乱する相手を見ているだけですむのですが、世界はそこまで私に優しくありませんでした。


 私は自分を苦境に立たせた世界に絶望し、女騎士に不満を抱きました。

 どうして王都までの移動時間、黙ってることができないのか……彼女のおしゃべりな性分は私をイラつかせます。


 しゃべるとボロが出るこちらの身にもなってほしいと思いました。


 私はただ、影の英雄グレンぶりたいだけなのに。


 こういう時、私が『アン』という十歳の美少女としてふるまっていいのならば、物憂げに息をついて馬車の窓から外をながめるだけでいいのです。

 そうすると周囲は『ああ、なにか悲しい過去があるのだろう』みたいに触れるのをやめてくれます。


 しかし私の外見は美少女のままでも、中身はおじさんのふりをしないといけません。


 私はおじさんというものがよくわかりませんでした。

 パパはいますし、存命ですが、長いこと妹の治療費を稼ぐための出稼ぎに出ていて、あまり家に帰ってくることができないのです。


 ママと結婚し、あんな、あばら屋での生活をしてもいいと思ったぐらいなので、相当な被虐趣味であることに間違いはないのでしょうが、私はパパのことさえ、よく知らないのでした。


 私はおばあちゃんに教わった『昔の男語録』を必死に思い出していました。


 それは現在と価値観の異なる時代、価値観の異なる感覚でよく使われた言い回しをまとめたものです。


 我が家にはさらっとメモに使える紙なんかないので、メモは頭の中にするしかありません。


 紙はあれば絶対便利だし、そんなに高いものでもないのだけれど、パパの出稼ぎ賃金をだいたい妹の治療にあてていた我が家には、物々交換ではなくお金と交換で手に入るものを入手する手段がないのでした。


 わりと限界まで貧乏なのです。


 そんなわけで脳内語録を探って、私は今、この場にふさわしい言葉を引っ張り出しました。


「……うるせぇな」


 半ギレで言うのがコツです。


 このぼそりとした一言で女騎士は完全に沈黙し、私は再び静寂の時間を手に入れました。


 昔の男はやはり、私にとって天職です。


 もっと早く出会いたかった。

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