第5話二人、見付ける。

 最後の部屋――訳知り顔の彼女が言うところによれば、だが――は、何とも質素でとびきり異常な部屋だった。


「本棚、机に椅子、作業台。はっ、お嬢さんのご先祖様は、こんな地下道の奥深くにくつろぎのスペースでも作ってたのか?」

「ここはここで、必要な部屋よ」

 辺りを見回すホルンを尻目に、ミザロッソには既に必要な手順が解っているようだった。「少なくとも、必要な物を揃えた部屋ではあるわ」


 本棚を一通り検分すると、ミザロッソは数冊の本を選び出すと机に放り置いた。

 古いものだろうに、それらは随分と状態が良く見える――だからといって、ホルンには背表紙の題名さえ読み解くことができなかったが。


「こんだけ古いのに、かび臭くもないってのは何か、変な感じだな」

「かびはここに限らず、適切な管理をした本からは発生しないわよ。埃が舞わないのは凄いけれどね」

「さっき言ってたな、じゃあもしここに林檎でも置いてあったら、それは腐らないってことか?」

「えぇ、乾燥はするでしょうけれどね……あぁ、くそっ」

 ミザロッソは本棚脇のガラスケースを覗き込んで、舌打ちした。「幾つかは駄目になってる……密閉が不充分だったのね」


 取り出された何かは、ホルンの目には海牛の化石にしか見えなかった。或いは、乾燥した排泄物だ。

 それらを放り投げながらミザロッソは漸く満足のいく物を見付けたらしい――取り出した小瓶の中には、緑色のぶよぶよしたシワだらけの代物が閉じ込められている。


「あー……何か手伝おうか」

「そうね」

 ミザロッソは慎重な手つきで小瓶を本の隣に置くと、ぎょろりとホルンを睨む。「死んだようにじっとしてて。私の指示がなければ何にも触れず、騒がず、出来れば息も止めていて?」

「…………」


 ホルンは両手を小さく挙げる。

 出来ることはどうやら、何もないようだ。更なる材料集めに向かうミザロッソの背を見送り、邪魔にならぬよう、ホルンは本棚とは逆の壁に向かった。


 そこには、大きな地図が掛けられていた。


(この辺の地図か……この、ピンが刺さってんのは何だ?)


「そこの暇人、仕事よ」

「へいへい、ご主人様」


(ま、どうでもいいか)


 この試験でミザロッソは正しく『ミザロッソ・クロック』として認められるだろう。

 そうすれば、遺産が彼女の元に転がり込んでくる――ホルンが半分貰う遺産だ。


 ホルンだって、彼女のことを完全に信用しているわけではない。

 悪事の報酬が山分けなんてのは、与えるつもりの無い餌だと相場が決まっている。何だかんだと難癖つけられて減額されるか、最悪殺されるのが関の山だろう。


 だとしても。

 ホルンにとっては、『貴族の遺産を騙しとる』という誘いは何にも変えがたい誘惑だった。

 奴等に吠え面かかせられるなら、どんなことでもやってやるつもりで生きてきたのだ。


(ま、多少でも手残りがあれば儲けもんだな)


「ちょっと、早く来なさい馬鹿jerk! 時間がないって言ってるでしょう!」

「解ってるって」


 そうとも。

 貴族なんて連中は腐ってる。

 だから、相応しい場所に行くのを手伝ってやるのだ。ただ、それだけ。


「何をすりゃあ良いんだ、俺は?」

「いつものことよ、力仕事」

 ミザロッソは感情の読めない眼でホルンを見ると、それから、棚の一画を指し示した。「彼処の棚、多分動くわ。手前にずらして」

「良いね、らしくなってきた」


 腰の高さくらいの棚に近づくと確かに、床に引き摺ったような跡が残っている。

 気合いを入れ、両手で引く。

 思ったよりも棚は軽い。大した手間もなく退かした先には、


「扉か……けど、小さいな」


 何しろ、座り心地の良さそうな棚に充分隠れる程度だ。子供にはちょうど良いだろうが、大人が潜るには、這うしかなさそうだ。


 そして当然、先陣を切るのはホルンである。


 ミザロッソの無言の圧力に肩を竦めつつ、ホルンは扉を押し開けると、腹這いになる。


「床が綺麗なのは幸いだな」

「そうね、アンタの仕事が一つ減ったわ」

「掃除するのは俺かよ……っと、抜けたぜ」

「そっちに、何かあるでしょう?」


 そう言われても。


 立ち上がり、辺りを見回すが、どうも特筆すべき何かがあるようには見えなかった。

 幾つもの木箱や巻物が放置された、典型的な物置の様相だ――強いて言えば、衣装ダンスがやけに多いくらいか。


 壁の内、入ってきたところ以外の三方が全て、ホルンの身の丈ほどもある長方形のタンスが並んでいるのだ。


「ここの持ち主には、コートは集めるものだって常識でもあったらしいな」

「……そのタンス、表面に名札が付いてない?」

「ん? ……あぁ、付いてるな。書いてるのは数字だけど。1022から始まってるけど、あー、飛び飛びだな」

「一番数が大きいのは?」

「4999。そんで、あとの十個は文字が書いてある」

「文字……読める?」

「読めたら文字とか言わないでそう言うさ。少なくとも、親切なディムは教えてくれてない文字だ」


 扉の向こうから、声が聞こえなくなった。

 麗しの相棒ご主人様は何か悩んでいるようで、ぶつぶつとホルンには聞き取れないことを呟いている。


「やれやれ、指示がない時ってのはワーカークラスの辛い時間だな」

「黙って」

「はいはい」


 もし手元に椅子とジンがあれば大人しく待っていても良かったが、生憎ここを作った人間は、怠惰に過ごすことを想定していなかった。


 なら、手早く済ませるしかないだろう。


 どうも、ミザロッソはこの並ぶタンスの中からどれか一つ、正解を導き出そうとしているらしい。

 どういう基準でどれとどれとを迷っているのかは知らないが、必要なのは情報だろう。そして今、それを得られるのはホルンだけである。


 近付いて良く見れば、何か解るかもしれない。いくら読めないとはいえ、例えば文字の形を知らせるとか、協力できることはある。


 ……ここで、ホルンは一つ思い出すべきだっただろう。

 彼は確かに、厳重にではないにしろ忠告されていたのだ――と。


「文字を見てみる、あー、端にあるこれは……アールの反対、エヌ、それに……」

「あ、ちょっとホルン!」


 最後の文字が良く見えない。カンテラがなく、隠されていた物置は読書に向いているとは言えない。

 もっと良く見ようと、ホルンはタンスに近付く。顔を、息が降り掛かるほど近くまで寄せ、曇った表面を指で拭った。


 拭った――詰まりは、


「おわっ!?」


 多くの禁則事項と同じく、変化は劇的だった。

 咄嗟に仰け反ったホルンの鼻先を、タンスのドアが勢い良く通り過ぎる。もしぶつかっていたら、鼻血程度では済まなかっただろう。


 


「ちっ!!」


 衝撃に気付いたときには、ホルンの体は壁に打ち付けられていた。

 開いたタンスの中から飛び出た何かに突き飛ばされたのだろう、背中と同じくらい胸が痛む。呼吸する度にひりひりと増す痛みは、どうやら肋骨が折れているようだ。


「ホルン!? 何があったの?!」

「罠だよ、多分な!」



 怒鳴り声に応じたのは、抑揚を欠いた、奇妙に金属質な女性の声だった。


「罠ではありません――


 声の出所がタンスであると気付くのと同時、ホルンは、自らを突き飛ばした何かの正体にも気が付いた。

 先程までホルンが調べていて、今では大きく開け放たれたタンス。そこから一本、腕が拳を突き出していたのだ。


「私の目覚めはもっと優雅、且つある種の宗教体験にも似た精神的衝撃を伴うものである筈でした。そして、何より重要な意味も」


 感情というものを何処かに置き忘れたような、一本調子の演説。

 下手くそな朗読劇のようだ――他人が書いた台本を、とにかくどもらないよう詰まらないよう、それだけを考えて読むような声だった。


 腕が、ゆっくりと曲がる。


 続いて左腕がタンスから湧き出ると、女性的な細い指がしっかりと縁を掴んだ。

 出ようとしている。

 直感したが、ホルンは踞り、痛みを落ち着かせるのに必死だった。阻止は、できそうにない。


「それは、【証明】です」


 ホルンの状態を正しく理解しているのだろう、声の主は焦ることもなく、着実な動作でタンスから体を引き出した。


 それは、中肉中背の女性だった。

 それは、簡素なメイド服を着ていた。

 それは、曇天のような色の長い髪を持っていた。

 それは――


「私を起こし、従わせること。それこそがクロック家に伝わる継承の儀式、その最後の試練でした。私はクロック家の血筋に無条件に従うよう造られていて、であればこそ、私は目覚めた時点で目の前にいるであろう挑戦者が次代のクロック伯爵となることを、証明する者となるのです。それなのに、それ、なのに……」


 それが首を傾げた。


 次の瞬間には、それは踞るホルンの目の前に移動していた。

 何を言う暇もない。それは素早くホルンの喉を掴むと、雑な仕草で軽々と吊し上げた。


「それなのに。よくも、周到な準備と緻密な計算を無駄にしてくれましたね、こそ泥」


 声は相変わらず無感情で。

 ホルンの顔を覗き込む翠緑色の瞳にも、何の感情も浮かんではいないが。

 それは、全身から間違うことなき激怒をホルンに叩きつけていた。


「どのような姑息な手段でここにまで入り込んだのかは知りませんが、その賢さを別なやり方で生かすべきでした。知恵の愚かな使い方は、貴方を生かさず殺します」

「っ、ぐ、く……」

「すみません。貴方から反省、謝罪、その他あらゆる言葉を聞きたいとは思っていません」


(い、息が……っていうか、壁、壁! めり込んで……!)


 見た目通りの人間では、無いようだ。当たり前だが。

 細腕がホルンの喉を握り潰さんばかりに力強く握り、そればかりか、押し付けられた壁が割れんばかりにみしみしと軋んでいる。


 勿論、ホルンの体もそれに相応しい圧力を受けている──背骨が、肺が、全身がバラバラに砕けていく……。


「……ぁ」

「さようなら、賢いつもりの愚か者」


 そんな言葉が聞こえたかどうか。


 壁に半分めり込んだまま、全身から血を滴らせたまま。

 ホルンの心臓は、静かにその役目を終えた。

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