第6話一人、黄泉の帰還
ヒトはバラバラに生きるのに。
死んだら同じところになんて行くわけ無い。
俺は常々そう思ってた――子供の頃に神様の話を聞いて、天使様のお話を聞いて、天国地獄ってのを聞いたその時からだ。
可愛げのある子供じゃあなかっただろう。
実際、子供らしい無邪気な口調でそんなことを聞かれた神父さんが、真っ白い髭の向こうで嫌そうに口を開いたり閉じたりしていたのを、俺は覚えているし。
それでも構ってくれたのは、勿論親の目を気にしていたのもあるだろうけど、根本的に善人だったんだろう。
神父さんだけじゃあない。
角の花屋のお姉さんは、俺が『花なんか食えないから要らない』って言っても笑ってた。
そのお姉さんに恋してた本屋の兄ちゃんは、『貴女の花なら食べられる』とか言って怒られてた。
魚屋の爺さんはもう殆ど目も見えないのに、指先が覚えてるって言って、震える手で魚を捌いてた。それでやっぱり分厚く切りすぎて、お陰で皆喜んでた。
肉屋のおっさんも、パン屋のおばさんも、あの人も、あの人も、あの人も。
記憶の中の隣人たちは皆明るく優しく、子供の俺を尊重してくれた。
あぁ、そして、偉大なる両親。
二人は俺に教育を受けさせてくれた。不自由な時間の全てが自由を得るための翼になると、彼らはしっかりと教え込んでくれた。
ありがとう、今では思う。
そしてごめんなさいと、今でも思う。
彼らはもう、笑わなくなってしまった。
引き結んだまま口を閉ざし、大きく見開いた眼から光は失せて、直立不動のまま俺を見下ろしているのだ――ここで。
……ヒトにはそれぞれの天国があり、地獄がある。
俺にとっての地獄はここで。
彼らの地獄も、俺はここにしてしまったのだ――彼らの自由は、死後になっても奪われてしまった。
彼らはずっとここにいる。俺の不義理を苛み赦しを拒絶するために。
そうであって欲しいと、俺が望んだが故に。ただそれだけのモノと化してしまった。
だから、今回も。
彼らは等しく、俺の死を拒絶した。
「…………」
壁がひび割れたかと思うと次の瞬間、そこからメイドが現れた。
衝撃的な光景だったが、ミザロッソは眉をピクリとも動かさない。
ただ、現れた彼女の向こうに、崩れ落ちた血だらけの青年の姿を見て、僅かに息を呑んだくらいである。
感傷はその程度で。
感情はその程度だ。
「……『アール、エヌ、そして』……」
文字通り圧殺された青年の言葉を、ミザロッソは的確に推測した。「最後の文字は、シー、かしらね? だとしたら、その三つから導き出される貴女の名前に、私は心当たりがあるわ」
「彼の遺言のお話ですか?」
メイドは慌てない。
そんな機能は、クロック伯爵に仕えるに当たって邪魔だったし、愚かな無作法者を懲罰するのにも不要だった。
仕えるモノの作法が、仕えられる者の格を決めるものだ。
最高級の猪豚の香草焼きには、カロルウッドのシンプルな皿が合うように。或いは、十二年物のミガ・シモン・ガモにミモレットを合わせるように。
至高には至高の引き立て役が必要だ。
灰色髪のメイドはその辺り徹底的であるようで、下劣な侵入者であるミザロッソを前にしても慌てず騒がず、けれども必要以上の慎重さを見せることなく、大胆な足取りで接近を開始した。
対するミザロッソ……いや、それを騙る赤髪の魔女もまた、焦る素振りを見せない。
「文字の書かれていたのは十個だと、彼は言っていたわ。流石、鼻が利くわね。彼は貴女たちの中でも最高峰を引き当てた」
「お詳しいですね」
自分がこぼした壁の破片を不愉快そうに見ながら、メイドは応じる。「事情通のご様子ですが、であるのなら、そこに留まるのは自殺行為とお分かりの筈ですが?」
煽り立てるようにも、心からの疑問のようにも聞こえる問い掛けだった。
酷く感情的な相方と二週間過ごしたミザロッソにとっては、無表情が随分と物珍しく見えてしまう。
我慢できずに微笑みながら、ミザロッソもメイドの真似をするように首を傾げる。「どうかしら」
メイド姿の衛兵は、魔女の戯言に耳を貸すつもりはないようだった。
ミザロッソの動きに警戒しつつ、部屋の様子を値踏みするように観察している。
その冷徹な視線が、床の一点で停止した。
「私の性能だけをご存知無い訳ではないでしょう。床の痕跡を見たところ、非常口も把握しておられるようですし」
ミザロッソは肩を竦めた。「えぇ、まあ、いつでも逃げる準備は出来ていたわ」
困惑したのは、メイド服の方だ――自身の脅威度を認識し、且つ逃げ道を把握しておきながら逃げないという矛盾を、処理できなかったのだろう。
彼女は尋ねた。「では、何故?」
魔女は答えた。「決まってるわ」
「その必要が無くなったからよ」
「っ!?」
その奇襲に反応したのは、流石と言われるべきだろう。
素早く反転したメイド服は、左腕を振るう。
徒手空拳の筈の左手は、しかし素手では有り得ない頑丈さをもって、飛来した岩を粉砕した。
「貴女、アイツを殺したんでしょう? 酷いことをしたわね」
「…………」
「だから貴女――怨まれたわよ?」
魔女の挑発を、既にメイド服は聞いていなかった――聞いてはいたが、そちらへ割く意識の余剰が存在していなかったのだ。
彼女を造った者が見ていたら、思い付く限りの否定系を息の続く限り叫んでいただろう。
それほどまでに、メイド服の状態は有り得ないものだった。彼女が困惑するなどという事態は、詰まりは全知たる造り手の想定外の事態が進行している証左なのだから。
そんなことは有り得ない。
誰もがそう思うだろう――まさか、死者が甦るなんて。
「あぁ、くそっ。潰れてくれりゃあ楽だったのにな」
敵の衝撃など知ったことかと言うように、彼は悠然と再登場する。
とびきりの衣装だけがずたぼろで、それだけが彼の出会した惨劇を物語る。
それ以外は完全無欠。
何一つとして欠けたところの無い姿のホルンが、にやりと笑った。
酷い目に遭った。
ホルンの感想はただそれだけだ。あとは、強いて言えば珍しい死因だったなというくらいか――美女に壁に押し付けられて圧死なんて、これまでに経験したことの無い死に様だ。
そう、死。
誰にとっても避けられぬ終焉であり、常に傍らに寄り添う隣人であり、そして、究極の不可逆。
生ける者は誰もが皆いずれ死ぬ。
死せる者は誰もが皆けして戻らない。
有史来慄然と敷かれている、神が人間に与えた最初の罰。
ホルンはそれを乗り越えた。
ホルンは生きている、生きているが故に死ぬ。
そこは普通の人間と変わらない――変わっているのはそこから先。
彼にとって死への旅路は、一方通行ではないのだ。
「不死者の類いですか」
「ははっ、夢みがちなことだぜメイドさん。死なねぇ奴なんて、この世に居ねぇよ。ただ、帰ってきただけさ」
「……では、もう一度送り返します」
「出来るかな?」
唇がだらしなく緩むのを、ホルンは自覚した。再生がもたらす気持ちの高ぶりは、どれだけ慎み深い隠者も道化へと変えるものだ。「俺は――生まれ変わったぜ?」
ダンッ、という踏み切りの音が鳴り響き。
ガキンッ、という金属音が続いた。
「……だから、言っただろ?」
手刀と黒鉄のナイフという有り得ざる鍔迫り合いの向こう、僅かに、だが確実に眼を見開くメイド服に、ホルンは笑いかける。
余裕をもって、笑え。
余裕を削り、笑わせぬために。
実際防御がギリギリ間に合っただけだが、そんなことは表情の片隅にも出さない。
これくらい余裕ですよと言わんばかりの飛びっきりの笑顔で、ホルンは敵を挑発する。
「もう、届かねぇよっ!!」
「っ!?」
拮抗していた力を流すと、体勢を崩したメイド服に全力で蹴りを入れた――思ったよりも軽い手応えと共にそいつは吹き飛び、けれど、なんてことはないように華麗に着地した。
(ノーダメージかよ……だが)
「ウーララァッ!!」
未だ、敵の眼には困惑と動揺が見てとれる。
ならば、今しかない。
渾身の
疾走と踏み込みを合わせて、一挙動でナイフを振るう――昔教わった、理論上の人類最速。
認識できても反応しきれない一閃が深々と、鮮やかに。
メイドの首を、真一文字に斬り裂いた。
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