第4話二人、走る。
長らく放置されていたのだろう、壁に等間隔で並んだ松明は最早跡形もなかった。
「ここを作ったのは三代目のクロック伯爵らしいけれど。洞窟そのものはもっと昔からあったらしいわ」
「年代物だな、しかし」
カンテラを翳すと、随分と綺麗な地面が映る。「手入れされてない割りには、案外汚れてないな。誇り一つ無い」
「生物がいないせいよ」
あらゆる命は、存在するだけで何かを消費する。そして消費すれば、必ず排泄物が残る。
「入り口も出口も、不要な場合には封鎖されるの――物理的にも、或いは霊的にもね」
「さ迷える魂の乱入もないって訳だ、しかしだとすると、空気は?」
「あの入り口を起動させた時点で、入ってる」
慎重に足元を確かめながら、ミザロッソは答えた。「じゃなきゃカンテラが点かない、でしょ?」
そんなつもりは無かったが、彼女は試されたように感じているらしい。
勿論カンテラの火にはそういう意味もある――洞窟に潜るときに何より重要なのは、きちんと空気が確保されているかだ。淀んだ空気は無影にして無音の死神だ、来訪に気付いたときにはもう遅い。
「逆に言えば、封鎖も解けてるってこと。何が迷い混んでるか、見当もつかない」
「そりゃあ、作ったやつの悪意次第だが……そう悲観することもないだろ」
「何で?」
本気で解らないらしいミザロッソに、ホルンは呆れた声を返した。「あのな、お前の調べによると、ここは貴族の継承の儀式を行うために作ったんだろ?」
なら、安心だ。
貴族の世継ぎに対する執着は相当だ、それなりに能力を見た後でなら、危害を受ける可能性を残すとは思えない。
手抜かりなく、手加減してくれる筈だ。
ホルンがそう言うと、ミザロッソは何やら複雑そうな表情で見上げてきた。
「……アンタの言う通りだとしても。それが私たちの安全を保障するとは思えないわ」
「何でだよ」
その時。
がこん、という不気味な音がホルンの足元で響いた。
見下ろすと、貴族らしい革のブーツが地面に沈んでいる――剥き出しの岩盤だとばかり思っていた地面は、どうも壁や天井に似た柄のタイルが貼られているようだ。
「……この洞窟は、クロック伯爵家の正当な跡取りを決めるための装置よ」
その一角、タイル一枚分に何かがあったのだろう。そこを踏んだことで、タイルは沈んだのだった。
まるで、何かのスイッチであるかのように。
「一つ、質問をして良いかしら。賢いつもりの婚約者さん」
がたがたがたり、何処かで何かの歯車が、音を立てて回る、回る。
ごうんごうん、わーお、もしかして蒸気機関も絡んじゃいます? 壁からは熱を帯びたスチームが漏れ出していて、それは獲物を見つけた灰色熊がこぼすものと良く似ていた。
ミザロッソは、もう既に何かを悟った様子で、ため息をこぼしながらトランクをしっかりと抱え直している。
音と振動が連鎖し、連動し、そして。
「私たちって、正当な跡継ぎだったかしら?」
どがん、と。
恐る恐る振り返り、カンテラをかざす。頼りない視界の中、轟音と共に、振動と共に、それが現れた。
洞窟、罠。あぁもしかして、件の三代目とやらは俗っぽい冒険活劇なんかが好みだったのだろうかと、そんなことを思うくらいありふれたあり得ない罠。
「……嘘、だろ?」
見事なまでに磨き上げられた、球状の大岩が、背後からホルンたちの方へと転がってきていたのだった。
「……始まったか……」
悪鬼の嘶きにも似た轟音に、御者の老人は気だるそうに呟いた。
取り敢えず、あの連中は儀式の始まりまでは漕ぎ着けたらしい。
どうしようもなく野山をさすらうような間抜けではなかったようだが、慎重さに長けているわけではなかったのだろう。それでも数年ぶりの『二次試験』の合図に、老人の目尻は多少下がっていた。
村の方角では、既にパン屋が猛々しい狼煙を上げている――まだまだ日は高いのに、宴の支度は順調に進んでいるようだ。
「無駄にならねば良いがな」
「……あはは、それってジョークですか?」
「ちっ」
一転して不機嫌になった老人の、真横。
走行中の馬車の御者台に突如現れた人影に、老人は無造作な裏拳を見舞った。
「おっと」
気軽に受け止めると、人影はまるで笑顔みたいな笑顔で笑う。「これは判りますよ、ジョークですね? 親しみを込めた挨拶って奴」
「……教会の狗が、何の用だ」
「貴方と同じですよ? 『観察』。あはは、すごい、私今、謎のヴェールに包まれた黒幕みたいじゃないですか?」
老人は、人生で三度目くらいの後悔を感じた――何故今手元に、猟銃を持ってこなかったのだろうか?
「まあ、今回の
「……期待でもしているのか? 何故?」
「貴方が期待しているからですよ」
人影の眼は、笑みの形から一変していた。
見開かれた漆黒の海には、何の感情も漂流していない。水面に月を映すように、老人の顔を映しているだけだ。
「…………」
その、無機質な瞳を、老人は無言で睨み続ける。殴り殺せないモノを、射殺すように。
やがて。
「…………あはっ」
人影は瞬き一つ、無の海を満天の星空に変えて微笑んだ。
「期待と言えば、今回の歓迎会、あれ出ますかねあれ! 鳩の丸焼き!」
「……出るには出るだろうが、お前、肉食べて良いのか?」
「あはは、知らないんですかヘンゼルさん? 神様って、懺悔すると大体のこと赦してくれるんですよ!」
「この生臭神父が……!」
「え、私臭いですか? お風呂にもきちんと入ってるんですけど……」
「うるさい、降りろ」
「あはは、はーい。それじゃあ、また!」
弛緩した空気に破壊的な笑い声を響かせながら、人影は姿を消した。
飛び降りたのか、それとも何らかの手段で消えたのか。それすらも解らない、唐突な消えかただった。
ただ一言。
「あれもこれもそれもどれも、彼らの結果次第ですけどね」
そんな、奇妙な言葉を残して。
「……ちっ」
あとにはただ、不機嫌な老人だけが残された。
始めから、そうであったかのように。
「うおぉぉぉぉぉっ!?」
この二週間ほどで身に付けた貴族らしい優雅な所作は、とっくに、自分の荷物と一緒に投げ捨てた。見上げるほどの大岩が早馬もかくやという速度で迫ってくれば、大抵の荷物は放り出されるものだ。
それなりに頑丈だと自負するホルンでも、流石に潰されたくはない。がむしゃらに地面を蹴って、前へ前へと進んでいく。
時間が金以上の価値を持つ瞬間だ、今、時計の針を停められるのなら誰だって幾らだって払うだろう。
一分一秒だって惜しい。
だというのに、右腕に抱いた『荷物』がばたばたと暴れながら騒いでいる。
「ちょ、ちょっとホルンッ!!」
「うるっせぇ黙ってろ、舌噛むぞっ!!」
快適な乗り心地とはいかないだろうが、死ぬよりはましな筈だ。
抱き上げたミザロッソに一喝すると、彼女は口を閉ざした。高慢な雇い主様も漸く、事態の緊急性が理解できたようだ。
「くそくそくそ、貴族様のお試し
「ホルン、前!」
「後ろに行くわけねぇだろ!」
「そうじゃなくて、あそこ!」
腰を抱えられ、バレエダンサーのような姿勢でのけ反るミザロッソが示したのは、冬樫の重厚なドアだ。
「あそこに入れってのかよ! ノックしてる暇なんかねぇぞ!」
ドアは頑丈そうで、適切でない挑戦者に寛容なようには見えない。
振り返るまでもなく大岩の圧力は迫ってきているし、ノブを捻る時間さえあるかどうか……鍵でも掛かっていたら、間違いなく間に合わないだろう。
そしてホルンが設計者なら、鍵を掛けないわけがない。
「大丈夫」
ごそごそと腕の中で蠢きながら、ミザロッソは自信満々に言った。「信じて」
「……くそ、そういうの狡いぞ」
悩む時間はないし、そもそも大岩は洞窟とちょうど同じ大きさに作られているようだ。詰まり、逃げ道など無い。
覚悟は直ぐに決まった。
「しくじったら化けて出るからな」
「ロマンチストね」
「うるさい、なっと!!」
あと一歩の時点で、ホルンは勢いそのまま宙に飛び上がる。
開いているかどうか定かでないドアに体当たりする気にはなれず、空中で姿勢を整えると、全力でドアを蹴り飛ばす。
伸ばした右足がドアの真ん中にぶち当たり、そして。
大岩は壁に激突して、漸く止まった。
「……セーフ」
「……ぎりぎりだけどね」
地面に仰向けに寝転ぶホルンと、抱き締められたままのミザロッソは静かに呟き会う。
それから、どちらからともなく笑い合った。
「ははっ、何とかなったぜ」
「だから言ったでしょう、大丈夫って。それより……着いたわよ」
「由緒正しき遊園地も、もうゴールかよ。なんだか名残惜しいねぇ」
素早く立ち上がったミザロッソの体温を宿した右腕を眺めながら、ホルンもやれやれと立ち上がった。
「ちっと早すぎたかね、窯にまだパンが入ったばかりじゃないか?」
「…………気を引き締めなさい、
「『調査』、ねぇ……」
まあ、いいか。
今追及するようなことでもないと、ホルンは頭を切り換える。
先程の罠が、ホルンを慎重にしていた――単なる貴族の道楽と笑うには、少々殺意が強すぎるというものだ。
「良いぜ、これが終われば報酬ゲットだ。そう思うとやる気も出てくるってもんだぜ」
「……そうね、これで、手に入るわ……欲しかった、ものが」
言いながら、ミザロッソの手が何かを袖口に隠すのを、ホルンは無言で見詰めていた。
女は秘密で美しくなるというが。彼女の秘密は、どうにも花より棘の方が多いような気がしていた。
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