第3話二人、挑戦す。

「おかえりなさいませ、お嬢様……っ!!」

「あぁ、あの燃えるような赤いお髪。それに、宝石のような瞳、間違いないわ!!」

(髪の色くらい、変える手立ては幾らでもあるだろうに……)


 主役をエスコートして馬車から下ろすと、ホルンはごく自然な動作で脇に退く。


 色々な裏家業のお陰で身に付いた気配の消し方も、この場に関しては必要なかった。

 いかにも純朴そのものといった村人たちは旧主人の忘れ形見に夢中で、シルクハットを目深に被った見知らぬ紳士のことなど目にも入らないようだった。


(これなら、使用人の衣装でも構わなかったんじゃないかねぇ)


 いや、とホルンは心中で眉を寄せる。どうも、それだけではないらしい。


「……お祭り騒ぎは、お嫌いなようだ」

 唯一、ミザロッソとその周りで繰り広げられる騒ぎにしかめ面を向けていた人物、先程まで御者を勤めていた老人に、ホルンはにこやかに声をかけた。「僕にとってはそうでもないが、ご老人、この村にとってミザロッソは諦めていた宝では?」

「……本物なら、な」

「ほう?」


 見る目がある奴もいるじゃあないか。

 ホルンは内心だけで舌なめずりしながら、聖者の笑みを浮かべる。


が、偽者だと?」

「本物かわからん、と言っておるだけじゃ」

「賢者の物言いだな」

「……わしは御者じゃ。伯爵様にも何かと声をかけていただいたし、それに、

 ぎょろりと、老人の大きな瞳がホルンを睨む。「同じだけ、帰りも運んださ」

「期待は裏切られ、諦念へと変わったか」


 『運んだ』上で『連れ帰った』なら、駅でのカロリーナ婆による試験は序の口というわけか。

 本番の、真贋を見極める機会はこの先にあるらしい。これまでの挑戦者は皆そこで膝を屈したのだろう。しくじった連中は老人の馬車で駅に叩き帰され、その度に、老人の心は頑なに鍛えられたわけだ。


(半端な真似を、してくれたもんだ)


 歴代の挑戦者に毒づく。

 それから、改めて村人たちを見てみると、歓待の中に漂う微妙なよそよそしさが鼻についた。


「わし等は、騙され慣れとる。あんたが一端の詐欺師なら、諦めるべきじゃぞ」

「ははは、それはそれは頼もしいな」

「ふん」


 老人は鼻を鳴らすと、それきり興味を無くした様子でホルンから顔を背けた。が、その唇が音もなく動くのを、ホルンは見逃さなかった。

 乾燥しひび割れたそれは、こう言っていた。

『まあ――今まででは一番マシじゃがな』









 クロック伯爵領は広大な割りに、村は先程のサイウェン村しかないらしい。

 三十世帯ほどが住む村の居住区が領土全体の十分の一ほどを占め、彼らが耕す畑がその倍。そして、村の水源となっている湖が同じだけある。


 では、残った部分には何があるかというと――答えは目の前に拡がっている。


「……すげえ森だな」


 村で降ろされた上に荷物も放り出されたときには、何事かと思ったが。

 この森を見れば、成る程と頷ける。

 これだけの森を馬車で通るのは不可能だ。馬でもぎりぎり、鹿がいれば首を傾げたまま進む羽目になるだろう。


「荷物を少なくした理由が解った?」

 年季の入ったトランクを抱えて、ミザロッソがため息をつく。

 ホルンは左手に自分の荷物、右手にミザロッソのもう一つのトランクを持つ。「貴族の里帰りにしてはやけに質素だと思ってたさ。荷物運びポーターでも雇えば良かったんじゃないか?」

「だから、アンタがいるんでしょ」

「あぁ、そう……」


 集まった村人の方が、忠誠心は高く賃金は低く済みそうだったが。

 そう言うと、ミザロッソは首を振る。


「昔からの決まりがあるの。村人は、この森の半分から先には入ってはならないっていうね」

「『貴人の軒先に野犬入らず』か、はっ、時代遅れなことだな」


 蒸気階差機関に始まった経済の機械化は、最先端の科学が伝統の魔法技術と出会った結果生まれた【魔石科学ジェミエンス】に帰結した。

 【マレフィセント】に引きこもる魔術師しか使えなかった魔術という神秘の技を、魔力の源たる魔石を組み込んだ【魔石機関ジェムシステム】が再現したとき、もはや従来の社会は一変した。

 単純作業の自動化により、単純労働者は消滅した――魔石機関は単に便利な道具であり、長くその作業に従事していた労働者の方がその扱いは適切だったのである。


 魔石機関採用道具――通称【魔具】は、単純労働者の地位を一様に職人まで押し上げたのである。今では、彼らにそっぽを向かれては貴族でさえ生活が立ち行かなくなっている。


「それは所詮大都市でのお話よ、都会の鼠さん」

 思ったより慣れた足取りで、ミザロッソは獣道を

 進んでいく。「こういう田舎では、未だに旧来の価値観が支配しているわ。領主、地主、奴隷、それに」

迷信オカルト

 ホルンは淡々と引き継いだ。「こんな話を聞いたことはないか? 森を巡回する黒騎士の話」

「どうせ処女を襲うんでしょ、生き血を目当てに。どうしてそう、男は穢れない乙女ばかり持て囃すのかしらね。閨で悲鳴でも上げられて、萎えるのが関の山なのに」

「ロマンだよ、結局のところな」

「馬鹿みたい」

「男のロマンは、女には理解されないもんさ。逆もまたしかりだがね」


 ミザロッソはちらりとホルンを見て、直ぐに視線を逸らした。


「言いたいことがあるなら言えよ、我が婚約者殿」

「別にないわよ……それより、着いたわよ」

「もうかよ、早いな……って」

 先行していたミザロッソに追い付いて、ホルンは顔をしかめる。「……何処だ、ここ?」


 そこは、どう見ても森の中にたまたま出来た空き地にしか見えなかった――ホルンが期待するふかふかのベッドも、熱い湯を張った湯船も、屋根さえ無い。


「田舎だとは思ってたが。伯爵はこんなとこに住んでたのか?」

「アンタ、話聞いてなかったわね?」

 呆れた顔で言うと、ミザロッソは空き地の中心へと歩いていった。「正当な跡継ぎとして認められるには、必要な儀式っていうものがあるのよ」


 ミザロッソは銀縁の遠眼鏡オペラグラスを取り出すと、地面を注意深く観察する。


「犯人の足跡でもあったかね、探偵君」

「そんな、私には向かない職業に就いた覚えはないわよ馬鹿jerk。良いから、暇なら荷物から私の香炉を出しておいて」

「はいはい」


 自分のトランクを地面に置くと、右手のトランクに手を突っ込み、特徴的な形の香炉を取り出す。

 真球だというその香炉を開け、同じく取り出した香に火を点けて放り込んだ。


 たちまち甘い煙を吐き出し始める純銀の香炉を、ホルンは恭しくミザロッソに差し出した。


「どうぞ、お嬢様?」

「御苦労様」


 目星をつけたポイントに立って、ミザロッソは香炉の鎖を握ると、くるくると振り回す。煙が渦を巻き、たちまち空き地に絨毯を敷いていった。


「『流れよ我が血の如く回路起動、承認せよ』」


 言葉が、現象を引き起こす。

 青い薔薇の花弁を乾燥させた香の煙は、支配者の言葉に正確な反応を示した――ただ拡がって地面を埋めていた煙は一本の川のように凝縮すると、複雑な模様に隊列を組み直したのである。


 お伽噺の、迷路を抜けるための糸のようだ。


 ひどく折れ曲がった経路で、煙はスタートとゴールを繋ぎ合わせる。スタートは勿論ミザロッソの足元で、ゴールは何の変哲もない岩だった。


 アリアドネの糸を、ミザロッソが優雅な足取りで辿っていく。「行き方そのものが、鍵となっているの」聞いてもいないのに、彼女は解説した。「決められた道順で進まないと、鍵は開かない」

 やがてダンスは終わり。

 鍵を差し込まれたドアは開く――岩はまるで幻であったかのように消え失せ、そこには人一人容易く入れそうな、広く深い穴が口を開けていた。


「……高い金を払っただけはあるな」

端金はしたがねよ、計画の先を考えればね」


 行くわよ、とミザロッソはトランクを握り直し。

 はいよ、とホルンもそのあとに続く。

 全ては――貴族の宝を手にするためだ。










 穴に入ると、岩盤を掘り抜いたらしい階段が続いていた。

 手作業らしく歪な段は、坂よりは少しマシ、という程度の急角度で下へ下へと続いている。勿論、手すりなどという気の利いたものはない。

 踏み外せば、奈落の底へ真っ逆さまだ。ホルンはマッチをすると、私物のカンテラに灯を灯した。


「それこそ時代遅れね、蛍石灯マギランプくらい持ってないの?」

「光る石より燃える火種の方が役立つ場合って、結構多いんだぜ?」

 深い洞窟で風向きを察したり、直接的に火が欲しい場合もある。「投げ付ければ、牽制にもなるしな」


 軽口と共にどうにか階段を降りると、そこには、意外に広い空間が広がっていた。


「流石は貴族の道楽だ、地下とは思えないな」

「……単なる貴族じゃないけどね」

「ん? 何か言ったか」

「別に。それより、急ぐわよ。あまり時間がない」

「時間制限があるのか?」

「ホントに何も聞いてなかったのね……」

 呆れた様子で首を振ると、ミザロッソは早足で歩き始める。「村では今夜歓迎の宴が催されるの。私たちはそこに、【証】を持って参加しなきゃいけない」

「それで、証はこの奥って訳だ――って、夜?」


 全く趣味じゃない貴族の衣装から、ホルンは懐中時計を取り出した。

 今は、昼の三時――村を出発したのは昼前だったから、森から村まではおよそ四時間かかる。しかも、馬車で。


 馬車は既に帰っている。迎えに来てくれるかどうか、老人の表情を思い出すと自信はない。


「そりゃあ、無理だろ。今すぐ駆け戻ったって、ぎりぎりだぜ?」

「そこは大丈夫よ、洞窟の出口はあの村のすぐ側だから。そして、洞窟は一本道だから……」

「サボらず歩いてきゃあ、間に合うって訳か」

「私の調べでは、ね」


(調べ、ねぇ……)


「けど、ぎりぎりはぎりぎりよ。のんびりしてる暇はないから、そのつもりでね」

「解ったよ、こっちも、しくじったら一文にもならないんだしな」

「身代金があるからマイナスよ」

「それ納得してないんですけどねぇ!」


 まあ、とホルンは頭を切り替える。

 誰が何を企もうと、自分には関係ない――ホルンにとって重要なのは金を獲ることだ。それも、いけすかない貴族様が後生大事に溜め込んだ財宝ってやつを。


 それが、への最高の供養になる。ホルンはそう信じているし、訂正するつもりも無い。


「証は最深部よ。ぐずぐずしないで」

「解ってるっての。そっちこそ、遅れんじゃねぇぜお嬢さん!」


 二人は同時に駆け出した。目指すものは互いに違う、そう、互いに理解しながら。

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