第2話二人、出会う。
「随分と、愚かな真似をしたわねミスター」
そんな、天上の音楽というには品が悪くさりとて悪口というには素材の良すぎる声をホルンが聞いたのは、二週間前のことだ。
原住民が『
草原の只中で円形に並んだ、巨大な石の柱の中心。柱と同じ石を滑らかに切り揃えたテーブルの上で何処かの何かに捧げられるまさに寸前の出来事だった。
女の声だった。涼しげで高慢な響きと、漂ってきた香水がどちらも酷く鼻に付いた。
「キルア族は、この辺りの部族の中では比較的温厚な部類よ」
声は、頭の方から聞こえた。全身を縛り付けられた状態では、けして見えない位置だ。「それをここまで怒らせるなんて、アンタ、何をしたの?」
「ちょっとした『お楽しみ』さ……って、痛っ!!」
傍らに立っていた、全身に戦士の入れ墨を入れた屈強な若者が、枝で作った鞭を振り下ろしていた。
ホルンには理解できない言語で、何事か叫んでいる。
どうにか首を巡らすと、じんじんと痛む服を奪われた剥き出しの上半身に、赤い筋が刻まれていた。裂けたのだろう、ぽつりぽつりと赤い血が玉のように浮かび上がる。
「あらあら」
女の声は、わざとらしく驚いて見せた。「『この男は我々の祭具を壊したのだ』、ですって。なんと畏れ多いことをしたのかしら?」
「成り行きさ、わざとじゃない。けど、意外だったな」
近付いてきた青年に、ホルンは微笑んだ。「てっきり、お前の妹とのコトを怒ってるのかと思ったよ」
青年は、ホルンの使う
顔を真っ赤にした彼が数回鞭を振るい、ホルンはその度に体を大きくよじらせた――堪えきれない苦痛に、そうするように見えただろうか。
女の声が青年に鋭く何か言った。
余程の影響力があるのだろう、青年はホルンを睨みながらも腕を止め、二人の会話が聞こえないくらい遠くへ下がった。
「『妙な筒で我々を脅して、その隙に祭具を地面に叩きつけた。中から【ウィスタヌス】を取り出すために』。酷いことをするわね、ミスター・こそ泥?」
「手っ取り早くいきたくてね、この地の水はどうも、俺の繊細な体には合わなくてさ」
「その報いで、アンタはこうなってる。あの子がどうしたいのか、教えてあげましょうか?」
「殺したいんだろ、解ってるさ」
「『先ずは柔らかくなるまで鞭打つ』」
女の声が、なぶるようにゆっくりとホルンの周りを回る。「『肉を削ぎ落とし、骨を新たな祭具にする。そして心臓を琥珀で固めて、そこに仕舞う』。あらすごい、アンタ、彼らの神様になれるわよ?」
「見に余る光栄だ、是非とも、それに相応しい聖人君子をもっと慎重な眼で探してきて欲しいもんだね」
「手っ取り早く、やりたいんでしょ……あぁ、待って?」
青年が何か呟いた。女の声に、
思わず、ホルンは下半身に目をやった。
「……冗談じゃないぜ」
「冗談じゃないわ、ミスター。貴方の命運は、今のところ風前の灯火ね」
「それを避けたければ、お前の靴を舐めろってか? それこそ、冗談じゃない」
声に暗い炎をちらつかせながら、ホルンは首を振った。「お前さんみたいな貴族のお嬢様に尻尾を振りたくは……」
ホルンの見栄は、中途半端に途切れた。
ゆっくりと歩いていた声の主が、縛られて僅かにしか首を動かせないホルンが唯一見えるところ、足元にまで移動してきたからだ。
その姿を、見たからだ。
声の主は予想通り。貴族らしい豪奢な服装の女で、予想以上に別嬪だった。
いや、そんな言葉じゃあ言い表せない。
癖の強い、燃えるような赤い髪も。
降り積もった雪のような純白の肌も、そこに浮かぶ鮮やかな碧眼も、真っ赤なパンツスーツに包まれた、女性らしく出るところは出て引っ込むべき所は引っ込んだスタイルも、ピンと伸ばした姿勢の良さから爪の先まで。
彼女の全身は、『美しさ』で満たされていた――異常なほどに。
「……まるで、魔女だな……」
言ってしまってから、ホルンは慌てて口を閉ざしたが、まあ時既に遅し。
放った矢は止まらないように。
言った言葉は消しても消えない。
「…………」
失礼すぎる言葉に、けれども何故だか女は、驚いたように黙ってホルンを見ていた。
居心地の悪くなる沈黙は直ぐに終わり、女は青年に何事かを告げた。
よほどの事だったのだろう、青年は声を荒げると、女の方に詰め寄ってくる。
「おいおい。俺の待遇改善の訴えなら、もう少し穏便にしてくれないか?」
「それは、アンタ次第ね」
魔女の碧眼が、挑むようにホルンを睨む。「お話の続きよ、ミスター。神様にされるのと、私の飼い犬になるの。どちらか好きな方を選びなさい」
ホルンと話す片手間に、或いは、片手間にホルンと話ながら、女は青年に負けない激しさで何かを言い返している。
(……なんとまあ。随分な二者択一だぜ)
骸骨建築干し肉添えか、それとも貴族の道楽に付き合うか。
ホルンにとって、どちらも同じくらいの地獄だ。片方は終わりが直ぐに来て、もう片方はそうでもないという、ただそれだけの違い。
(死にたくはない……だが、貴族様の腹を満たすのだけは、死んでも御免だ)
なら。
だと、したら。
「……第三の選択ってやつだよなぁ!!」
「っ!?」
言い争いに夢中になっていた二人がホルンの叫びに振り返ったときには、ホルンはロープから脱出し、石テーブルの上で身構えている。
「馬鹿な、どこから……」
「悪いねぇ、お二人さん」
左手でナイフを弄びながら、ホルンは両足に力を込める。「俺からのアドバイスだ、獲物をだらだらいたぶるな、殺せるときに殺さないと、逃げられるぜ?」
こんな風に、な。
(……あれ?)
そう言った、心算だった。
そう言って完璧にキメて、捕食者気取りの二人が浮かべるであろう間抜け面を尻目に逃げ出す心算だった。
脳はそう、肉体に命じた筈だった。
全ては完璧だった。その瞬間までは。
「……あー……なるほど」
鉛でも詰まっているように重い右腕を持ち上げ、首の後ろを擦る。
手触りを頼りに引き抜いたそれは、鋭く尖らせた獣の骨だ。
「……お別れ、言ってなかったか」
呟くのが限界だった。
全身火がついたように熱く、それなのに、四肢からは筋肉が消えたように脱力する。よろけ、顔面から石に落ちた筈だが、不思議と痛みは感じなかった。
嵐の小舟のように大回転する視界の隅に、吹き矢を構える部族の少女が立っている。
(これだから――女って大好き)
彼女に出来る限りの笑みを向けて、ホルンは力尽きた。
「…………あれ」
目が覚めたことが意外で、ホルンは間の抜けた声を出した。
と言うことは、と巡らせた視線の先では、例の赤髪の魔女が優雅な仕草で腰掛けている。
「お目覚めのようね、ミスター。快適な目覚めかしら?」
「お陰さまでそこそこだよ、お嬢さん。全身を鎖で縛られてなければ、最高だったんだが」
「あぁ、気が付かなかったわ! どうぞ気にせず、お得意の手品で脱出なさって?」
嫌みには、必要以上の怒りが込められているように思えた。
着替えたのだろう、ドレスのスカートからすらりと伸びた足が目の毒だった。全身鎖でぐるぐる巻きの上天井から吊るされていては、手も足も出ない。
「あー、なんか怒ってる?」
「さあ、どう思いますミスター? アンタが暴れた後、黙らせる相手が青年から彼の妹まで増えて金が二倍掛かったことと、原住民の土地からここまで意識を失ったアンタを閉じ込めたトランクを引きずってきたこと。ヒントはその二つで充分かしら?」
(詰まり、怒ってるってことか)
確かに、彼女が怒っていることの原因としてはホルンが唯一無二の容疑者として挙げられる。だが、ともホルンは思う。
「……何で、そこまでするんだ?」
どうも彼女は、ホルンに何かを期待しているようだ。
それは、恋やら愛やらに飢えた貴族のお嬢様らしい何かではないし、だからといって金や宝石みたいな即物的な何かでもないだろう。貴族のお嬢様が金を求める相手としては、どう考えてもホルンより鏡を見た方が早い。
だとするなら、その『何か』は恐らく労働力だろう。
やらせたい何かがある――それも、自分の近くにいる誰かを使いたくない何か。
知り合いに知られる心配も、口封じしたとして後腐れもないような、使い勝手の良い使い捨ての駒。
貴族のお嬢様がホルンに求めるとしたら、その辺りが妥当だろう。
別に、問題はない――何の後ろ楯もなく何処かの商会に所属しているわけでもない19の餓鬼にとって、ろくでもなくとも仕事は仕事だ。報酬額さえ納得できれば、何だってやる。
だから、問題は――この女がどっちを求めているのかだ。
「アンタが訳ありってのは何となく解るよ、お嬢さん。けど、いみじくもアンタが言った通りさ。二人分の口止め料に彼処までの旅費、そこまでの
挑むように睨み付ける鎖製のみのむしを、女は酷く冷めた眼で見詰めてくる。
あぁと、ホルンは直感する。こいつは、バレてる。
直感を肯定するように、魔女は魔女らしい妖艶な笑みを浮かべた。
「単純な話よ、ホルン。私は、アンタがあのホルンだと知ってるの」
「…………」
「『皆殺し』、『赤雨降らし』、『血狂い』……まるで童話の
「見る目の無い連中だよな、実物見ると、印象変わるだろ?」
「アンタにやって欲しいことがあるの」
やっぱりね、とホルンは冷めた意識で思う。
「結構な儲け話よ、私の言う通りにすればね。手に入れた物も金も、何と
「しれっと借金背負わせようとすんな。それに、山分けだぁ? はは、そりゃあ景気がいい。良すぎて、笑い話にもなんねぇぞ」
考えれば解ることだ。『貴方の持っているそのぼろ靴を金貨百枚で買いましょう、良い話でしょう?』と言われて、マトモなやつなら頷くわけがない。
高過ぎる報酬は、相手を警戒させるだけだ。
仕事の内容が酷いのではないかとか、終わって金を受け取った途端殺されるのではないか、とか。そんな風に思われるのが落ち。
「悪いがお断りだ、怪しすぎるぜ、あんた」
「あら、断れると思ってるの? 今のアンタは、このまま肉屋の冷蔵庫に吊るされてもおかしくない状況なのよ?」
「そこはまあ、何とかするさ。『手品』でな」
「そう……残念ね」
女は、ちっとも残念でなさそうに呟いた。
嫌な態度だった。
残念だけどこの世の全ては私の思う通りになるように出来てるの、なんて言い出しそうな、高慢で傲慢で、美しい態度だ。
そして、残念ながら。
少なくともホルンは、糸の全てを彼女に握られた
どこをどう押せばどんな声をあげるか。
ここでこう引けばどんな顔をするか。
何もかも、全てが全て。美しき赤髪の魔女の掌の上の出来事のようだった。
魔女はゆっくりとホルンに歩み寄ると、にっこりと、天使のように微笑んだ。
それから、身動きのとれないホルンの体を引き寄せると、まるで恋人にそうするよう耳に唇を近付け、囁いたのだ。
「アンタは望みを叶えられる――私と結婚させてあげる」
「……は?」
「そうすれば。アンタは貴族に復讐できるわよ……?」
「っ!?」
「うふふ」
愕然と眼を見開くホルンから身を離すと、女は薄気味悪く笑って見せた。
「さ、答えを聞かせて頂戴。【
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