第18話やけどの利用

「か、母さん。なんかこう、ろうそくが出てくる落語ない? あったら聞きたいんだけれど」


「な、なんなの、ショウちゃん。そりゃあ、なくもないけれど」


 自分の手にやけどのあとをつけられたことを理由に、母さんに罪悪感を持たせて俺のよこしまな欲求を満たすのは簡単だろう……しかし、そんなことよりも俺のやけどを負った右手を気にしながらする母さんの落語を見るのが良さそうだ。


「あるの、母さん。それ、なんて落語?」


「『権助提灯』って落語よ、ショウちゃん」


 『権助提灯』……聞いたこともない。落語といえば、さっき母さんが説明した『寿限無』と『時そば』、それに『まんじゅう怖い』くらいしか知らない俺だ。


「それって、どういうお話なの、母さん?」


「ええと、ひとりのお店の旦那さんが女房だけでなくべつに浮気相手の女を作ってね……その旦那さんが女房がいる自分の家と、浮気相手の女の家を行ったり来たりする話なんだけど」


 浮気かあ。そういえば俺の父親も、俺に愛想をつかしてこの家を出ていくまでは二、三ヶ月は家を開けることもざらにあったな。よそに女の一人や二人いたのかもしれない。そんなことよりも……


「そ、その話にろうそくがどう出てくるの、母さん」


「それは、行ったり来たりするのが夜でね、ショウちゃん。この『権助提灯』は江戸時代のお話だから街灯なんてなくてね、ろうそくをあかりにしてたの。ちなみに、『権助』というのは、旦那さんの店で下働きをしている下男の男の名前で、この権助さんにろうそくを持たせてたのね」


 なるほど、それはろうそくが重要な役割を果たしそうなお話だ。それじゃあ、母さんに俺がろうそくで右手をやけどしたことに対する罪悪感をまぎらわせてもらおう。そのろうそくがキーポイントとなりそうなお話を思う存分やってもらおう。


「じゃ、じゃあショウちゃん。その古典落語の『権助提灯』やる? それとも、パロディがいいかな。この『権助提灯』にも、さっきの『寿限無』みたいなパロディがあるんだけど」


「え、そうなの、母さん。でも、『寿限無』のパロディだったら、関連性のある単語を並べ立てて最後にオチをつけるだけで良さそうな気もするけれど、その『権助提灯』のあらすじを聞く限りそうそう簡単にパロディにできなさそうな話なんじゃない」


「まあ、ショウちゃんの言う通り簡単じゃあないけれどパロディにできないこともないのよ。と言うより、母さんは高校生の頃、まず古典落語をやって、その解説をやって、そのパロディをするってスタイルで人気だったんだから。もちろん母さんオリジナルのパロディよ」


 そうだったのか。母さんの外見が女子高校の時どうだったかは知らないけれど、三十七歳の母さんがこんなにも俺の心をとらえて離さないのだからそりゃあ可愛らしかったのだろう。そんな女子高校生の母さんが、男ばっかりいそうな落語研究会でそんなことをしていたとなれば、オタサーの姫みたいになるのも納得だ。


「だったら、母さんに『権助提灯』の解説をしてもらおうかな」


「それでいいの、ショウちゃん? 古典落語のほうの『権助提灯』やらなくていいの?」


「と、とりあえず母さんの解説を聞いてみたいかな」


 母さんの古典落語かあ。寿限無のパロディをあれだけ上手にやるんだから、その母さんがやる古典落語の『権助提灯』もきっとお上手なのだろう。おおいに興味があるが、まずパロディを聞いてからその元ネタを楽しむというのも悪くなさそうだ。それに、どこの誰が作ったのかわからない古典落語よりも母さんが作ったというパロディの方が興味がある。


「ショウちゃんがそう言うのなら説明するけれど……浮気といえば、男が何人かの女とするものというイメージがあるかもしれないけれど、女が男相手にすることもあるでしょう」


 それもそうだ。母さんは法律上はいまだに父さんと夫婦かもしれない。だが、父さんが家を出ていってしまった以上、この家で二人きりの俺と母さんになにか間違いが起こらないとも限らない。それは母さんの浮気になるのだろうか? 俺が父さんから母さんを寝取ったことになるのだろうか? そ、そんなことよりも……


「つ、続けてよ、母さん」


「と言うわけで、今から母さんがやるパロディは男女を入れ替えるパターンね。お話に出てくる男と女を入れ替えるだけで、そのお話のパロディにオリジナリティが出てくるから不思議なものねえ」


 たしかに。二〇一九年現在、どれだけの歴史上の人物が性転換されてフィクションの登場人物になっただろうか。


「で、商家の女主人が亭主以外に男と浮気する話を母さんが作ったのね。結構評判良かったのよ、ショウちゃん」


「だったら、母さんのそのパロディを早く聞かせてよ」


「まさかショウちゃんに落語を聞かせる日がくるなんてねえ。小学校の頃は『まだ落語なんて早いかな』なんて思ってたら、中学生になったらショウちゃんが母さんを煙たがっちゃて落語どころじゃなくなっちゃったもんね」


「いいから、母さん早くやってよ」


「わかりました、ショウちゃん」

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