第17話手のひらのやけど

「なんだか母さんドキドキしちゃったわ、ショウちゃん。母さんあんなの初めてよ」


「いやあ、すごかったよ、母さん。最初の動画配信であんなにコメントが盛り上がるなんて、ちょっとないことだよ」


「そ、そうなの。ショウちゃんが喜んでくれるなら母さんもうれしいわ。ショウちゃんが部屋に引きこもっちゃった時は母さんどうしようかと思っちゃったもの」


 そのどうしようかと思った母さんを俺は二十年間不安にさせ続けたのか。いま三十七歳になって、三十七歳の母さんを異性として見ているかもしれない俺は。


「ショウちゃん、母さんはねショウちゃんなんとかするからね。くうねるところすむところにも困らせないからね。ショウちゃんをずっと長く助けていくからね。あ、そうだ。母さんね、ショウちゃんに言われて携帯電話の契約した帰りに、ケーキ買ってきたの。ショウちゃんが三十七歳になったお祝いってことで。母さんにしてみれば、十七歳のショウちゃんがいきなり三十七歳になっちゃったんだから……お祝いしたくって」


 お祝いのケーキか……俺が二十年間引きこもっている間、母さんは俺の誕生日になると毎回部屋の前にケーキを置いておいてくれたっけ。『たまには顔を見せてください』なんてメッセージを添えて……あの時はおおきなお世話だとしか思わなかったけれど……こうしてかわいい三十七歳のお母さんを目の前にすると……


「じゃ、じゃあ食べようか、母さん」


「か、母さんはショウちゃんの部屋を出ていった方がいいかな……」


「そ、そんなことないよ、母さん」


 幼稚園、小学校とクラスの誰のお誕生日会にも誘われず、俺自身の誕生日に同じ年代の友達にお祝いをされることもなかった。そんな俺だが母さんだけは誕生日を祝ってくれた。ご馳走を作ってくれたこともあったし、何万円もするゲーム機を買ってくれたこともあった。『これでショウちゃんも友達と家でゲームしたりするのかしら』なんて言いながら。そのゲーム機でされるゲームは一人用のものだけだったが……


 しかし、中学生になるとそんな母さんをうっとうしがるようになり、誕生日には家に帰らないようになった。母さんには『中学生になるといろんなつきあいがあるんだよ』なんて言っていたが、実際はそこらのコンビニでの立ち読みで時間をつぶすだけだった。そんな俺を母さんは『ショウちゃんにも誕生日をいっしょにすごす友達ができたのね』なんて喜んでたっけ。そんな母さんと部屋でいっしょにケーキを食べることになるなんて……


「じゃ、じゃあ、ショウちゃん。せっかくだからろうそくに火つけていいかな。一応小さいの37本用意してきたんだけど……」


「い、いいんじゃないかな、母さん。だけど、37本もあったら火つけるの大変じゃない」


「平気よ、ショウちゃんが喜ぶならこれくらい……」


「て、手伝うよ、母さん……あちっ」


 俺が余計な手伝いをしようとしたら、母さんが火をつけていたろうそくの火が俺の右手をやけどさせてしまった。それもけっこうひどい感じに。


「たいへん、母さんったらショウちゃんになんてことを。いますぐに冷やす氷と水持ってくるね」


 そう言うと母さんは急いで俺の部屋を出ていった。台所にでも向かったのだろうか。部屋の外から騒がしい音が聞こえてくる。と思ったら母さんが大慌てで部屋に戻ってきた。バケツに入れられた氷水を手にして。


「さ、ショウちゃん、すぐに冷やして」


「う、うん、わかった」


 母さんにせきたてられて、俺は右手をバケツに入った氷水にいれた。熱いのか冷たいのか感覚がよくわからない。ただジンジンと感じるだけだ。


「ショウちゃん、平気? とりあえず母さんに右手見せてちょうだい」


「こんな感じだけど……母さん、どうかな」


「たいへん、これじゃああとが残っちゃうかも。ごめんなさい、ショウちゃん。母さん、なんておわびしたらいいのかしら」


 母さんはひどくおびえている。息子の手をやけどさせたにしてもそのおびえ方は普通ではない。俺も37歳の中年なのだから、少しくらいのやけどあとが右手に残るくらいなんでもないことなのだが……いや、母さんにしてみればそうでないのかもしれない。


 中学生になると、俺は何かあるたびに母さんに当たり散らしていた。『母さんの電話での話し声がうるさい。誰からも電話がかかってこない俺への当てつけか』とか、『母さんの作る弁当じゃ恥ずかしい。あんな弁当だったら作らなくていいからかわりにパン代をよこせ』とかいったことだ。


 そんな学校では誰とも口を聞こうとしないのに、家では母さんに威張り散らす俺に母さんはただ怖がるばかりだった。そして高校生になって17歳で引きこもった俺に困りあぐねていた矢先の37歳の俺とのご対面である。そんな俺の右手にひどいやけどをさせてしまったら母さんがこんなふうにおびえるのも無理ないのかもしれない。


 母さんは『これからは厳しくいきます』なんて言っていたけど、あれが精いっぱいのから元気だとしたら。母さんは不安でいっぱいだとしたら。それがこの事故でふき出したとしたら。


 

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