第19話母さんの古典落語『権助提灯』・其の1

 お妾さん、という言葉がございまして、結婚してお嫁さんをもらった男性が、妻を持つ身でありながらよそに愛人を囲う、なんて時にその愛人をさす言葉ですな。二号、なんて言い方もありますね。しかしながら愛人を作るなんてことは何も男に限った話ではなくてですね、女性が愛人を持つ、ということも往々にしてあるんですなあ。この場合、男妾おとこめかけと表現されますね。


 とあるところに大層繁盛している商店があってですね、そんな羽振りのいいお店を取り仕切っているのはどんな敏腕な大旦那かと思いきや、これがまた驚いたことに女主人でありましてね、名前を”さと”と言いました。ところがそのさと、下手な男の商人よりよっぽど豪胆でね、女傑とはまさにこのことといった具合なんですな。

 

 一応結婚してはいるんですがね、その夫は商売は自分の女房に任せっきりでしてね、じゃあばくちや女遊びに精を出しているかっていうと、そうでもなくてですね、ずっと自宅ででおとなしくしている、といった具合なんですなあ。何でも自分は金もうけなんてとても無理だから、妻の好きなようにさせているみたいでして、余計なことはしないっていうのだからこれはこれで大物といった感じも致します。


 が、ちなみに夫のほうの名前は”六助”と申します。周囲の人の中には、まさに宿六だあ、なんて陰口をたたく者もおりますが、本人はまるで意に介しません。実際大物のようですな。


 ところが、英雄色を好むという言葉がございまして、この女主人は大変そっちのほうもお盛んでございまして、とても夫一人では満足できないといった具合でありまして、自宅とは別に愛人を囲う妾宅をもう一軒構えていなさるんですなあ。その愛人は”しょう太”という名前でございまして、そこでさとは愛人さんとよろしくやっていなさるわけですな。


 あたしの妾宅にしょう太はいるかな、なあんてことをおっしゃってはいますが、夫のほうもこのことはご存じなんです。ご存じなんですが、夫は自分一人ではとても妻を相手しきれない。そんなことをしていたらいろいろ搾り取られて精も根も尽き果ててしまう。というわけで時々、いや月に半分くらいは愛人のところに泊まりに行ってくれたほうが自分としても羽を伸ばすことができてホッとできると思っているようでして、まるで嫉妬というものをしやしないんですなあ。


 だったら愛人のほうはどうかといいますと、こちらもこちらでまるで妬んだりはしていない。正式な夫婦として契りを結ぶなんて面倒この上ない。ただ囲われる男妾でいるほうが後腐れなくて気が楽だ。なあんてどっしり構えていなさるんですなあ。


 女主人の器量の成果であるのか、男どもがどっしりとしている結果なのかはわかりませんが、これはこれでうまくいっていなさるんですなあ。


 さて、いつもは本宅か妾宅のどちらにいるかてんで分かりやしないさとですが、今日のところは本宅で六助とともにおり、仕事も終えて夜も更けてきたところに、夫婦二人で仲良く床に就いておりました。その矢先に、二人を激しい揺れが襲いました。自分の妻が愛人のところにいくら通っていてもまったくもって無関心な六助ですが、決して妻を愛していないわけではありません。いの一番にさとのことを心配します。


「うわっ、揺れているよ、こいつは地震だ。さと、大丈夫かい」


「大丈夫だよ、お前さん。あんたのほうこそ怪我はないかい」


「問題ないよ、さと。おっと、揺れも収まってきたようだね。まあ大したことはなくてよかったよ」


「ほんとうだよ、六助。それにしても店のほうは大丈夫かしら。ちょっと見に行かないといけないね」


「いやいや、さと、店なんてどうでもいいじゃあないか。そんな店よりほかに行くべきところがあるだろう。ほら、お前の愛人のところだよ。ええと、名をしょう太と言ったね」


「でもこんな時に愛人のところに行くなんて。やっぱり店のことが心配だよ」


「何を言っているんだい、さとや。こんな時だからこそ妾宅に行かなければならないんじゃあないか。店なんてしょせん生きていくための手段に過ぎないものじゃあないか。人生で大切なものって言ったらなんだと思う、さと。それは愛だろう。僕のほうは大丈夫だから。実際地震が起きて怖かったけれども、さとの顔を見たらすっかり安心したよ。でもしょう太君は大層不安でたまらないはずだ。そんな男を一人にしておくなんて僕にはできないよ。なんてったって同じ女性を愛している男の子なんだからね。だから、さと、早くしょう太君のところに行っておやりなさい」


「ああ、六助、あたし、あんたが夫で本当によかったよ。普段はあたしの言うことに何一つ逆らわずに、自分の意見を全然言わない男だったのに。いや、あたしはそれでよかったんだよ。あたしはこの通り、他人の意見に耳を貸さずに自分の道を突き進む性格だから、夫にするならあんたみたいなのがうってつけだと思っていたんだよ。でもこんなもしもの時にあんたがここまで頼りになるなんてねえ」


「そんなことはどうでもいいから、早くお行きなさい、さと」


「ああ、わかったよ」

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