第7話寿限無の解説

「それじゃあ、まずは東大からね、ショウちゃん。あ、けど、母さんの知識は一九九九年で止まってるからなあ。二十年後の今じゃあちょっと古臭いかなあ」


「ぜんぜん! ちっともそんなことないよ、母さん。今はね、『昔こんなすごい伝説を残した人がいたんだよ』なんて話を、当時生まれてもいなかった子供が『すごいなあ、そんなことがあったんだ』なんて楽しむ時代なんだよ。手塚治虫とか、黒澤明とか。だから、一九九九年の母さんが昔の感性のままで話すことには大いに需要があるんだよ。なんてったって母さんは学生落語のアイドルなんだから」


「いくらなんでも、手塚治虫や黒澤明といっしょにするのは母さんを持ち上げすぎよ、ショウちゃん」


 だから、そうやって顔を赤らめないでほしい。俺のタイプがそのまま実体化している今の母さんにそんな表情をされたら俺はどうにかなってしまいそうだ。


「と、とにかくまずは東大からね。東大ってのは、東大法学部からの大蔵官僚が学歴エリートの頂点って言うくらいだから官僚になるなら何と言っても東大ね。東大生は東大以外は田舎の三流大学なんてバカにしてるみたいよ」


 そういえば、俺が引きこもり始めた頃にキャリア対現場なんて構図の『踊る……』なんてテレビドラマが大ヒットしてたっけ。そのドラマで東大出の官僚が東北大学出の官僚を『田舎の山ザル』なんてバカにしてたな。


「で、そんな東大出の官僚が、天下りしてものすごい給料もらってたりするのよね。ごめんね、ショウちゃん。母さんがそんな天下り官僚だったら、ショウちゃんもお金の心配せずに、安心して引きこもっていられたのに」


「べ、べつに母さんが謝ることじゃあ……」


 そんなふうにいい感じにくたびれた、エロスをかもし出す人妻である母さんがぺこぺこ頭を下げると、俺のサディズム心がどうにかなってしまいそうだ。


「つ、次は京都大学ね」


「か、母さんの母校だね。よ、もと女子京大生」


 こうでもして母さんをはやし立てないと、よけいな下心が押さえきれなくなりそうだ。


「やだ、ショウちゃん。母校だなんて。母さん中退しちゃったんだからね。そ、そんなことよりも京都大学の話ね。東大が官僚養成大学なら、京大は研究者輩出大学ってところね。入試にもその特色が出てるわ。簡単に言うと、東大は普通の人が二時間かけて八十点取る問題を、一時間かけて八十点とらせる入試を出すのね。それに対して京大は、普通の人が二時間かけても三十点しか取れない問題を、二時間かけて八十点取れるような人間を見つける入試を出すのね」


「つまり、東大は雑多な仕事を効率的にこなす人材を求めてて、京大は一つの問題に徹底的に取り組む人材を求めてるってこと、母さん?」


「きゃあ、ショウちゃんすごい。母さんの高校時代にも、そこまで飲み込みが早い子はいなかったわ」


 母さんは大喜びだが、これはまずい。このままだと俺がテストでいい点を取った小学生の時みたいに抱きついてきかねない。十歳の俺と三十歳の母さんならまだしも、三十七歳の俺と三十七歳の母さんではなにか間違いが起こらないとも限らない。


「か、母さん。つ、続きを」


「そうだったね、ショウちゃん。それで、京大は基本的に放任主義なのね。研究に取り組みたいのならそのための環境は用意するけど、大学を就職するまでの遊ぶ場所と考えているのなら好きにしなさいってスタンスなのね。というわけで、堕落する学生はとことん堕落するのが京大なのよ。試験で『この授業の行われた教室はどこか』なんて問題が出たくらいなんだから。授業にろくにでないで試験だけ受ける学生が多かったことの証拠ね」


「京大の入試でカンニング騒ぎが起きたことがあったんだよ、母さん。一九九九年にはもう携帯電話があったよね。それがどんどん進歩して、それを悪用したカンニングがあったんだ」


「まあ、入試でも。ショウちゃんがそんないけないことをする人間にならなかったことだけは、本当母さんホッとしたわ」


 一部の引きこもりオタクが何かやらかした時に、大多数の引きこもりが『自分は犯罪を起こさないだけマシ』と自分をなぐさめる。しかし、子供の時の思う存分好きなだけ自分を甘やかしてくれた母さんが、その時の姿のままでそんなことを言ってくれると、いろいろこじらせた三十七歳の俺はなにかいけないことを母さんにしでかしそうになる。


「そうよ、世の中には人をだましたり悪いことをしてお金を大儲けしている人間がいっぱいいるのよ。それなのに、なんで働いていないだけでショウちゃんが悪く言われなきゃあいけないのよ。ショウちゃん、安心してね。全部母さんにまかせてくれればいいんだからね」


 実にまずい。聖母と言うか、理想がそのままの俺の母さんにそんなことを言われては、俺はもうだめ人間になるしか道はないのではないか。同い年の母さんに世話され続ける俺。八十歳の母親に世話をさせる五十歳の息子という未来が問題になったが、このままでは八十歳の俺が八十歳の母親に世話をされるのではないか。

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