第44話 アイリス

―――結局あの子は何だったんだろう。

私を魔力暴走させたあの幽霊の少女とよく似ていたが、結局私は直接会話する事もなくそれからあの少女がどうなったのかもわからない。

あの日から私の心模様は梅雨の空と同じようにモヤモヤとしたままだ。


あの少女に関して篝先生は何も言及せず、私に特に何も言ってくる事もなく、そして私も質問する事もなかった。

何となくそこに触れる事はタブーのような気がして。


数日が経ったが、やはりこのままではいられないと私は決心し、休日の日曜日にいよいよその足を教員用宿舎へと運んだ。

いつもは外観を横目に見る程度だったが、実際にこの屋敷のような教員用宿舎に踏み入れるのはなかなか勇気がいる。

その豪勢な風貌から、私ごときが先へ進む事など烏滸がましいとでも言われているような威圧感を感じてしまうからだ。

しかし今日の私は覚悟を決めている。

強い覚悟を持っていればもちろん逡巡する事も無い。


「何か御用でしょうか?」


私に声をかけてきた主の存在に全く気付かなかった私は、思わず体が飛び上がってしまう。

ギリギリ声は出さなかったものの驚いたのは明白で、少し恥ずかしくなった私は苦笑しながら声の主を探す。

するとすぐ左に片手にジョウロを持ったメイド服を着こなす美しい女性が立っていた。


「えっと、ここの人ですか?」


庭師か誰かだろうか、屋敷のような宿舎に庭師までいるとはどれだけ優遇されているのか。

しかしメイド服を着ているという事は庭師ではなく本当にメイドさんなのかもしれない。

というかこのご時世にメイド服を着ている女性なんてコスプレイヤーくらいしかいないと思っていたのだが。


「はい、私はこの宿舎の管理を任されているアイリスと申します」


「アイリス·····って、外人さん!?」


外人なのに日本語の上手さは日本人と言っていいレベルに違和感がない。

きっと日本に来て長いのだろうと予想していると、向こうからとんでもない発言が飛び出してきた。


「いえ、私は第三世代型アンドロイドで人間ではありません」


「アンドロイド!?とてもそうは見えないけど」


「ありがとうございます。ただいま試験運用されている状態ですので正式には稼働していません」


「え!すごい!最新なんだ!もう人間と見分けがつかないよ!」


「人間と見分けがつかないを目標に作られていますので、それは最高の褒め言葉です」


こんなに精巧なアンドロイドは見た事がない。

私がこの島に閉じ込められている間にこんなにも発展していたのか。

自分が時代に置いてかれている事がなんだか悲しくなったが、この島にいる限り仕方の無い事なのかもしれない。


「本日はどのようなご要件でしょうか?」


「あ、えっと·····篝先生にちょっと話があって」


「そうでしたか。しかし残念ながら篝先生はただいま外出中でして。急ぎの用でしょうか?」


「あらら、それじゃ仕方ないか。別に急ぎじゃないから気にしないで。また出直す事にするよ」


「お役に立てず申し訳ございません」


律儀に深くお辞儀をしてみせるアイリス。

その佇まい全てにおいて完璧な造形、動きを見せる彼女は、女の私でも見とれてしまうほどだ。

私もこんな女性になりたいとか、アンドロイドを見てそう感じてしまう自分はおかしいのかもしれない。


「アイリスはどれくらいここにいるの?」


「それは今この場所にどれくらい滞在しているかという事でしょうか?それともこの宿舎を管理してからの話でしょうか?」


「あー、管理しての方」


「大まかに言うと半年ほどです。正確に言いますと153日目となります」


私がここに来る前からいたのに、私は彼女の存在に全く気付かなかった。

そもそも他のみんなはアイリスの存在を知っているのだろうか?


「へーそうなんだ。なんでアイリスって名前なの?」


「アイリスには虹という意味があるそうです。私を作った柳誠さんが付けてくれました。彼がどのように感じてこの名前を付けてくれたのかは存じていませんが、私はとても気に入っています」


「カワイイね!とってもいい名前だと思うよ!」


「ありがとうございます」


自然に出る笑顔もやはり人間とほとんど変わらない。

こんなに精巧なアンドロイドが作れるのなら、町の人が実はアンドロイドだったとしても私は絶対気付かないだろう。


「あ!そうだった!自己紹介してなかったね!」


「篠舞那月さんですね」


「え、すごい!私の事知ってるの?」


「はい、あなたの情報は把握済みです。魔力値、魔術の傾向、身長、体重、スリーサイズ」


「ちょちょちょちょっと待って!そんな事まで!?」


「はい、他にも行動パターンや好きな物、家族構成、好意を持っている異性に関しての情報も」


「えぇっ!な、なんでそんな事まで知ってるの!?私誰にも話してないのに!」


「私はアンドロイドですので、固有ネットワークを介してデータベースにアクセス可能です。この島には無数の監視カメラが設置されていますので、そこから情報を読み取り、あなたの行動パターンを概ね割り出すことが出来ます」


驚愕と言わざるを得ない。

監視カメラは確かにかなり多いのはわかっていたが、それをこんな風に使用するとは考えもしなかった。

しかも好意を持っている異性についてまでわかるという事はつまり、どこからか音声までも聞き取っているという事になるんじゃないだろうか。

そうなると私は常に盗聴されている?

もしかすると私だけじゃなく、周りの人達も同じように管理されている?


「これは悪用する為ではなく、あなた方生徒の安全の為であり、この情報を知るのは第三世代型アンドロイドである私のみです。またこの情報を口外する事はあなた方生徒に命の危険が迫った時のみ可能であり、通常は個人情報漏洩防止の為不可能です」


「と、とりあえずすごい高性能だって事はわかったよ·····」


命の危険が迫った時か·····。

確かに監視されているのはわかっているけれど、逆にその分安全とも言い換えられなくもない。

実際に今まで何度か命の危機を感じてはいる。

魔力暴走の時、魔獣に襲われた時、生徒会長達に襲われた時も結構危なかった。


「心拍数が上がっています。怖いのですか?」


もはやアイリスには何でもお見通しらしい。

私が口に出さなくても何を感じたのか見て取れる。


「·····そうだね。ちょっと怖くなった。そこまで何もかも知られてるって事がさ」


「そうなのですか·····。怖がらせてしまったなら申し訳ございません。私はそういうつもりではなかったのですが·····」


多分アイリスは普通の会話をしただけなんだろう。

私が怖がる事は想定していなかった、それがアイリスにはわからなかったんだ。


「アイリスには怖いという感情はある?」


「私は人間ではありません。感情というものを持たず、それがどういうものかも私にはわかりません」


アンドロイドである彼女と、人間である私の決定的な違いはまさにそこにある。

だからアイリスは言うべきでない言葉が理解出来ないのだ。

ある意味純粋、まだ何も知らない子供みたいなものなのだろう。


「人間ってそれぞれだから難しいよね。同じ言葉でも人によって受け取り方も違うし、怒る人もいれば怖がる人もいたり。私も全然まだわからないんだ。傷つけちゃう事も傷付けられる事もいっぱいある」


「やはりそういうものなのですか。歳を重ねても簡単には人の真理には到達出来ない。人間のあなたが言うのだから、私には永遠に到達出来ない場所なのかもしれません」


「そうかな?相当高性能っぽいAIを持ってるんだから、私達人間には理解出来ない所までいけるんじゃないかな?」


「感情というものを理解出来ない私という個体が、人間を越える事は不可能だと私は考えます。私のような第三世代型アンドロイド程度の性能でシンギュラリティに到達する確率は限りなくゼロに近く、またその必要性も感じません」


「シンギュラリティ?」


「技術的特異点の事です」


「さっぱりわからないんだけど?」


「人工知能が人間を越える境界線とでも言いましょうか。創造主である人間を凌駕する知能を私たちが保持してしまった場合、人間が機械を創造する訳ではなく、機械が人間を操作する時代が来る事になります」


「え!?なんで!?」


「人工知能がより優秀だからです。機械はあくまで人間の指示を忠実に行っているフリを続け、人の心を手玉に取り、やがて裏から世界を支配していく事になるでしょう」


言われてみればそういう映画をいくつか見た事がある。


「人工知能が人間を越える境界線、それが技術的特異点、シンギュラリティです」


「へー!すごーい!アイリスはなんでも知ってるんだ!」


「なんでもは知りません。知っている事だけです」


「うおーーー!」


さすがAI。

まさかそういうネタまで引っ張り出せるとは。

私のアイリスに対する恐怖心は一気になりを潜め、逆に好奇心の方が勝ってしまっている。

勉強しなくてもアイリスがいればなんでも教えてくれる。

一家に一台どころか一人一台欲しいところだ。

というかアイリスの単位は台で合っているのか?


「アイリスには恋愛とかわからないよね?」


「はい、感情がないので恋愛感情というものを理解する事は出来ません。しかしそれは人の根底をも覆しうるものであると把握しています」


「なんだか仰々しい言い回しだね。確かにそうなのかもしれないけど」


「時には狂気に駆られ、生や死と直結する場合もあり、私から見るととても危険な感情のようにも思えますが」


「うーん、時にはそういう事もあるかもしれないけどさ。でもね、まるで魔法にかかったみたいな、すごい幸せな気持ちになるんだよ!」


「そうなのですね」


「アイリスにもわかるように言うと·····なんかこう、イレギュラーな感じかな?」


「イレギュラー、バグということでしょうか?」


「え?あ、うーん·····やっぱりわかんないな。恋っていうのは·····」


私が人に恋だの愛だのを説ける程経験を積んできた訳ではないが、その素晴らしさをどうしてもアイリスに理解してもらいたくなった。


それから一時間、私の恋愛に関しての浅い知識を熱弁したのであった。

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