第43話 繋がれぬ者

―――連鎖的に、次々と窓の外の光景に反応を示す71組の生徒達。

同時に教卓にいた篝霧也も、外にいる少女を目撃し固まる。

篝の頭の中を駆け巡るのは、この状況に於いて自分がすべき最善の行動は何か、最速でその答えを導き出した。


「こんな場所へ迷い猫か。お前達はここで待っていろ」


極力冷静に、事を荒立てずに、かつこれが異常事態である事を悟られてはならない。

そして篝は動揺を全く顔に出さず、普段と変わらず面倒くさそうに言葉を伝える。

篝の判断は最善と言えるが、この件に関しては大きな懸念材料が残ったまま。


あの少女と面識がある篠舞那月が今、この光景を目の当たりにしてしまったという点だ。

ここで那月が何かしら声を上げてしまうと厄介な事になりかねないが、この状況下で一番問題なのは那月と外にいる少女との直接的な接触。

それは避けるべきだと篝は理解している。


教室を後にした瞬間に、神妙な面持ちで彼の元へと駆け寄ってきたのは如月月夜。


「想定外の事態が起きるてるわ」


「それはもうわかってる。まさかここに姿を現すとは」


「違うの。あれは思念体じゃない」


篝はその言葉を聞いて思わず立ち止まる。


「まさか·····」


あの篝霧也でさえも動揺が隠せない、それ程の事が今この場で起きていた。


「えぇ、本体よ」


「どうやって外へ?」


「彼女を繋ぎ止めておくことは人間には不可能だって、COSMOSは言い訳してたけれど」


「繋がれぬ者か·····厄介だな」


再び歩き出した篝はそのままグラウンドへと足を運ぶ。

外はシトシトと雨粒が降り続いてはいたが、傘など持ってくる時間など彼にはない。

それほど現状は切羽詰まっている。

雨に構わずグラウンドの中心へと、銀色の髪の少女の元へと足を運ぶ篝の心中は穏やかとはいかない。


(さて、どうしたものか·····)


篝自身、その少女と接触した事はなく、ましてやその少女を目の当たりした事は一度としてない。

しかしいくらか情報は聞いている。


(知能はあるが意思があるかは未知、コントロールは難しい。どんな力を持っているかは現状把握しきれていない。唯一わかっているのは思念体を出現させ、それを自由に動かせるという事だけ)


歩きながらもどうするべきかを次から次へと思案する篝には、もはや雨の冷たさなど感じてはいない。


(だが思念体は本体から100m程度までしか展開出来なかった。つまりここまで届かない故に、本体が自ら出向いたという事か?何のために?決まっている、ここには篠舞那月がいるからだ)


近付くにつれて、その少女の異様さは一層際立っていく。

降り注ぐ雨は少女にはただの一粒すら当たる事なく、彼女を包むように小さく展開されたフィールドをなぞるように流れ落ちるばかり。


(繋ぎ止める事が出来ないのなら俺にはあいつを止める事は無理か。だがそれなら篠舞を隠しても意味はないだろう。この少女が篠舞と接触した場合、その瞬間に何かが起きるとは思えないが危険であるという事に変わりはない)


「ったく、毎度損な役回りだな」


少女の展開するフィールドの僅かに外に立ち、篝は一度小さな溜め息をこぼした。


(もしもの時は篠舞を·····)


そこで彼は考えるのをやめる。

そうさせないのが自分の役目で、彼にはそれ以上を考える必要はないからだ。

ようやく邪念を振り払い少女に声をかけようとした時、先に反応を見せたのは少女の方だった。


「雨はどうして降る?」


透き通るような美しい声で少女は降り続ける空を見上げながら問いかける。


「·····そういうものだ。晴れの日もあれば曇りも雨もある。風が強い日もあるし、雷が落ちる日もある。それがこの世界の仕組みなんだよ」


「なら、雨はどうして冷たい?」


「·····そういうものだからだ」


「どうして水が無ければ命は生きられない?どうして水でなければならない?」


適当に話を逸らそうとした篝だったが、畳み掛けてくる質問の応酬に嫌な予感を感じる。

このままどこまでも質問を投げかけられ続けるのではないか、そんなものに付き合っていられる程暇ではないと彼は思った。


「そんな事は俺に聞くな。それよりもなんでお前はここにいる?」


話を強制的に打ち切って、今度はようやく篝が質問を返す。

空を見上げていた少女はようやくその視線を落とし、その美しい赤い瞳を篝に向ける。


「世界を見たくなった。あの部屋にいる事に意味はないと感じた」


世界を見たくなったという理由だけでから簡単に出てきた少女、それは普通の人間には到底なし得ない芸当。

脱獄不可能と言われたアルカトラズ刑務所から脱獄する程の出来事といっても遜色はない。

それがわかっているからこそ、篝は思わず笑ってしまった。


「ふ、それで?この世界はどうだ?楽しいか?」


「楽しい?楽しいとはどういう感覚?」


「そうだな、楽しいってのは心が踊るって感じか。見る事、聞く事、それを幸せだと感じる時間。経験した時間が素晴らしいと思えるなら、それは楽しいんだろう」


「·····それはまだ私には理解出来そうもない」


「いずれわかる日がくるだろ、お前にも」


篝はその鋭い視線で周りを軽く見渡す。

その視線が周辺に隠れている人間達の存在を捉える。


「周りに隠れてる人間達はずっと私を追いかけてる。妙なものを手に、その先端を私に向けているばかりで近寄ってもこない」


「お前はどうしたいんだ?これから何をしたい?」


「この世界を知りたい。人間を知りたい」


その風貌は異質な存在ではあるが、探求心はまるで何も知らない無垢な少女。

最初に感じていた僅かな恐怖心はこの短時間で消えてしまった篝。

自分よりも年上のはずだが、見た目と変わらない程の知識しか持ち合わせていない少女に親心のようなものを感じてしまう。


「知識を得る事は重要だ。沢山の事を経験し、知らない事を知る。お前もどんどん知っていけばいい。この世界の事を。人間を」


「·····お前は他の人間とは少し違う気がする。他の人間はあまり会話をしようとはしなかった」


「恐れてるからだろ。お前の事が怖いんだよ」


「怖い、とはつまり恐怖というもの?それも私にはよくわからない」


「急ぐ必要はない。理解しようという気持ちがあれば、いずれわかるだろう」


そんな二人の元へ近付いてくる足音。

それに気付いて横に目をやれば、傘を片手に白衣を着た眼鏡の男が立っていた。


「もうその辺りにしといてもらえますか?」


「柳か、遅かったな」


そこにいたのは柳誠。

申し訳なさそうに頭をかきながら苦笑いを浮かべる。


「ちょっと大事な会議に出てまして。いつの間にかうちのが散歩に出かけていたようで、ご迷惑をおかけしました」


「マコト、私はこの男ともっと話がしたい」


「いいえ、それはダメですよ。彼は忙しいのでこれ以上邪魔をしてはいけません」


「ダメなのか?そうか、それは残念。この学校というものにも興味があったのに」


単純に知らない事には全て興味を示すという点に於いて、やはり幼い少女と変わらない。


「暇があればまた相手になってやる。今日のところは柳の言うことを聞いておけ。俺はまだ授業中だからな」


「また話してくれるの?なら、また来る」


少女の言葉を聞いて柳は頭を抱える。

ここには篠舞那月がいるので、少女にはここに近づいて欲しくないというのが本音。

篝の軽い一言でそのリスクをおわなければならなくなったとあれば、やはり誰でも頭を抱えるだろう。


「篝さん、あまり妙な事を吹き込まないでくださいよ?」


「止められないのなら何をしても無駄だろ。なるようになるさ」


「·····確かにその通りなんですが」


柳は少女に手を差し伸べる。

少女は差し出された手を自然に掴み、柳に連れられてこの場を離れていく。


(篠舞のワードは一度も出てこなかったな。目的はあいつではなく、本当に単純に意味もなくここに来てしまったのか·····。或いは無意識の内に引き寄せられているのか)


「まぁどっちでもいいか」


ポケットからタバコを取り出した篝だったが、それはもう雨に濡れてとても吸えるものではなくなっていた。

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