第33話 沸点
―――昨日の夜の記憶が朧気だ。
何かあったような気はしているが、今の今まで全く思い出せずにいる。
お風呂に入った記憶はあるのだが、その周辺の記憶に靄がかかっているような気持ち悪さがある。
「んー·····」
「どうしたのよ那月、浮かない顔をしてるみたいだけれど?」
まほろちゃんが考え込んでる私の顔を見て心配してくれたのか話しかけてきた。
「あー別に、なんでもないよ」
しかしまほろちゃんに心配されるような事でもないので適当に受け流す。
こんな風に記憶が曖昧になるなんて事は魔力暴走の時くらいだったが、もちろん昨晩にそんな事があったわけでもない。
「いつもより元気なさそうに見えるわ。何か悩み事があるなら聞くわよ?」
私が適当に流したはずの会話をさらに続けようとするまほろちゃんに妙な苛立ちを覚える。
言ったところで解決出来る訳もない話題をいちいち説明するのも面倒臭い。
「なんでもないって。気にしなくていいよ」
「·····そう?何かあったら·····」
「だからなんでもないって!」
しつこくまとわりついてくるまほろちゃんへの苛立ちが募り、気付けば私は声を荒らげていた。
私のそんな言葉にまほろちゃんも目を丸くし、周りの皆も一斉に私の方へと視線を向けていた。
「ご、ごめんなさい·····。怒らせるつもりじゃなかったの·····」
「あ、いや、えっと·····」
自分が今何をしたのかわからなかった。
本当に心配してくれた友達にこんなに強く当たるなんて。
「おいおいなっち、どうしたんだよ?そんなに怒って」
「怒ってなんかない·····と思う。ただちょっと今日は、なんだか余裕がないみたい」
皆からの視線が痛い。
私の方を見るなと、見世物じゃないぞと、そんな気持ちが湧いてきている事が自分でも驚きだ。
「体調崩してんじゃないの?なっち、本当に大丈夫?」
「大丈夫。それ以上もう何も言わないで」
心配される事が鬱陶しい。
いちいち私に干渉してこないでほしい。
面倒臭い無意味な会話をこれ以上続けるとどんどん苛立ってしまいそうだ。
「なんか今日の那月先輩·····怖いっす·····」
「ひ、ひ~。お助け~」
私の姿を見て、言動を聞いて、美沙羅ちゃんと茂明君の顔は青ざめていた。
ドン引きというのはまさにこの事を言うのだろう、しかし私の怒りのボルテージが上がってしまうと自分の意思に関係なく口に出てしまう。
「那月、保健室へ行こうか」
私の事を見て突然行動を示したのは来栖君。
他の後輩二人とは違い、私の元へ近寄ると自然な流れで私の手首を掴む。
勝手に触れられた事で体が拒絶反応を起こし、激しい嫌悪感に襲われると同時に、私は吐き捨てるように言い放った。
「触るな」
「な·····」
その手を乱暴に振り払って威嚇するように睨み付けると、来栖君は焦ったように私から少し距離をとる。
「お、落ち着け·····。僕は別に何かしようって訳じゃなくて·····」
「何度言えばわかるの?もう私に話しかけないで。無意味な会話に付き合ってなんかいられないの」
抑えられない。
苛立ちの方が強すぎて吐き出さずにはいられない。
私はそれ以上この教室にいる事が出来ずに一人で外へ出る。
込み上げる激情は外に出て一人になっても一向に収まることはなく、心の中で燻り続けていた。
―――「私何か気に触るような事言っちゃったかな·····」
那月が出ていった教室に残っていた他の面子は、嵐のような一部始終を見終えて途方に暮れていた。
その背中を追いかける事は誰にも出来ず、教室内は一気に冷えたようにも感じられる。
「いや、お前は何も悪い事はしてない。おかしかったのは篠舞の方だ」
ずっと黙っていた神は自分の席から立ち上がりながら落ち込んでいるまほろにフォローを入れる。
「おい神、まさかなっちを追いかけるのか?」
「いや、俺にはやる事がある」
そう言って多くを語らず神も教室を後にする。
残されたメンバーは何が何だかわからない状況に混乱するしかなかった。
「那月先輩があんな感じになるなんて初めてっす。このクラスが嫌になったんすかね·····?」
「え~、でもでも昨日まではいつも通りだったと思うけどぉ·····」
「那月·····」
「まほろ、気にするなって。神も言ってたろ?お前は悪くないって」
「でもぉ·····」
こんな事になるとは全く考えてもなかったまほろの心中は穏やかとはいかない。
自分が引き金を引いて傷付けてしまったかもしれないという事に耐えきれず、目には涙を浮かべている。
それを隠すように俯いていたまほろの頭を、なだめるように優しく撫でた涼平を見て、美沙羅はニヤリと笑みを見せたが冷やかすような事は言わなかった。
「おっし、気分転換に放課後は甘い物でも食いに行くか!」
涼平の優しさはまほろにとっては最高の救いだが、弱っている姿をあまり見せたくない彼女は溜まった涙を拭き取るとすぐに顔を上げる。
小さく深呼吸してあくまで気丈に振舞おうとしていたが、赤くなった目を見までは隠しきれない。
「そうね·····。たまにはあんたに付き合ってあげてもいいわ」
「素直じゃないねぇ」
「なによ?」
「別に~。なんでもないよ」
「準備は出来ています。あとはタイミングのみ」
学校が終わり放課後、天知時雨と遠見秀一は生徒会室にいた。
会長席には仰々しい、まるで校長室かのような装飾を施した年季の入った机と、クッションが体を包み込むかのような椅子が置かれていて、その椅子に腰掛けていた時雨は口端を吊り上げる。
「今日はいい日になるよシュウ」
「そうですね、きっと最良の日となるでしょう」
秀一は口ではそう言ったものの、表情は少し強ばっている。
もちろん時雨は秀一の些細な表情の変化に気付けない程の観察眼ではない。
今まで数多の視線を掻い潜ってきた時雨。
人の心情を見抜く洞察力、頭の回転の速さなど、彼女は魔力以外にも秀でてる部分は多い。
「あまり浮かない顔をしてるなシュウ。何か心配事でも?」
時雨の前では隠し事など通用しないと知っている秀一は、自分の抱えている一抹の不安を打ち明ける。
「·····今回はいつもとは違います。相手の情報を全く入手出来ていません。相手の弱みを握れれば良かったのですが、今回はそれが出来ないというのが気にかかります」
「それは仕方ない事だとわかっているだろう?71組に関する情報は全て抹消されているか、特別な権限がない限りはアクセス不可。父の権限でもアクセス出来ないとなると、他に方法はない」
「そうですね。申し訳ありません会長。こんな不安にさせるような事を言って」
「大丈夫。うまくやるよシュウ。最高に楽しいショーを見せてあげよう。きっと笑いが止まらなくなる」
「期待せずにはいられませんね。彼女はどんな声で泣いてくれるのでしょうか」
時雨は立ち上がるのと同時に不敵な笑みを浮かべ、これから起こす出来事を心の底から楽しんでいるというのが外からでも窺える。
そう、彼女にとってこれは至高の愉悦、比類なき快楽、誰にも理解されぬ特別な時間。
唯一の理解者、遠見秀一と出会い彼女の理想はようやく形となる。
生徒会長としていられるこの一年は時雨にとって名誉や内申書などよりもずっと価値のあるものだった。
そして今夜の標的は篠舞那月。
その毒牙がゆっくりと近付きつつあるなんて、那月本人は知る由もなかった。
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