第34話 衝突

那月の元にそれが届いたのは、すっかり日も暮れた頃だった。

モヤモヤとした感情をずっと抱えたままの那月は、ベランダのガラス戸を軽く小突いた音にデジャブを感じる。

ベランダを見ればそこには封筒が落ちていて、それを手に取りながらも昨日の出来事を思い出せないままの那月は唸り声を上げる。


「確か·····昨日もこんな事があったような·····」


何も考えずに中に入っているメモに目を通せば、理解が追いつかない様子で首を傾げた那月。

内容はこうだ。



『感情のコントロールが出来ないのには理由がある。今日、22時ちょうど、体育倉庫の前で待つ。必ず一人で来るように』



「このモヤモヤの正体は·····何かされているからなの?やっぱり昨日の記憶の欠落は·····」


違和感はもちろん彼女の中にあった。

普段は温厚な性格の那月が、特に何の理由もなく激情に駆られる。

彼女の人生の中でこれほどまで短気になった経験がない故に、今日の自分の感情の波に違和感を覚えるのは当然だ。


「許せない·····」


怒りの感情が彼女を支配する。

もはや今の彼女に冷静に物事を判断する力はなく、ただ本能のままにその矛先を向けるしかなかった。


自分を陥れた者がいる。

その犯人か、その情報を知っている者がそこにいる。

だから向かう。

そんな単純な思考を持って那月は指定された時間よりも早く部屋を出た。


すっかり暗くなった夜道を一人歩く那月。

寮を出て正面に向かうだけで71組専用校舎があるが、もちろん誰もいないので静寂と暗闇に包まれている。

肌寒さも抜けつつある気温を纏い、校舎の脇を抜けグラウンドの周りを四分の一程歩けば、そこから左手に体育館が見えた。

体育館の横に併設されている体育倉庫、その前の空間は周囲から死角となる位置で、さらにその場所には監視カメラもついていない。


那月がその場所へと近付いていくと、突然彼女の体に電気が走った。

心音が一際大きく脈動したのを、彼女自身も感じ取っていた。


「今のは·····」


その場所には確かに何も無かったが、彼女の体は何かに触れたと言っている。


「ようこそ、我が領域へ」


そんな僅かな感覚の記憶を攫っていったのは、聞き馴染みのない声。

その声の主は探すまでもなく、堂々と真正面の体育倉庫前に立っている。


「あなたは·····」


「この私を知らないって事もないでしょう?」


いくら他のZクラスから離れているとはいえ、さすがに那月もその女の存在は知っている。


「生徒会長がどうしてこんな所に?」


生徒会長天知時雨という存在を那月は知ってはいたが、会話をした事もなければ、出会った事もすれ違った事すらもない。

そんな生徒会長が何故今ここにいるのか、那月には皆目見当もつかなかった。


「篠舞那月、春休みに魔力暴走を起こして覚醒し、71組に編入。活気があって協調性がある良い子だと聞いているよ」


自分の情報を調べているという事に驚くと同時に、那月は目を細めて時雨を睨みつける。

何故自分の事を調べたのかという疑問はあったが、それを塗り潰すのはやはり怒り。

勝手に調べられて自分の情報を入手されているという屈辱が彼女の憎悪を増幅させる。


「勝手に調べないでもらいたいんですけど。そういうのちょっとムカつくんで」


「ふふ、さて、そんな事はどうでもいい。あなたがここへ来た理由はその感情の波に飲まれてしまっているから。どうしてそうなったのかを知りたいのよね」


「回りくどい話はどうでもいいんです。さっさと教えてもらっていいですか?」


本人に自覚は無いが、その苛立ちは顔と体にも如実に表れている。

睨みつけたまま眉を顰めている顔と、落ち着きなく貧乏ゆすりを続ける右足、その姿を見て思わず笑みを零す時雨。


「まぁそう慌てるな。私は急かされるのが嫌いでね」


「あなたの好き嫌いなんてどうでもいいの。私はただ真相を聞きに来ただけ。それ以外の話をする気はない」


「私が真相を提供するのなら、その見返りを私に提示するのが道理。需要と供給ってそういうものでしょ?」


「じゃあ何が欲しいんですか?」


「私が欲しいのは情報。あなた達71組の情報だよ。何故か特別視されている71組、その理由や他のクラスメイトの情報、篝霧也という担任の情報。あなたが知っている全ての情報と引き換えで手を打ちましょう」


大袈裟に、そして挑発的に見合わない対価を要求した時雨、その横にいた秀一も思わず口元を緩ませる。

それと対称的な那月の心情。

元々穏やかではないその感情の波がさらに大きく揺れ動かされ高波になりつつあった。


「要求が見合わない。話にならないので帰ります」


踵を返してその場を立ち去ろうとした那月だったが、そこから少し歩いたところで何かにぶつかって尻餅をついた。

何が起きたのかわからず見渡してみてもやはりそこには何も見えない。


「残念ながらあなたには拒否権は最初からないの。私の結界内に入った時点で私の要求をのむ以外ここから出る方法はない」


「結界·····?」


すぐに立ち上がってその何もない場所に手を伸ばしてみれば、その掌に押し返してくる力が加わる。

一気に力を入れて押してみても、その反発力を押し返すにはまるで至らない。


「一度入ったら私が許可しない限り外へは出られない。そして私はこの結界内への侵入をこれ以上許可しない。結界内は外部から干渉出来ず視認されない。つまり助けが来る事もなく、呼ぶ事も出来ないという事。理解してくれたかな?」


「ふざけるな!さっさとここから出せ!」


「もちろん出してあげるよ。私の要求に答えてくれたらね」


「クソが!」


「なんて口の悪い。女の子がそんな言葉を口にするなんて品性の欠片もないね。私はあなたに危害を加える気はないよ。ただどうしてもその情報が知りたいというだけ。そう、言うなれば探求者。いつだって知らない事を求め続ける探求者なの」


そのふざけた会話に隣の秀一はいよいよ耐えきれずに吹き出してしまう。


「くくく、探求者というのは面白いですね。久々に笑わせてもらいましたよ」


「そうだろう?私も傑作だと思ったぞ」


「ねぇ!聞いてるの!?さっさと外へ出せって言ってるの!」


「だから何度も言ってる通り交換条件だ。ここから出る方法はそれだけ。あ、違ったもう一つあるとすれば·····」


時雨はわざとらしく口元に人差し指を添え、あたかも今思い出したとでも言わんばかりに空を仰ぐ。

その口から漏れた言葉はしっかりと那月の頭の中を反響した。


「私を倒す事くらいかな。けどそれは傷害事件になっちゃうし、魔術で攻撃されたら危険魔術の使用で魔術法に抵触する事になる。さすがにそんな暴力に訴えるような真似は出来ないと思うけど。私には危害を加える意図はないわけだし、一方的に攻撃される事になる訳でそれは怖いな」


魔術結界は術者を倒し魔力供給を断てば自ずと消滅する。

それを聞いた那月の脳内に導き出された答えは単純明快。


『生徒会長を倒す』


それだけでこの結界を消せるのであれば、他に考える必要は無い。

今の那月に相手の強さ推し量る技量も、観察眼も持ち合わせておらず、彼女を突き動かすのは変わらず、こんな場所へ閉じ込めたという生徒会長への怒りのみ。


「これが最後、ここから出しなさい!じゃなきゃ許さないから」


強く握りしめた拳、爪が肉にくい込み血を滲ませる程だ。

それでもあくまで那月を挑発する事をやめない時雨。


「まさか魔術を使うわけじゃないよね?だって使ったらかなりまずいだろうし。でも使われちゃったら仕方ないか。不本意だけど·····」


時雨の狙いはまさにここにある。

怒りの感情を増幅させられている那月は、簡単な挑発にも乗ってしまう程、自らのコントロールを失っている。

使という事実さえあれば、身を守るために魔術を行使したという正当防衛が成り立つ。

たとえそれが過剰防衛に映ろうが、危険魔術というもの自体が人を死に至らしめる可能性がある為、ほとんどの場合過剰防衛は適用されない。


時雨と秀一、二人の最大の目的は人を痛めつけ追い込む事。

絶望に落ちていく姿を見るのが二人にとっては快感でしかない。


「捩じ伏せるしかないかもね」


その瞬間、那月の苛立ちは我慢の限界を超えた。

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