第17話 五十鑑神④

バイクに乗ってやってきた場所はBKS落下地点、BKS国立公園というそのままの名称らしい。

天を突いているかのようなその姿は何度見てもやはり圧巻と言えよう。

まだ桜は咲いていないので、この時期にしかも夜にここに来ようとする人はあまり多くはない。

周辺に人の気配は全くなく、聞こえるのは風の音だけ。


何故私はここへ来たのだろう。

特に何か理由があった訳じゃない。

バイトの帰りになんとなく、ちょっと寄り道していくかと軽い気持ちでここにやってきたのだ。

遠目からその大きな物体を眺めていた私だったが、ある瞬間にもう一人誰かがいる事に気が付いた。

さっきまでは全く気付かなかったが、BKSの周りを取り囲む柵の前、銀色の長髪に全身真っ白なワンピースを着た少女が立っていた。

何よりも異様なのはそこそこ強い風が吹いているにも関わらず、少女の長い髪は全く揺れていなかった。

そしてその少女はBKSの前にいるというのに、何故かじっとこちらを見ている。


それだけで私の体は恐怖に硬直してしまう。

ついに見てしまったのか、霊感は全くないはずなのにと、ここに来た自分を呪いたくなった。

この場を去らなければ、そう考えた一瞬の間にその少女は私の目の前まで移動していた。


「ひぃっ!」


とても人間とは思えない。

その目は赤く、顔に血の気はなく、それでいて無表情。

噂に聞く幽霊をそのまま体現している。


あまりの恐怖に瞬きすらも出来ず、そして動く事すら出来なくなっていた。

その少女が私の元へ、地面を滑るように近付いてくると私の心臓は今にも爆発してしまいそうな程脈打っていた。

呼吸は乱れ、半ば過呼吸状態、冷や汗は全身から干からびさせようとしてるかの如く吹き出す。


死ぬのかと、確かに思った。

この少女の幽霊に殺されるのかと。


その少女がそのか細く色のない右手で私の手首を掴んだ瞬間に、私の中で何かが弾け飛んだ気がした。

同時に体が熱くなり、全身から何かが吹き出すのを感じる。


「あ·····あぁ·····」


何が起きているのか全くわからない。

脳がキャパオーバーで現状を理解する事を諦めたというのが恐らく正しい。

私の手首を掴んだままの少女はその時、ようやく言葉を紡ぐ。


「見つけた。私の半身」












―――「ん·····」


薄く目を開けば入り込んでくる日常の光に、私は顔を顰めながらも周りをゆっくりと見渡した。

見慣れない景色、そして布団とは違う人肌の温もりを感じる。

そこが寮の部屋の景色だったなら二度寝を決め込んでいたかもしれないが、この景色を見てしまったからには覚醒せざるを得ない。


「えっ!?」


「起きたか」


私は何故か神君に背負われている。

周りは森の中、一体どういう事なのか、その記憶を引き出すのにはさほど時間は必要ない。


「あれ、私·····生きてる·····?」


「あぁ、生きてるな」


私は足を滑らせて落下したのだ。

あの高い木の一番上から。

絶対死んだと思ったが、何故生きてるのだろう。


「どうして·····。いたっ·····!」


右足から痛みがあるが、足が取れてるわけでもないし、枝で切ったのかいくつか引っかき傷はあるが、その他に絶望的な怪我は負ってなさそうだ。

生存したとしても普通なら全身の骨がバキバキに折れてしまいそうなものだが。


「ちょっと俺の力不足で無傷とはいかなかった。これは俺の責任だ」


「もしかして·····神君が助けてくれたの?」


「助けるのは俺の義務だ。俺がお前を登らせたんだから、お前の命の危機なら俺も命をかけて守るさ」


カッコよすぎる言葉をサラリと言ってのけた神君に、私の心拍数も跳ね上がる。

あんな状況で私を助けてくれたなんて、彼は私が考えていたよりもずっと素晴らしい人間なのだ。


「ありがとう·····。本当にありがとう·····」


「言ったろ、義務だって。感謝なんて必要ない」


「ううん、私が言いたいから言うの。ありがとう」


「·····勝手にしろ」


もうしばらく彼に甘える事にしよう。

彼の背中は温かくて、服の上からでも逞しさを肌で感じられる。

もっと華奢なのかと思ってたけど、想像以上に鍛えてあるみたいだ。


でも魔力値2しかないのに一体どうやって私を助けてくれたのだろう。

そんな事を聞くのも野暮なので今は聞かないでおこう。


それからすぐに私たちはコテージまで戻ってきた。


「なっち!おい大丈夫なのか!?神に乱暴されたのか!?」


「違うよ!ちょっとドジっちゃっただけだって!」


事情を軽く説明すれば、まだこのクラスに入って間もないというのに、皆が私の事を心配してくれる。

なんて優しい人達なのだろう。


「那月先輩~!私が治しますよ~!」


「ごめんねミサちゃん、お願いしてもいい?」


「任せて下さい~!こう見えてもミサ、意外と役に立つんですよぉ~!」


治癒の魔術士である美沙羅ちゃんがいてくれて本当に良かった。

いざという時にとは思っていたが、こんなに早くしかも自分がお世話になるとは思ってもみなかった。


美沙羅ちゃんは私の右足に手を翳し目を閉じる。

その手に光が宿ると私の足は熱を帯び、そのまま十数秒が経過した。

その十数秒の間、私は気絶している間に見た夢を思い出していた。


今までハッキリとは思い出せなかったが、この夢であの時の事をある程度思い出せた気がする。

あの後から意識を失うまでの間の記憶はもはや思い出せないと思っていいかもしれない。

魔力暴走中は半ば意識は飛んでいるような状態だったからだ。


問題は魔力暴走の引き金になったあの幽霊少女、そして彼女が言った言葉。


【見つけた。私の半身】


あれは一体どういう意味なのか、果たしてあの子は本当に幽霊だったのだろうか。

幽霊は触るという事が出来るのか。

さらに言うなら篝先生。

私が再びあの場所に足を運んだ時、あの人は脅しめいた口調でもうここには来るなと言った。

もしかして篝先生は何か知ってるんじゃないのか。


それなら篝先生と最も接点が多い神君と仲良くなれば、いずれ何か情報が漏れてくる可能性も·····。


そこまで考えて私は自分の思考の卑しさに嫌気がさす。

計算で友人を作るなど、それこそ本当の友人とは言えない。

誰かを利用する為に友人のふりをするような人間に私はなりたくはない。


「ふぅ·····これでどうですかぁ?痛くないですかぁ?」


美沙羅ちゃんに言われて足を動かしてみれば、先程まで鋭い痛みを伴っていた右足が今は少しの違和感も残っていない。

治癒の力恐るべしだ。


「うん!すごいねミサちゃん!もう全然大丈夫!ありがとう!」


「えへへ~!他の小さい切り傷も治しますねぇ~!」


美沙羅ちゃんの反応は素直で愛らしく、まるで妹が出来たようだ。


「で?神、あんた那月に何させたのよ?」


「·····」


まほろちゃんからの執拗な追求を受けてる神君は無言を貫いているが、どうやら困ったようで私の方へと目線を向ける。


「まほろちゃん、神君は何もしてないよ!私が単純にやらかしただけで、むしろ神君は助けてくれたんだよ」


私の言葉でもまだ信じきれてない様子だったが、それでもまほろちゃんが折れて一応の決着を見る。


「どうせ神が無理な事言ってこうなったんでしょうけど、まぁ那月がそう言うのなら今回は許してあげるわ。けど神、次やったら今度は那月の代わりに私が殴るわよ」


「暴力は良くないぞ。大体良い結果を生まないからな」


「うるさい、まだやる気?」


「いいや、遠慮しておく」


そんな彼に向けて私がアイコンタクトをとれば、彼もそれに気付いて鼻を鳴らして笑みをこぼした。

そのままコテージを出る彼の背中を私は彼が見えなくなるまで気付けば見送っていた。


五十鑑神。


彼は彼なりに何かを背負って人生を生きてるんだ。

喪失した過去、そこに何があったのだろう。

今の私が知る由もないが、彼の背負っているものはきっと、私なんかよりもずっと重いものなのだろうと。


それだけは何となく私にも感じ取れた。

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