第16話 五十鑑神③
篝先生に教わった事を脳裏にリフレインさせる。
風という属性に形はない。
実態のない物、つまり空気が風の元となる。
風の魔術というのは空気を操作する魔術と思っていい。
空気は目に見えないから弱く思われるかもしれないが、実際はかなりの力を秘めている。
例えば圧縮した空気。
分散している空気を一点に集めて凝縮し、一方向へ向けて放てばそれだけで強いエネルギーとなる。
子供の頃に遊んだような空気銃みたいなもので、圧縮する空気が多ければ多いほど威力は強くなる。
この作用を利用するのが風属性の魔術上達には手っ取り早い。
ということらしい。
つまり私の任意の場所に風を発生させて、その圧縮空気のエネルギーを利用して私自身を押すという訳だ。
もちろん今の私に出来るのは僅かな圧縮のみで、自分自身を軽く押し上げる程度が精一杯といったところ。
「よし!行ってくる!」
最初はひたすら失敗続きだったが、一ヶ月でその精度はかなり上がっていると自負している。
今までは訓練で、これが半ば実戦といったところか。
私はその大樹の前に立ち、着地点を見定めた後、自分の右足に風を纏わせる。
呼吸を整えて、右足を一歩前へと踏み出すと空気を踏んだ感覚が伝わってきた。
その踏み込みと同時に空気の力を上方向へと放出すると、一度の跳躍で私の体は2m程度の高さまで飛び上がった。
木の幹の分かれ目にしっかりと着地して一息、振り返ってドヤ顔を見せてやる。
「まだまだ先は長いぞ」
「わかってるって!」
そこから二回、三回と同じように跳躍を繰り返し、持ち前のバランス感覚と運動神経で危なげなく木の幹を登っていく。
まるでアニメに出てくる忍者のように軽やかに登っていく自分がちょっとカッコイイ。
この技を駆使すれば夢の二段ジャンプ、あるいは三段、さらにその先まで昇華する事も可能というから恐ろしい。
これが風の憑依の真骨頂。
ある程度登ったところで下を確認すると、思わず身震いがした。
もう七分目辺りに到達していて、残るは緑の枝部分というところ、既にその高さも10mを超えている。
下から見上げた時と上から見下ろした時とでは見える景色が全くの別物。
落ちたら無事では済まないというのが手に取るようにわかる程の高さ。
しかし風の属性を持つ身としては、高さには慣れなくてはならない。
憑依タイプの私と高さはもはや切っても切れぬ関係と言える。
「大丈夫か?」
「よ、余裕だよ!もうちょっとで一番上だから待っててね!」
今さら戻る訳にもいかないので強がりながらも私はその葉をかき分けて頂上を目指す。
程なくして葉の海を抜け、その一番上から顔を出せば絶景が私を出迎えてくれる。
「すごい·····」
巨大な木の頂上部、この島のいちばん高い場所、そこからは神君が予想していた通り島の全体を一望出来た。
眼下に広がる美しい森、白いビーチとその近くに小さなコテージが見えている。
そしてどこまでも続いているかのような水平線。
なんという美しい光景なのだろう。
その景色にしばらく見とれていたら下から声が聞こえてきて我に返る。
「おい、篠舞!着いたのか!?」
「あ、うん!着いたよー!すごい綺麗!」
「そんな事は聞いてない。何が見える?詳しく話せ」
「えっと·····私達がさっきいたビーチから左側に四分の一周くらいすると八目島が見えるよ。距離はよくわからないけどあんまり遠くはないと思う」
「この島の様子は?」
「この島は·····ここがちょうど島の真ん中くらいで·····ビーチから見て島の反対側は崖になってるかな。やっぱりほとんど森だね!」
「他に何か変わった所は?」
「あ、なんか一箇所木がない所があるよ!穴があいてるみたいな感じ?あそこ温泉なんじゃないかな!」
ちょっとテンションが上がったその瞬間、ボキッと乾いた音を立てて足場にしていた枝が折れたのがわかった。
「え·····」
視界がいきなり緑に包まれたかと思うと、次の瞬間には木の下まで目まぐるしく変化する。
わかっている、信じたくはないがこれは現実。
私は今落下しているのだ。
声は出なかった。
魔術を使って何とかしなきゃ、体勢を立て直さなきゃと頭の中で駆け巡ってはいたが、死の恐怖が私を焦らせてそれを形には出来そうもない。
死ぬんだ。
本能が悟っていた。
こんな所で死ぬなんて思ってなかったな。
それに後悔ばっかり。
やりたい事もやれず、これから新しい人生が始まるんだと思っていたのに。
それがこんなにあっという間に、呆気なく、そしてなんとも間抜けに死んでいくのか。
きっとみんなの笑いものだろうな。
死の間際、落下していく私の体はスローモーションになり地面がゆっくりと迫ってくるのが見える。
その視界の中に彼の姿もあった。
彼は私を助けようと動いてるようにも見えるが、それはやめて欲しい。
巻き添えにして彼の命を奪うのだけは嫌だ。
もちろん落下中の私にそんな事を言う余裕なんてない。
ただ迫ってくる死を受け入れる、それだけが私に残された選択なのだから。
「死なせるかよ」
そんな彼の声が聞こえた気がした。
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