迷宮戦争

 タキエルが敵陣営に囚われている。


 軽く腕周りを一周ロープで縛られ、三匹ほどの魚人の兵士に槍を突き付けられている辺り、タキエルが寝返ったというわけではなさそうなのが救いか。

 俺はスクリーンに映る、日焼けで褐色に染まった肌を持つ、一夏の経験をした女子のような色気を醸し出す人魚の――『深海の闇雲』の迷宮主をキツく睨み付けた。


 こいつ……!

 俺の脱童貞の機会処か、さっき流れで恋人になったタキエルまで奪おうって言うのかっ!

 許せない……!


『あらあら~。そんな怖い顔しないでよぉ。こんなのちょっとした牽制じゃなぁい』


「牽制って?」


『ふふっ。あなた、どうやら最近『奈落の木阿弥』の迷宮主になったみたいだけど、ちょっと頑張りすぎよ。あなたが急に変なことをしてくれたせいで世界のパワーバランスがめちゃくちゃ。

 だから、あなたの迷宮に戦争を仕掛けてそのまま私が管理しちゃおぅって考えたんだけど、なにが起こるか解らないから、人質をとっちゃった♪』


「つまり、俺に抵抗しないで負けろって言うのか?」


『ん~ん。そこまでは言わないわぁ。もちろん、抵抗せずに負けてくれるのなら嬉しいけど、あまり欲をかきすぎると痛い目見ちゃいそうだからねぇ。今のあなたみたいに。だからまぁ、ほどほどに手加減してくれると嬉しいかしらぁ』


「ほどほどに手加減……ぐ、具体的には……」


『それは自分で考えなさぁい。で・も、私の独断であなたがやりすぎって考えたら、この娘を殺しちゃうわよぉ?』


 プツンッ。


 通話が途切れる。後ろに控えていたタキエルは、なんとも言えないような哀しい表情をしていた。

 どうする……。

 せめて、タキエルとさっきあんな感じになっていなければ――いやどの道、俺みたいになんの覚悟もなく迷宮主をやっている男が、そこそこ仲良くなった知り合いが死ぬのを見過ごせる神経を持っているわけでもない。


 だが……くそっ。手加減ってどうすれば良いんだ。


 とりあえず、あのアンデッドたちに攻め入るのは一旦中止して様子を見ろとでも言えば良いのか?

 いや、でも……俺にそんな指示が彼らに出来るのか?


 ……多分できない。だってこの脅しはあくまで個人的なこと。


 士気が高く、俺ではなく迷宮のために尽くしてくれているノーライフ・キングにそんな事は言えない。

 土台、俺みたいなコミュ障が組織のトップになるなんて無理な話なのだ。


 俺はどうしたいのか、なにをすれば良いのか、なにができるのか。


 タキエルには死んで欲しくない。でも、アンデッドたちには迷惑をかけたくない。あと、あの人魚マジでむかつく。

 優先度は述した順。でもじゃあ、それに従って動けるほどの行動力を持ち合わせているわけでもない。


 俺は全部投げ出して、諦めて、流れに身を任せてしまいたかった。


 時が経てば、勇者パーティに所属していた時に目の当たりにした人死にを忘れるように、タキエルのことも忘れるだろう。

 人間なんてそんなものだ。

 唯一無二を信じ、目の前にある者が絶対であると口では言いながら、時の流れによって全ては忘却の彼方。


 諦める。


 自分の弱さも、無力さも、低俗さも、理不尽も。全ては諦めと妥協によって楽になれる。中学を途中で辞めた時。親の臑をかじってニートをしていた時。衛兵を途中でボイコットした時、勇者パーティに所属していた時。

 俺はずっとそうやって生きてきた。


 でも、俺はさっきようやく童貞を捨てられそうだった。ようやく長年辛い我慢の時を強いた息子に活躍の場を与えてやれそうだったのだ。

 もしタキエルが帰ってきたら、またそう言う機会もあるかもしれない。


 そうでなくともタキエルは、ウザくて鬱陶しいけど――なんだかんだで、俺の唯一無二の対戦相手にして、一応、恋人なのだ。

 だから、俺がすべきことは見える。

 アンデッドたちが深海の闇雲に『勝利が確定する段階』まで行き着く前に、俺は、タキエルを救出する。


 その為に必要なカードは揃っている。


「蛇公。タキエルを救出してくれ……頼めるか?」


 シュルル。


 白蛇は威勢良く返事してから俺の懐を飛び出し、深海の闇雲に繋がる十二階層に向かった。


「OKコア。白蛇の動きをスクリーンで追跡してくれ」


《承知しました》


 今回はDPを消費しないのか……。


 スクリーンに映し出された白蛇。そして、俺の迷宮主権限で開いている十二階層の様子。

 十二階層には、いつの間にか扉が開かれていて予想通り大量の海水が流れ込んできている。

 アンデッドの集団はそれを魔法で堰き止めつつ、その水を異空間に飛ばしたり炎で蒸発させたり雷で分解させたり……。


 未だ、互いの迷宮のモンスターは互いの迷宮に侵入できずにいる。


 まだ、迷宮戦争は始まったばかり。互いの動きは拮抗している。

 その状態が十分続くが、事態に変化は訪れず、アンデッドたちはずっと流れてくる海水の対処に全力を賭していて、その海水対処のために飛び交う魔法のせいで相手方のモンスターも侵入ができずにいる。


 その局面に一匹の白蛇が到着した。


 白蛇は、俺の懐にいたサイズよりもやや小さく、しかしスゴい速さだ。


 白蛇は、あっという間にその拮抗状態の陣形をくぐり抜けて、深海の闇雲に入り込んだ。

 白蛇は、神獣故に魔法に対する抵抗が大きい。

 そして白蛇は蛇故に泳ぎが非常に得意である。


 タキエルの元へ向かう白蛇と、攻め入るアンデッド。そして、タキエルの安否。大前提である、迷宮戦争での勝利。

 入り交じる様々な状況に、俺はもう見て祈る以外になにも出来ない。


 その悔しさに歯がみしつつ、俺はこの緊迫した状況に手に汗握った。

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