第10話

 秋も深まった、文化祭休みのよく晴れた日に、私たちは東京タワーを見に行った。劉天がどうしても行きたいと言ったのだ。少しだけリスクを感じたけれど、今更東京タワーに来る学生や知り合いもいないだろう、と承諾した。

 最寄りの駅から歩いていった。夏なら大変だけど、この季節は気持ちいい。紅葉や銀杏も色付き,秋を感じさせる。お寺やホテルがある、緑が多い場所を通り抜け、タワーの麓の開けた場所までやって来た。

 空に高く伸びるタワーの先端を見上げながら、私は彼に聞いた。

「どうして、東京タワーなの?」

「それは、どうして好きか、と言う意味ですか?」

 頷くと、彼はしばらくタワーを見上げながら、答えを考えていた。

「…東京タワーの方が…絵を描くも、写真を撮るも、心が動く感じ。緑と、赤いタワーと、今日みたいな空と…」

 とうとつと言葉を重ねながら、タワーから私に視線を移す。

「…ちょっと古くて、アナログみたいな感じ、好き」

「…趣がある、ということかな」

「うん、多分。それに、好きな人と一緒に見たかった」

「…ああ。そっか…うれしい、です」

 私は彼から視線を外した。

 時々、彼の真摯な眼差しを受けきれないときがある。この時もそうだった。彼の気持ちが嬉しい一方で、素直にその眼差しを受け止めることができない。年のせいか、後ろめたさのせいか。彼が眩しくて、目のやり場に困るのだ。

 劉天は、そんな私の気持ちを気付いてか気付かないでか、俯いた私の手を取り、

「登りましょう」

と、明るく言った。

 その日は晴天で視界も広く、微かに遠く富士山も見えた。展望台を下り、タワーが見えるレストランで食事をしてから、公園で彼の写真撮影と、写生につき合った。劉天は、下から見上げるようなアングルが好きらしく、地面に座り込んでいくつもの写真を撮っていた。そういう彼が面白くて覗き込むと、彼は顔を上げ、いきなりキスをしてきた。

「もう一度」といって、体を起こして再びキスをし、スマホで写真を撮る。あっという間のことで、避ける間もなかった。

「え、え?ちょっと、今のは、スマホはまずいよ」

 慌てて彼に抗議すると、彼は笑って自撮りの写真を見せてくれた。

「光で、顔は分からないから、大丈夫」

 見せてくれた写真は、逆光で前に映った人物が暗く、確かに分かりづらい。彼は、私が見ている前でスマホを操作し、人物に補正を掛けて更に暗くし、後ろに映った東京タワーをより鮮明にした。

「これなら、大丈夫でしょ?」

 頷いた私に、彼はもう一度キスをする。それから、地面に座って、ノートくらいのスケッチブックを取り出し、絵を描き始めた。

「色も塗るの?」

「うん?…今日は塗らない。家に帰って、大きなキャンバスに描くとき、塗る」

「ふうん。だから、写真も撮ったの?」

 しばらくしゃ、しゃ、しゃ、しゃという鉛筆の音が続いた。絵は驚くほど早く、形になっていく。

「色は、写真にはない。写真と絵は、同じじゃない。特にスマホは、」

 言葉を待っていると、彼が私を見上げて言った。

「色は、ここ。ここに入っている」と、人差し指で自分の頭をとんとん、と突く。

「頭?」

「そう。僕の頭、もしかしたら、心にあるかもしれない」

 そのまま、彼はスケッチブックに視線を戻した。私は、彼の真剣に絵を描く横顔を見つめながら、どうしてこの人に惹かれるのか、改めて理解したような気がした。私にはない、この感性。ものの捉え方。彼の心には、この風景はどんなふうに映っているのだろう。同じ風景を見ながら、きっと違う色と形に見えているのだ。そう思うだけで、愛おしさで苦しくなる。

「見て」

 ふいに彼が言った。手を太陽の方に掲げている。

「赤い。…この赤は、人が生きているショウ、ショウ…ショウメイ?」

 彼の子どものような問いかけに、私は笑った。

「漢字は同じだけど、『証し』の方がいいわ」

「あかし?」

 頷く代わりに、その唇に口付ける。すぐに反応が返ってきて、そのままキスを繰り返しながら、芝生の上に二人で倒れ込んだ。若いこと、しているな。という冷静さが残ったまま、彼のキスを受け続ける。ちう、と最後に唇を吸って、彼は私を離した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る