第15話

 そして、師走に入ったある日、私は理事長に呼ばれた。

 二階の奥にある理事長室にいくと、そこには理事長と校長がいた。

 部屋に入ると、椅子に腰掛けた年配の女性が私を見上げた。きれいにまとめた白髪をしている。その髪の色とすっと着こなした濃い紫のスーツが彼女から仄かな威厳を醸し出している。その隣に立つ校長は、いかにもそれらしき風貌の中年男性だ。

 理事長は椅子から立ち上がって、ソファに私を促した。

「ご用でしょうか?」

 私はある覚悟を持って、二人に応対した。

「ああ、すみません。お呼び立てして」

 彼女はにこやかに言った。

「これを見てくださる?」

 そう言って出されたのは、一枚の写真だ。東京タワーをバックにキスしている男女の写真。影で、二人の輪郭はあやふやだ。――劉天が撮った、二人の写真。

「この写真に、覚えがありますか?」

「……どうして、私にきくのですか?」

 理事長は校長と顔を見合わせた。

「劉天さん、ご存じね」

 理事長は私が頷くのを待って、話を続ける。

「先月の終わりに、彼のお母さんが学校へ来たでしょう?」

「はい。私も前山先生と応対しました」

「その後、私に直接メールで抗議されてきたの。この学校の先生が息子をたぶらかしている、と。この写真も一緒に、ね」

 それを聞いて、冷たいものが私の中に下りてくる。ああ、やはり、あの母親は諦めていなかったのだ。彼を守る覚悟を決めなくては。

 ここに呼ばれたときから覚悟はある程度できていた。それが、今のことですっと気持ちが落ち着いた。

「その相手が、私だと言うことでしょうか?」

 理事長は首を振った。代わりに校長が口を挟む。

「我々としては、これが誰かは追求しないつもりです。もちろん、この学校の技術を使って、写真の精度を上げ、画像を処理すれば、この二人が誰かは分かるでしょう。しかし、それは意味がないことだと思っています。ただ、」

と少し間を置いて、校長は続けた。

「この写真をあなたではないか、と疑っている者がいることも確かです。劉さんの母親も疑っている。…これは提案ですが。…学校としても穏便に保護者にも学生にも先生にもあまり被害が及ばず、追求も及ばず、事をなしたい。それで、高宮先生には、今月を以てこの学校の系列にある、別の専門学校へご転勤願えないか、と。そこでも、留学生に日本語を教える必要性が出てきましてね、今人を探しているのです」

 私は、校長をじっと見つめた。どう答えるのが、一番いいのだろうか、と考え倦ねる。

「これを承諾すると、あなたがそのことを認めてしまうようで嫌かもしれないけど、学校の立場を考えて、少し考えてくれないかしら?」

 理事長は穏やかな様子で言った。

「正直に言うと、学生に人気のある、あなたに白羽の矢が立ってしまった、という感じなのよ。劉さんもあなたのことを慕っていたらしくて、そのことを他の学生からお母さんが聞いたようで…。学生の母親からの抗議に屈する形で、申し訳ないのだけど…」

 済まなそうに、理事長が頭を下げた。

「…お話は分かりました。少し、考える時間をいただけますか。それに、このことで劉さんに気まずい思いをさせてしまうことも、私としては気になるので」

 なるべく冷静に、淡々と聞こえるように努めた。

「ああ、それは安心してくださいな。彼の母親が原因で、先生がいなくなるなんて、絶対に言いませんから」

 お願いします、と私は頭を下げた。そして、二人に挨拶をして、席を立つ。部屋を出る前に、もう一度お辞儀をした。

 私の気持ちは決まっていた。

 このまま、彼には言わずに、学校を去ろう。彼の将来と、自分の立場を考えると、多分それが一番いい。夫のことを考えると、彼と続けるわけにもいかない。

 ―――狡い女だ。彼のことも夫のことも、ずっと自分から切り離せずにいた。夫は私の家族。劉天は、愛しい、恋人だった。彼にはこんなことで終わってほしくない。彼の才能を、私のことで失ってほしくない。

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