第2話
彼の名は、劉天。私が働いていた、美術系の専門学校の生徒だった。
彼のクラスを担当したとき、彼は二十歳(はたち)だった。自国の高校を卒業して、日本に来て日本語を学び、専門学校に入ったばかりの学生だった。
わたしの受け持った日本語のクラスは、留学生のみの必修クラスで、彼はいちばん下のクラスにいた。私は、週に二回彼に日本語を教えた。この専門学校で教え始めて4年、クラスのシラバスを決める担任も務めていた。
彼は、その中の一人に過ぎなかった。特別目立つ生徒ではなく、細身で背もあまり高くない、おとなしい生徒だった。いつも静かに勉強しているイメージしかなかった。
授業で、好きな画家について話すように課題を出したときだった。彼の故国では、親が美術系、音楽系などの学校に子どもを入れて、高校のときから専門の勉強を嫌というくらいするらしい。彼は、高校のとき、有名な絵画を模した絵を百枚以上描いたと言った。中でも、レンブラントの絵が好きでよくまねをしたが、まねはいくら上手くてもまねであって、本物ではない、というようなことを言った。それを聞いたとき、私は、このおとなしい男の子の中に、炎のような情熱を感じ、はじめて彼を見たような気がした。
それから、彼の見方が変わった。彼のクラスで、美術や現代アートについて話すとき、彼の意見を自分でも気付かぬうちに楽しみにしていた。他の学生の話を聞きながら、彼はどんな反応をし、どういう意見を言うだろうと、考えていた。
だんだんそれが楽しみになり、彼のクラスへ行くとき、心が躍った。クラスの戸を 開けただけで、心臓がとくん、と鳴った。
私は学生に挨拶しながら、いつでも教室に彼の姿を探した。そして、挨拶されて、ドキドキしている自分に、内心笑った。まるで、中学生の初恋のようだと思った。授業をしていても、彼を指名するときドキドキした。
「先生、重い?私、持ちます」
授業が終わって、大きな荷物を持った私に彼が言った。彼は常に紳士的で、礼儀正しく、優しかった。私がドアの前にいれば、ドアを開けてくれるし、荷物があれば、持ってくれる。そういう学生だった。
「ありがとう、でも次のクラスにそのまま持っていくので、大丈夫よ」
「じゃあ、一緒に行きましょう」
彼は私の荷物を、私から取り上げて、一緒に次のクラスまで持ってくれた。
「劉天さん、ありがとう」
私がそう言うと、彼ははにかんだ笑顔を見せ、お辞儀をして出て行った。
それからも、劉天は何度か、荷物を持ってくれた。クラス以外で私の姿を見かけると、笑いかけ、会釈をしてくれる。会釈という、その、今どきでない反応が余計に私を惹きつけた。
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