第5話
ジャージを借りて以来、聖也と馨は会う度に言葉を交わすようになっていた。軽い挨拶程度の会話だったけれど、それまでの疎遠さを考えると、小学校の頃の関係に戻ったようだ。そう感じているのは向こうも一緒のようで、何となく二人の間には、戸惑うような気恥ずかしさが漂っていた。それに、聖也と話した後は、必ず女子の注目が馨に集まる。馨にはそれも落ち着かなかった。
先日自分で配った進路調査用紙を手に、馨が聖也の教室の前を通った時だった。ちょうど廊下側の窓辺にいた聖也がそれに気付いて、馨を呼び止める。
「よう。何、持ってんの?」
「調査用紙」
馨は足を止め、素っ気なく答えた。聖也は苦笑混じりに言葉を続ける。
「ふうん。馨さんは、どこ受けんの?」
馨は隣にいた綾子にちらっと視線を向け、それから聖也を見上げた。
「南学(なんがく)」
「そっちは?」と、聖也は綾子の方を向いて訊く。
綾子は愛想良く笑って、
「私も一応、南学」と答える。
へえ、と感心したような声を聖也が上げた。『南学』というのは、志津(しづ)南学園高校の略で、この辺りでは有名な進学校だった。気をよくしたのか、綾子が聖也に訊き返す。
「聖也君は?」
「俺?俺は、第一は、志津校。二番目は南学」
聖也の答えを聞いて、馨は驚いたように目を見開いた。聖也の答えた高校は、どちらもこの辺では有名どころだ。
「あんた、頭、良かったっけ?」
「ひでぇな」
苦笑しながら、聖也は綾子の方を見て肩をすくめてみせる。綾子も合わせて笑った。
「聖也君に毒づくのは、馨くらいだね」
「…そうかな?」
馨は言いながら、聖也の整った横顔を見上げる。父親似の端正な顔立ちだった。その妹にもよく似ている。その横顔を見ていると、彼が女子にもてるのは、馨でも理解できた。けれど、馨は聖也の別の顔を思い出していた。
「何、見とれてんの?」
聖也の言葉にはっとして、馨は我に返った。そして、大げさなほどに頭を振る。その脇でまた、綾子が笑い声を上げた。
「人ならぬ魅力に、見とれちゃった?」
馨はぎくりとして、聖也を見つめた。彼が冗談めかしていった言葉の意味が、彼女の心臓を早くした。それを知ってか知らずか、聖也は可笑しそうに目を細めている。
「違う。志望校聞いて、びっくりしただけ」
それだけ言って、馨は彼に背を向けた。その後を綾子が追ってくる。
「待ってよ。…ねぇ、彼、面白いね」
「どこが?」
「うーん、なんか、イメージと違った。何か、犬っぽい」
馨は、まじまじと綾子の顔を見つめた。何を以て、聖也を犬っぽいと言うのか、馨には全くイメージできない。
「ともかく、みんなが言っているようなモテ男じゃないってことは分かった。友達になれそう」
そう言う綾子を横目に、馨は小さくため息をつく。
(そんな風に単純に思える綾子が羨ましい)
馨はそう思いながら、ちらりと後ろを振り返った。教室の窓から、聖也の柔らかそうな、少し癖のある頭が見えていた。
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