第3話

 教室に戻った馨を迎えたのは、生徒のざわめきだった。馨の所属しているE組は、学年でも特に元気が良く、いつでもクラスがざわついている。クラス委員をしている馨はいつもこのクラスのまとめ役で、担任にも頼りにされていた。

 馨は蜂の巣をつついたようにわーんとなっているクラスを横切って、教壇に立つと、バンッと紙の束を置いた。

「静かに。山ちゃんから伝言。ちょっと、聞いて」

 よく通る声で馨が言うと、クラスの学生は話を止め、彼女に注目した。時々ヤジが飛ぶが、それでも馨の話をみんな聞いている。馨は担任からの伝言を伝え、進路調査用紙を列ごとに配って、回収日を黒板に書いた。

「…と言うわけで、希望校と言うより、志望校を書くようにって。来年三月に入りたいとこを書いてきて。それを基に進路指導するらしいから。以上」

 馨が言い終えると、ざわめきが教室に戻った。その中を馨は自分の席に向かう。座ると、すぐに友人の綾子(あやこ)が声を掛けてきた。

「ね、そのジャージ、どうしたの?」

「ああ。濡れたから、ちょっと人に借りた」

「え?誰に?」

「うーん…隣のクラスの聖也」

 馨はちょっと言い淀んでから、彼女にだけ聞こえるように小声で答えた。小声のつもりだったのに、耳敏いクラスの女子が聞きつけて、馨のそばにやって来る。

「えっ?そのジャージ、聖也君のなの?」

(ああ、大きい声で言わないで!)

 馨の願いもむなしく、その声を聞きつけた女子たちが馨を囲んだ。

「馨、聖也君と仲いいの?」

「えー、マジで?」

 女の子たちは口々に馨を羨ましがる。馨は誤解を与えないように意識しながら、ゆっくりと彼女たちに説明した。

「聖也は、小学校からの知り合いで、たまたまあたしがジャージをバカな男子に濡らされたとこに居合わせて、それで、厚意で貸してくれたんだよ。それだけだから」

 女子たちは馨の説明に納得したようだったが、聖也のジャージを着ていることが羨ましいようで、「いいなー」と言って羨ましそうな顔を向けた。馨は首をすくめて、綾子に救いを求める。

「まあ、彼はモテるからね。役得、と言うか、役損というか…」

 綾子は、慰めにならない慰めの言葉を呟いて、馨に眉を上げて見せた。

 その日は、馨はどこに行っても、ジャージを巡って女子たちに羨ましがられ、誤解のないよう説明を彼女たちに与えなければならなかった。

「…あいつ、昔は全然モテなかったのに」

 ちょっと切れ気味に呟いた馨に、綾子が興味津々に訊いてきた。

「え?昔はどんなだったの?」

「特に目立たないチビ、だよ。中学上がってから、背が伸びて、何か知らぬ間に、モテ始めたのよ。あー、だから、あいつから服借りたくなかったのに!」

 綾子は慰めるように馨の肩を叩き、

「でもさ、ジャージ貸してくれるなんて、優しいじゃん。そういうとこが女子受けするんじゃない?」

と言った。それには馨も納得する。確かに、あんな言い方したのに、部活用のジャージを貸してくれた聖也は優しいと思う。そう思うと、少しだけ馨は聖也に悪いような気がした。

(もう少し、素直に借りれば良かったかな)

 その時、またもや夜の外気のような匂いが借りたジャージから立ち上り、馨を包み込んだ。

(あいつの正体を知らなければ、そう、できたかな…)

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