第27話 逮捕

 三十年前に、ママ洋子からチーママとして紹介されたマミ。

 マミは新人女優のように花があったことを霧沢は今も憶えている。

 それから長い歳月の旅路の果てに、マミに、いや女将の真由美に霧沢は再会した。そして真由美は、あれから今日までのすべての出来事を語り尽くしてくれた。

 霧沢はそれにこの世の切な過ぎる運命を思い、そして摩訶不思議な縁を実感しながら聞いていた。


 学生時代にルリに出逢った。それから四つの出来事が起こり、されど多忙でそれらについて深く考えることはなかった。

 だが真由美の口から明かされた物語、「うーん、そういうことだったのか」と霧沢は心の奥底から唸らざるを得なかったのだ。

 真由美はきっと霧沢に真実を伝えておきたかったのだろう。

 すべての話し終えて、明日警察に出頭する覚悟が出来たとのこと。そしてこれにより落ち着きを取り戻したようだ。


「息子の遼太には、優菜さんへの愛を一途に貫け、それが男の責任だと言い聞かせておくから。もう若い二人のことは心配しなくて良いよ。また困ったことがあれば、遠慮なく呼び出してください。お力になりますから、元気で」

 霧沢は自分にも言い聞かせるように、こんな暇の言葉を真由美に告げた。

 また隅っこで、いつの間にかそっと立つ娘の優菜には「きっとびっくりする良いこと……、そうだなあ、お姉さんが突然現れ出てくるようなことがあるかも知れないから、その内にまたお会いましょう」と再会の約束の言葉を掛けた。

 確かに今、霧沢の胸は高鳴っている。

 なぜなら、四つの出来事の真実を知った時に、きっと何か素晴らしいことが起こりそうだと以前から予感していた。それこそが同じ宙蔵の血を引く愛莉の妹、その優菜がこの世に存在していた。その事実がわかったからだ。

 このようないろいろな思いが交錯する中、ほろ酔いながらも小料理店・鴨川青龍を後にした。


 それから一週間後のことだった。老舗料亭の女将・花木桜子の殺害事件の容疑者として、花木龍二が逮捕された。

 その報道された内容とは次のようなものになっていた。


 花木桜子の――『老舗料亭・女将・新幹線こだま内殺人事件』――

 桜子は、京都駅・午後二時〇五分発のこだま六六二号に乗車した。

 名古屋駅(午後二時五八分発)を過ぎ、そして次駅の三河安城駅を午後三時十一分に時間通り発車した。

 そして、次の豊橋駅(午後三時二七分着)の手前辺りで、その遺体が発見された。

殺害場所は、遺体がカーテンの閉められたグリーン車の化粧ブース内にあった。

 死亡推定時刻は、名古屋駅から豊橋駅までの間と推察される。


 しかし三河安城駅で、当車輌において数人の乗降があり、かつ化粧ブースを使用した乗客の証言によると、犯行の目撃や遺体の発見はなかった。

 このため犯行時間は三河安城駅から豊橋駅までの間、この推理に間違いないであろう。

 また死因は、当初静脈注射された塩化カリウムによると考えられていたが、新幹線の揺れの中で、正確に注射を打つことは不可能だと判明した。

 さらに精密検査された結果では、体内からの塩化カリウムは検出されなかった。

 これにより、死因は絞殺によると当局は断定した。


 しかし、今回逮捕された容疑者の花木龍二は、次のような主張を以前から繰り返していた。

 花木桜子の殺害を企て、犯行に及んだことは事実として認める。

 それは新幹線の下りこだまから上りのこだまへと乗り移り、犯行後に元の下りのこだまに戻るという一見思い付きそうもない、かつ実現できそうもない計画だった。

 それに従って、龍二は東京駅十二時五六分発のこだま六五七号に乗り、新横浜駅で後発ののぞみ三七号に乗り換え、名古屋駅へと向かった。

 そして名古屋駅で、桜子が乗車する上りのこだま六六二号に乗り移った。

 たくらみとしては、次駅の三河安城駅到着までに桜子を刺殺する。

 そしてその後、三河安城駅で降車し、元のこだま六五七号へと戻る。

 このようにすれば京都駅には午後四時三八分に到着できる。

 こんなアリバイの謀計ぼうけいだった。


 だが桜子は義姉でもあり、長年の愛人でもあったため、背後から殴打したことは認めるが、桜子を刺し殺そうとする段になって、自分の行動を反省し、殺害することを思いとどまった。

 それから恐くなり、未遂のまま三河安城駅で降車した。

 その後、元のこだま六五七号に戻り、京都駅に午後四時三八分、時刻通り帰ってきた。


 それを証明する一つは、京都駅に到着し、明後日に広島へ出掛ける予定があり、新幹線の切符を自動販売機で購入した。

 またコンコースにあるコンビニで買い物をした。

「私は、その午後四時四三分と午後四時四八分の時刻が印字された二枚のレシートを持っている」と花木龍二は主張した。

 また二つ目の証拠として、「駅構内のATMでキャッシュを引き出した。その払い出しの時刻記録は午後五時〇五分。その記録はあるし、さらに防犯カメラに映った自分自身の映像があるはずだ」と。


 これらにより容疑者が言いたいことは、遅くともこだま六五七号で京都へと戻ってきた証である。

 そうでない限り、その時刻に京都駅の自動販売機やコンビニで買い物はできないし、そしてATMでのキャッシングは不可能。

 したがって、それらの時刻記録や映像が示すように、その時間帯に龍二自身は京都にいた。

 このため刺殺にしろ絞殺にしろ、三河安城駅以降で、桜子を殺害することは物理的に不可能なことだ、と主張していた。


 つまり、この事件の焦点は、桜子は三河安城駅と豊橋駅間で絞め殺されたという事実であり、その現場に誰がいられたのかということだった。

 もし犯人が龍二で、犯行後豊橋駅で降車し、名古屋駅でのぞみへと乗り継いで、最速で京都へ戻ってきたとしても、その到着時刻は午後五時〇一分となってしまう。


 このような龍二の主張に対し、当局はそれぞれの信憑性を確認した。

 その中でも大きなキーとなる午後五時〇五分のATMの映像記録が調べられた。

 そして、そこに龍二が映っているのが確認された。


 そのATMは常に混雑をしていて、事実当日も混んでいた。

 キャッシングのためには列に並ばなければならない。

 その待ち時間は確実に十分以上は必要。

 したがって、龍二は少なくとも映像に映った時刻午後五時〇五分より十分前の午後四時五五分にはそこにいたことになる。


 つまり龍二が桜子を三河安城駅を過ぎて殺害した場合、豊橋駅より最速で帰ってこれる午後五時〇一分、それより早い時間にATMの列に並んでいたこととなり、それが証明された。

 そして他のレシートには午後四時四三分と午後四時四八分の時刻記録があり、それらとともに合わせて、主張通り三河安城駅までで桜子を殺害することはできず、未遂のまま三河安城駅で元のこだま六五七号に戻り、京都へ帰ってきたと結論された。


 このような判定により、一旦は殺人の容疑者からは外されていた。

 しかし最近になって、元妻の真由美から「龍二は、三河安城駅を発車し、豊橋駅に向かう上り六六二号。そのこだま車輌内にいるのを降りたホームから見た」と新証言があった。

 それを受けて、再度京都駅構内ATM周辺の防犯カメラも含めて映像が仔細に解析された。

 その結果、そこにはT氏(既に自動車事故で死亡)が列に並んでいる姿があり、そこへ龍二が走りきて、入れ替わる情況が映っていた。


 その後、龍二へのさらなる取り調べが行われ、次のことがわかった。

 龍二はT氏に対し、借金の一部免除を条件に、指定した時間に自動販売機で新幹線の切符を購入し、そしてコンビニで買い物をすること。

 またそれらに加えて、ATMの順番取りをするように要請していたことが判明した。

 T氏は、その時間帯に東京から帰ってくる妻との待ち合わせがあったためなのか、龍二の本来の意図を知らず、快く龍二の要求を引き受けた模様。

 そして指示された時間に切符の購入等をし、そのレシートを龍二に渡した。

 またコンビニでの買い物の後に、ATMの列に並び龍二を待った。

 そこへ龍二が走りきて、T氏と入れ替わり、龍二はキャッシュを引き出し、自分自身の映像を防犯カメラに残した。


 その後も龍二に対し取り調べが継続され、龍二の犯行およびその足取りは次のようなものであると確認された。

 龍二は京藍の姉妹店を東京で開くための下調査を桜子から依頼された。

 その帰りの日ではあったが、桜子がこだまで熱海温泉へ一人保養に行くことは知っていた。


 桜子殺害の計画としては、当初下りのこだまから上りのこだまに乗り移り、三河安城駅までで刺殺し、また元のこだまに戻ることを企てていた。

 しかし、このシナリオはかなり奸智かんちに長けてはいるが、返り血を浴びる、またこの程度では必ず謎解きされると龍二は考えた。

 そのためその逆手を取って、謎解きがされた時のために、犯行現場に絶対居合わすことは不可能だと思わせる新シナリオを考え出した。


 それが三河安城駅を通過してから絞殺することだった。

 つまり東京駅でこだま六五七号に乗車し、そして元のこだまに戻るケースでは、上り六六二号の車輌内での犯行、それは名古屋駅から三河安城駅までの間だけが可能となる。

 だがそれ以降は絶対に不可能。

 したがって、どんな形であれ、もし下りのこだま六五七号に乗って京都に戻ったと偽装できれば、三河安城駅を過ぎてからの犯行は完全犯罪となる。

 そうするためには、殺害後に豊橋駅で降り、そこから元のこだま六五七号を急ぎ追い掛ける。


 しかし、名古屋駅でのぞみ三六七号へと乗り継いで後を追うのが精一杯。

 そして、最速で京都駅に辿り着いたとしても、午後五時〇一分にしか到着できない。

 ここに元のこだま六五七号より二十三分の遅れが生じてしまう。

 だが反対に、この午後五時〇一分までに京都にいたことがもし証明できれば、犯行に関わっていなかったことが成立する。

 そんな偽装工作をするために、龍二はここで協力者を必要とした。

 それが背格好が似ていたT氏である。

 そして龍二は話しを持ち掛けた。

 龍二はこの悪巧みの目的をT氏に明かさず、切符の購入と買い物、そしてATMの順番取りをしてくれたら、桜子に掛け合って、借金の一部を免除してやると協力を依頼した。

 長年の付き合いでもあるT氏は、これを深く考えず承諾し、龍二の指示するところに従ってレシートを集めた。

 またATMで列に並び、走りくる龍二へと入れ替わった。


 このようにして、午後五時〇一分以前に、龍二が京都にいたことが偽装された。

 しかし、元妻の新証言により、この偽装工作は壊れ、今回の花木龍二の逮捕に至ったのだ。


 霧沢はこの記事を読み終えて驚いた。記事の中に記載されてあるT氏は、明らかに滝川光輝のことだ。

 その光樹は、桜子が新幹線内で殺害されて、その二週間後に沙那と共に冬山の谷底へと落ちて行った。

 光輝が以前の事件に引き続き、また桜子の事件に間接的に絡んでいたのだ。

 確かルリは、いつぞや沙那のことについて話しをした時に、「あの日、私、京都駅で光輝さんを見掛けたの。きっと沙那を迎えにきてただけだよね。事件には関係ないわよね」と心配げにしていた。それについては、光輝が沙那を迎えにきたことは確かなことだったとわかった。

 しかし一方で、光輝は何も知らずに、こんなことをやらされていたのかと思うと残念でならない。


 そして真由美はまた「桜子さんの死後、多分龍二が、借金の返済を光樹さんに強く迫るようになったんやろね」と語っていた。だが記事には、龍二が桜子に掛け合って、借金の一部を免除してやると言い、T氏に協力を依頼したとある。

 と言うことは、龍二は後日、桜子が亡くなってしまった以上、もう免除を掛け合う人、つまり桜子はいないと居直り、光樹との約束を反故にしたということなのだ。


 こうして光輝は、こんな結末になっていった自分の行動を悔やみ、またその宿命を嘆き、ついに自ら妻の沙那と共に死を決意したのかも知れない。霧沢はそう思えてくるのだった。

 そして、霧沢はとてつもなく不愉快になってくる。

「遼太の小説のシナリオを逆手に取って、アリバイを工作した龍二とは、なんと悪人なのだろうか」と。


 しかし不思議だった。この事件の元となった殺人シナリオ、それは遼太のミステリー小説。なぜ龍二は、その小説のストーリーを知っていたのだろうか?

 だが霧沢はすぐに思い出した。リビングに放ってあった遼太の小説を読み、外から帰ってきた遼太に、「これ結構面白いストーリーだなあ」と褒めてやった時に、遼太は話していた。「元は学生の頃の作品だよ、当時サークル内では人気があってね、友達によく貸し出してたんだけどね」と。

 この話しで、遼太から友人の純一郎に、そしてそれからその父の龍二へと流れて行ったのだと想像できる。


 と言うことならば……、果たして、母の桜子は?

 きっとこのトリックを知っていたのだ。

 だから桜子は、背後から殴打され気絶し、そして目を覚ました時に、その遼太のストーリーをきっと思い浮かべただろう。

 そして小説のシナリオ通り、三河安城駅以降では殺されないと読み取り、目の前に殺気立って現れた沙那と真由美に「早く行ってしまいなさい」と急かせたのかも知れない。そしてその後、ほっと安心したのだろう。

 されどもその油断をついて、三河安城駅を過ぎてから桜子は龍二に絞殺されてしまう。

「これって、桜子にとって不幸なことではあったが、これが長年の悪事の因果応報と言うことなのだろうなあ」と、霧沢はやるせなくなってくるのだった。


 しかれどもだ。

「愛人関係にもあった桜子、それなのになぜ龍二は、そこまでして桜子を殺めなければならなかったのだろうか?」と、その本質に眠る龍二の強い動機がわからない。

 霧沢はしばらく取り留めのない思考を巡らせていたが、三十年前のいろいろな出来事の始まりの頃のことをぼんやりと思い出した。


 あれは宙蔵の四十九日が終わって、霧沢は京藍の桜子を訪ねた時のことだった。その時、桜子は悲しみを吹っ切るかのように、「いつまでも悲しんでられないわ、知ってはるでしょ、私の性格、欲張りなのよ。何でも独り占めしたいの」と言っていた。

 霧沢はこれを聞いて、その時はひとまず安心したが、そこに桜子の歪んだ意志を感じたことを憶えている。

 そして霧沢は今思うのだった。結局、桜子は龍二ではなく、京藍をいつまでも独占しておきたかったのではなかろうか。

 そのために、たとえ龍二が愛人だとしても、自分からは一歩遠ざけて真由美と結婚させたのだと。

 さらに龍二との間では、息子の純一郎を設け、自分の跡継ぎだけは作った。


 霧沢はこんな思考をここまで巡らしてきて、はたと気付くのだった。

 なぜ真由美は洋子のように殺されなかったのか?

 そんな疑問に対しての答を。

 それは結局、桜子と龍二の仲のカモフラージュ役として真由美は利用価値があり、かつ一方で、龍二を京藍に直接的に近付かせないための桜子の策略だったのだ、と。


 一方龍二の方はどうだったのだろうか?

 霧沢が一週間前に会った真由美、その語り口調は淡々としていたが鋭く評していた。

「龍二なんやけど、桜子とは真っ向から人生の目的がぶつかり合ってたんよね。それは京藍を全部自分のものにすることだったんよ」と。

 ひょっとすると、こんな強い野心を持つ龍二でさえも、桜子の凄まじい独占欲に弾き飛ばされそうになっていたのかも知れない。

 尽きるところ、龍二と桜子は長年愛人関係にあったが、互いに京藍を自分のものにしたいと思う強欲のために、年月を経て、愛人から強敵へときっと変わって行ったのだろう。

 そして龍二にとって、桜子はまさに邪魔者になってしまったのだ。


 霧沢はここまで思考を進めてきて、「すべては、嫁と義弟の老舗料亭・京藍を奪い合う戦いだったのか」と呟き、「ふう」と深い溜息を吐く。

「仲間たちがキラキラと輝いていた学生時代、みんなは縁あって出逢った。だけど、それに人間の醜い欲が絡み合ってしまったんだ。それで縁は捻れてしまい、実に不幸なことになっていったんだろうなあ」

 霧沢はそんなことをつくづくと思った。その後、「それにしても、なぜ、こんなおぞましい戦いの場になってしまったんだよ、これが俺たちの宿命というものだったのかなあ」と嘆き、もう一つ呻き声を「うー」と発っしてしまう。


 そして、「そう言えば、初めてルリを抱いた夜、ルリは確か言ってたよなあ、新たな宿命をちょうだいって。それはこういう宿命の渦巻きから救って欲しいということだったのかなあ」と、霧沢はこの還暦の歳になって初めて思い知るところとなったのだった。



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