第19話 華燭の典
京都に冬の訪れを知らせる風が吹き、五十八歳の師走へと慌ただしく時が移ろう中で、霧沢の身の回りで、まず桜子が新幹線こだまの車中で殺害された。そして光樹と沙那は自動車事故で亡くなった。
こんな出来事が連続で起こり、その混乱の中であっと言う間に新年を迎えた。
そして滝川光樹と沙那の四十九日も終わり、
そんな二月二十日も過ぎた頃のことだった。愛莉が大輝を家に連れてきた。
大輝は葬儀の喪主挨拶の時に見た通り、気骨ありそうな好青年だった。そんな大輝が、霧沢にきちっと向き合って懇願してくる。
「いろいろと不幸なことはありましたが、それを乗り越えて、愛莉さんを一生愛し、幸せにしたいと思っています。だから、愛莉さんと結婚させて下さい」
こう言い切って深々と頭を下げる。大輝の男の決意が霧沢にひしひしと伝わってくる。
もう五十九歳ともなってしまった霧沢、こんな大輝の口上を聞き、そしてその態度を見て、己の記憶が呼び起こされる。
それは三十歳の時のことだった。京都駅で霧沢は博多へ、ルリは東京へ行く。だが二人ともこれが最後になるかと思い、新幹線に乗れなかった。
そして向かいのプラットホームで泣くルリに駆け寄り抱き締めた。そして「結婚しよう」と、それは一つの弾みのようにルリにやっとプロポーズができた。
それに比べ、大輝には愛莉とどうしても一緒になりたいという気迫があり、強い意志を持っているのが感じられる。
しかし霧沢は、賀茂川べりでのルリとの会話、その時に抱いた懸念が完全に払拭し切れていない。
それは、大輝の父の光樹が宙蔵や洋子の不審な死に関わってきたのではなかろうかと、そんな晴れない疑念が残っていた。
だが、霧沢がたとえそう疑心を抱いていたとしても、そこには確実な証拠はなく、あくまでも想像の範疇だ。それによって、二人の決意に反対する理由にはならない。
霧沢はじっと考えを巡らしていたが、おもむろに姿勢を正した。
「大輝君、わかった、愛莉から聞いていると思うが、愛莉は悲しい過去を背負ってきたところもある。これからは君に任せるから、ぜひ愛莉を幸せにしてやってくれ」
大輝が再び深々と頭を下げる。
「わかりました、今のお言葉、決して忘れません。愛莉さんを必ず幸せにすることを、男として、お父さんにお誓い申し上げます」
霧沢はこんなにきっちりと答える大輝を見ていて、律儀だった沙那の性格をきっと引き継いでいるのだろうなあと思った。
そして、こんなやり取りを大輝のそばに寄り添って聞いていた愛莉が、小さな声ではあったが、はっきりと言ってくれた。
「お父さん、ありがとう」と。
一方霧沢の横にいるルリはもうすすり泣いている。
不幸なことが一杯続いてきた。だが今日は、親友の洋子に代わって一所懸命育ててきた愛莉、その娘が惚れた男と晴れて一緒に暮らしていくことが決まった。こんな目出度いことはない。
ルリは余程嬉しいのだろう。零れ落ちる涙が違う。
それは今までの冷たく悲しい涙ではなく、慶びの熱い涙だ。
霧沢は横にいるそんなルリの様子を見て確信した。これで良かったのだと。
そして、なにか肩の荷が一つ下りたような感じを覚えるのだった。
そんな出来事から二ヶ月の日が経った。
大輝の両親の光樹と沙那の葬儀は昨年の暮れのことだった。まだ喪は明けていない。だが霧沢はそれでも良いと思った。
草葉の陰から、光樹も沙那も、そして愛莉の実の父母の宙蔵も洋子も、きっと喜んでくれているだろうと自信があった。
霧沢は五十九歳ともなり、翌年の三月末になれば定年退職となる。
善は急げだ。現役の力がある内に、三十一歳の大人の女性となった愛莉を早く嫁がせてやりたいと思った。
その年もまた植物園に真っ赤なチューリップが咲き乱れる季節となった。そんな頃に、強引ではあったが、大輝と愛莉の二人の門出となる結婚式を厳かに執り行った。
振り返れば、二十八年前の春うららかな陽光の下、霧沢は植物園へルリと愛莉と三人で行った。そしてルリが覚悟を決めて言った。「私ね、愛莉ちゃんを連れてね、アクちゃんの所に、お嫁に行きたいの」と。
ルリはこんな堅い思いの言葉を吐き、その後しばらく押し黙っていた。そして霧沢は決断し、「そうしよう」と答えた。
ベンチですやすやと眠っていた愛莉は目を醒まし、そんな様子をじっと見ていた。
その愛莉が今、純白のウエディングドレスを身に纏っている。
そして霧沢に幸せそうに微笑んできてくれる。
霧沢には止めどもなく涙が溢れ出てくる。
今までどんなことがあっても、男の涙を見せたことがなかった。だが、これだけは止めることができなかった。
信じられないほどの涙がポロポロと頬を伝い落ちて行く。
新郎の大輝に、「愛莉を、絶対に幸せにしてやってくれ」ともう一度声に出して伝えてはみた。だが、それはもう言葉にはならなかった。
こうして霧沢とルリの熱い気持ちの中で、大輝と愛莉の華燭の典を厳粛に挙げ終えることができたのだった。
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