第18話 大輝
霧沢が朝起きてみると、比叡山から吹き下ろしてきたのだろう、白い物が舞っていた。
しかし、日中となり少し気温が上がったのだろう、それは
そんな雨がしとしとと降る中、光樹と沙那の葬儀が粛々と執り行われた。
会場内には、白い花々の上に、光樹と沙那の二人の遺影が並べて飾られてある。そして、お経がまるで無機質に淡々と会場内に響いている。
霧沢は簡易に並べられた硬い椅子に座り、悲しみが極度の壁を越えてしまったのか、まるで放心したかのように葬儀の進行を無感覚に眺めている。そして横ではルリが俯いたまま、握り締めた数珠の上に涙を落としている。
弔問者の焼香も順次に終わり、読経は南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と繰り返され閉じられた。
こうして葬儀は時間通りに進み、厳粛な中で終了した。
そして喪主からの挨拶となった。三十歳くらいの男性が現れ出て来た。
その青年が光樹と沙那の一人息子の
見るからに二人の面影を引き継いだ好青年。
霧沢は以前ルリから聞かされていた。「沙那には、愛莉より一つ年上の立派な息子さんがいてね、大手の銀行に勤めているのよ」と。その大輝に、こんな場面で会うのは残念なことだったが、霧沢は初めて顔を見た。
「本日は冷たい雨が降り、足下が悪く、また大変お寒い中を、皆さま御多忙のことだと思いますが、故人・父の滝川光樹、そして母・沙那の葬儀にご参列賜りまして、まことにありがとうございました、お礼申し上げます」
大輝は悲しみをいかにも堪え、しっかりとした口調で挨拶を始める。そして文言は続き、最後に、「画廊を営んでいました父と母、事ここに至るまで皆さまからの暖かい御厚情、御支援を頂いて参りました。私は現在勤め人でありますが、今後は、その画廊を引き継いでいきたいと思っております」と、自分の身の振り方について弔問者に伝えた。
霧沢はこれを聞いて、正直ほっとした。なぜなら、光樹はそれを最も望んでいたことだろうし、それが一番の親孝行ではないかと思うのだった。
大輝の挨拶は終わり、出棺となった。霧沢とルリは二人を見送るため、会場の外へと出た。その時はもうすっかり冷たい雨は止んでいた。
最後にもう一度、霧沢とルリは走り去って行く霊柩車に手を合わせた。こうして葬儀のすべてが終わった。
「さっ、ルリ、帰って暖まろうか」
霧沢は沈み込んでいるルリが心配で、家でまずはゆっくりさせてやりたいと思った。
ルリはまだ悲しみを引きずっているのか、しばらく黙っている。そしてその後、それを断ち切るかのようにルリが声を掛けてくる。
「ねえあなた、ここは賀茂川の近くでしょ、ちょっと川べりを歩いてみない」
ルリからのこんな突然の提案に、霧沢は「えっ、そんなの寒くって、風邪を引いてしまうよ、それに喪服を着たままじゃ、ちょっとね」と反対した。
「構わないわ、気晴らしをしたいだけなの」
ルリが一歩も譲らない様子だ。
霧沢はそんなルリの気持ちを思い、「じゃあ、風邪を引かないように気を付けて、少しだけ歩いてみるか」と足を踏み出した。
こうして、二人は冬の賀茂川べりの道へと下りて行った。
そこは川面からの冷気が漂い、寒々としていた。
遙か上流の山々は夜来の雪、そして洛北は雨、そのためなのだろうか川は少し増水している。
一方川べりの道では、随分と遠くの方から走って来たのだろう、ジョギングをする人が無表情ですれ違い、また追い越して行ったりする。そして南北の彼方へと消え去って行く。
そんな殺風景な冬の川べりの道、そこを喪服姿のまま、霧沢とルリは肩を並べて歩く。
「ねえあなた、やっぱり沙那は偉かったわ」
ルリが遠くへと消え行くジョガーを目で追いながら話し掛けてきた。
「何が偉かったの?」と霧沢は短く聞き返す。ルリは歩く歩調に合わせて、ゆっくりと、そしてしんみりと言葉を続ける。
「ずっと以前からね、沙那は、そこそこの保険金を夫の光樹さんに掛けていてね、その受取人を息子さんの大輝さんにしてたのよ。ほんと、人生何が起こるかわからないからね」
それはあまりにも唐突な話しだった。
霧沢は「それは良かったね」と一旦は答えた。しかし考えてみれば、ちょっと危うい話しだ。
「それって、もし無理心中なら、保険金は入らないよ」
「ふうん、そうなの」と、ルリが首を傾げる。
しかし、その後はっと気付いたのか、「保険金が掛かっていたのは光樹さんよ、その本人が運転していて、そして亡くなったのよ。それにいろいろな状況からして、二人は京都に戻ってくるつもりだったわ。つまり心中するような意思はなかったと判断され、警察は事故死と結論を出したのよ」と話した。
霧沢は、ルリがなぜそんな話しをやぶから棒に語り始め、またムキになっているのかがわからない。
これに対し、霧沢は「ああ、そうだね、それは自動車事故だったよなあ、じゃあ俺たちも、子供たちのために、もっと保険額を上げてみるか」と巫山戯てみた。
「そんなの無理よ、だって先立つ原資がないわよ。だってあなたはもうすぐ定年よ」と、ルリが軽く霧沢の提案を否定する。
霧沢は「それもそうだなあ」と言い、沈黙する。そしてルリも押し黙ったまま霧沢の横を歩く。
こうして二人は橋のある所までやって来た。
その時ルリが突然に、「あなた、今日のお葬式……、知ってる?」と訊いてきた。
霧沢は「知ってる?」といきなり訊かれても、知るわけがない。「何を?」と聞き返した。
霧沢の横にいたルリは一歩前へと踏み出し、くるっと振り返った。
「あなた、今日、愛莉も参列してたのよ」
霧沢はこれを聞いて驚いた。
亡くなった光樹と沙那は霧沢とルリの古くからの友人。だから霧沢は会社を急遽休み、何はさておき葬儀に臨席した。
だが愛莉は今日も仕事があるはず。
愛莉にとって、光樹と沙那はあくまでも親の友人であって、この葬儀はあまり関係ない。それなのに愛莉は参列していたと母のルリが言う。
「愛莉が……、どうしてなの?」と霧沢は疑問を投げた。するとルリが霧沢の方ににじり寄ってきて、顔を覗き込んでくる。
「あなたも随分と
「えっ、そうなの」
目から鱗が落ちるとはまさにこういうことなのだろうか、霧沢ははっと気付かされた。そして娘の愛莉のことが気掛かりとなり、「と言うことは、二人は結婚することまで考えているのか?」と息も吐かずに問い返した。
「多分ね、その内に愛莉は大輝さんを家に連れてきて、愛莉を頂きたいと挨拶に来るかもよ」
光樹と沙那の葬儀が終わり、ルリはこんな話しをまるで当然かのように、霧沢にさらりと伝える。
愛莉は二十八年前にマンション内で事故死した花木宙蔵と、クラブ内で首吊り自殺をしたママ洋子の愛娘。独りぼっちになってしまった幼い愛莉を、霧沢とルリは結婚と同時に、愛莉との養子縁組を結び、養女としてもらい受けた。
そして親として育ててきた。
そんな愛莉はすでに三十歳となり、現在西陣織の新進デザイナーとして、その伝統のある文化に新風を吹き込み、立派に頑張っている。霧沢にとっては自慢の娘なのだ。
大輝の父の滝川光樹は霧沢の友人。
かって霧沢の卒業後の空白の八年間、妻ルリの貧乏生活を、未熟な画家のパトロンとしてずっと支えてくれていた。そんなことを、霧沢はそれとはなしに知っている。
さらに滝川沙那はルリの高校時代の友人。
愛莉はその二人の一人息子、大輝と恋に落ちてしまい、結婚するという。
そしてルリは母として、もうすでにその覚悟をしてしまっているようだ。
確かにこれは両家にとって喜ばしいことなのかも知れない。しかし、霧沢はどことなく釈然としなかった。
なぜなのだろうか?
学生時代の滝川光樹は京都で有名な画廊の御曹司で、なかなかのイケメン。そして女子学生からの人気も高かった。しかしそれを鼻にも掛けず、男としては割に純で気の良いヤツだった。
そんな光樹は、その後の宙蔵のマンションでの消化器二酸化炭素の中毒死に――、絡み?
さらに洋子の首吊り自殺に、桜子の愛人として関わっていたようにも思われる。
霧沢はそんな光樹をぼやっと思い出す。
そして今回、保険金の受取人を息子の大輝として、光樹は沙那と一緒に冬の山道から谷底へと落ちて行った。
警察はそれを事故前の電話やメールのやり取りの状況から判断して、心中と断定するには無理があるとし、自動車事故と結論付けた。
されどもこれに対し、霧沢はどことなく解せなかった。
今さら問題を掻き回したくはなかったが、勘ぐれば心中したとも思われてくる。
そして、こんな不幸が連鎖した背後には、何か隠された因縁めいたものがあるような気がしてくる。
しかし、それが何なのかが霧沢にはわからない。だから何とも言えない。
さあれども、その何かがこれから愛莉の身に及んでくるものであれば、この二人の結婚に父として気が進まない。
しかし一方で、事情がどうであれ、愛莉が一人の男から真剣に愛された。その愛する人と一緒となり、共に人生を歩んで欲しいものだとも願うのだった。
霧沢の気持ちは実に複雑で、正直揺れた。これが娘を思う父親の気持ちというものなのだろうか。
霧沢はそんなことを考えながら、冷々たる川の流れを視界に入れている。
それは漠然と眺めているだけで、その流れに焦点を合わせているわけではない。ただ茫然とその前で立ち
ルリは、今霧沢が何を考えているのか、また何を迷っているのか、きっと見透かしてしまっているのだろう。
「あなた、愛莉の気持ちを大事にしてやって。宙蔵さんとの愛が実らなかった洋子だって、自分の娘が愛する人と一緒になることをきっと願ってるわ。だから、賛成してやって」
ルリがそんなことを耳元で囁いた。
霧沢はこのルリの養母としての願いに、考えが行きつ戻りつする。
そしてしばらく沈黙していたが、霧沢の危惧の念はすでに二人の死は自動車事故だったと結論が出てしまっている。世間ではもう解決済みなのだ。
霧沢はそう思い直して、一言だけを返す。
「祝ってやろう」
あとは冷え切ったルリの手を取り、少し足早に歩き始めるのだった。
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