第16話 奇妙な話し

 霧沢とルリの結婚記念日のプレゼントとして、愛莉が初作品の金襴緞子の壁掛けを贈ってくれた。

 そしてそのお返しにと、霧沢は愛莉に宙蔵の遺品である〔青い月夜のファミリー〕の絵を渡した。

 こんな出来事があって、四ヶ月経った秋も深まり始めた頃のことだった。その日は月末で、霧沢はオフィスに残って遅くまで仕事をし、疲れて帰宅した。

 そして一っ風呂浴びて、ルリが用意してくれた夕食をビールを飲みながら食べていた。

「あなた、今日ちょっとね、奇妙なことがあったのよ」

 妻のルリが神妙な顔付きで話してくる。「そうか?」と霧沢は気のない返事をする。

 ルリはそれを気に掛ける風でもなく、「遼太って、小説サークルに入ってるんですって、あなた知ってた?」と続ける。


 涼太は男の子、少々放っておいても良いのではないかと、自分の学生時代だった頃と同じようにある程度放任主義で育ててきた。そのため霧沢は父ではあるが、息子の遼太が一体何をしてるのかさほど気にもしなかった。

 それに下手に口出しすれば、親子喧嘩にもなる。

「ほおー、あいつ美術サークルじゃないのか、小説サークルってね」

 霧沢は親子ながら意外で驚いた。


「あなた、あの子はね、私たちとはちょっと趣向が違うみたいよ」と、ルリは少し不満そうだ。

「まあいいんじゃないか、特に才能があるわけでもないし、好きにやらしておけば」

 霧沢はそう言いながらテレビのニュースから目をはなさない。そんな霧沢の態度が気に入らないのか、ルリはテレビのスイッチをブチッと切って、「違うのよ、今日ね、そのサークルの合宿の打ち合わせだとか言ってね、友達を四、五人連れて来たのよ」と言う。

 霧沢はもう観るものがなくなり、消えたテレビの前で手持ち無沙汰となる。

「ふうん、遼太が友達を家に連れて来たんだね、まあいいんじゃないの」と、またまた気のない返事をしながら新聞に手を掛けた。

 するとルリはその新聞をさっと取り上げ、「あなた、ちょっと私の話しを聞いてちょうだい」と睨み付けてくる。こうなってしまえば、妻の話しを聞かざるを得ない。

「そのお友達の中にね、純一郎君と言う子がいてね、その子、誰の子供さんだと思う?」

 ルリがそう質問し、霧沢の顔をじっと覗き込む。


 霧沢は、息子の友達の純一郎君と言う子が誰の子かと突然尋ねられても、そんなことわかる訳がない。

 しかし、霧沢はこういう会話も夫婦のコミュニケーションの一つかと思い、「例えば、政治家の子供だったりしてね」と冗談ぽく返した。

 それを耳にしたルリはまるで勝ち誇ったように、「違うわよ、ようく聞いてちょうだいね」と声のトーンを一段と落としてじらすのだ。

「おいおいおい、そんなもったい付けるなよ、頼むから早く言ってよ、お願い!」

 霧沢はこれも夫婦の戯れの一環かと思い、少し大袈裟にせっついてみた。それに対し、ルリは充分間を取って、その後に一言だけ口にする。

「桜子よ」


 霧沢は二十年前に京都駅のホームでルリにプロポーズした。そして当時、ルリは画家になるために、桜子から援助を受けていたことをそれとはなしに知っていた。

 霧沢は結婚すると約束した以上、ルリの生活すべてをも霧沢がバックアップする責任を負ったと覚悟を決めた。そのためか、それ以来桜子の話題をあまり口にすることはなかった。

 だが今、ルリの口をついて出てきた古い友人の名前、それは桜子。

 噂では、宙蔵の事故死の後、老舗料亭・京藍を女手一つで盛り上げて、今は大繁盛していると聞いている。


 そして一方、現在小説サークルに所属し学生生活を謳歌している息子の遼太、その友人の一人が純一郎。その男の子が桜子の息子だという。

 霧沢はじっくりと考えを巡らす。

 そしてつくづくと思うのだ。確かにルリに言われてみれば、奇妙な話しだと。

「その純一郎君って、遼太と同級生ということは、宙さんが死んだ後、二年経って出来た子なんだろ?」

 霧沢はズバリ訊いてみた。

「その通りよ」と、ルリは澄ましている。

「だったら誰の子だよ?」

 最初そっぽ向いていた霧沢の質問が止まらなくなってきた。


「それがわからないのよ。だから……、奇妙な話しなの」

 ルリが今度は威張ってる。

「じゃあ、光樹の子か? だって、洋子が首吊り自殺した時に、伊豆に桜子と不倫旅行に行っていた仲ということなんだろ。うーん、やっぱり光樹の子か」

 霧沢は咄嗟に思い付くまま吐いてしまった。

「あなた、光樹さんはそんな人じゃないわ、だって知ってるでしょ、しっかり者の沙那が横に付いているのよ、そんなこと許さないわよ。伊豆の不倫旅行だって、あれは誰かの作り話しよ。洋子が自殺した時、警察は光樹さんと桜子の旅行を不倫旅行って一度も言ってないわよ。ただ何かの用事で旅行に行ってただけだわ。だって、あの時ね、沙那は全然慌ててなかったでしょ。それに、今も仲良くやってるよ」

 ルリが高校時代の友人、沙那を一所懸命庇う。


 霧沢は、いつぞや三人で修学院離宮を訪ねた時、ルリと沙那がべったりと引っ付いて、見学グループの一番後方で、ずうっと話し込んでいた様子が目に浮かんできた。

 そんな仲の良い友達を思う気持ちが、ルリから充分伝わってくる。

「じゃあ、純一郎君に、お父さんはどなたですかと訊いてみれば良かったのに」

 霧沢は他人事のようにそう吐いてしまった。

「そんなこと訊けないわよ、だって桜子は、宙蔵さんが亡くなってからずっと一人よ、だからシングルマザーなのよ。他人の私が息子の純一郎君に、そこまで立ち入ったことは訊けないわよ」

 ルリがこう話し、あとはムッとする。


 だが確かにそうなのかも知れない。そんなこと、当の本人に面と向かって聞けるわけがない。

「ああそうだね、だけどホント奇妙な話しだよなあ。まあいいんじゃないか、桜子も自分の息子が俺たちの家に遊びに行ったことを、その内に知るだろうから。何かあれば、連絡でもしてくるよ、この話しはここまでにして放っておこう」

 霧沢はこう結論付けた。そしてルリのグラスになみなみとビールを注いでやる。

「そうね、そうしときましょうか」

 ルリはそう言って、そのビールをぐいぐいと飲み干すのだった。



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