第8話 忘我の淵へ

 霧沢とルリは今、シティホテルの一室にいる。

 カーテンを開けると、東山の山際が街の灯りと相まって、赤香色あかこういろにかすんで見える。そして夜空には、月がぽかりと美しく輝いている。

 そんな風景に霧沢が見入っていると、背後からルリが寄り添ってきた。ルリはその顔を霧沢の背中に埋めるようにして、囁く。

「アクちゃん、私、本当はね、……、待ったわ」


 霧沢は何も言わずに振り返った。そしてルリを優しく抱きしめた。こうして二人はどんどんと大人の愛の深淵しんえんへと落ちていく。

 霧沢は、ルリがセンス良く着こなしている淡いピンクのブラウス、そのボタンを一つずつ外す。ルリの可愛いブラジャーがあらわれた。

 霧沢は後ろに手を回し、それを外した。すると目の前に、プルンとルリの乳房があらわになる。ルリはもう覚悟をしているのか、特に動じていない。むしろこの時を待っていたかのようでもある。


 ルリは霧沢の目にそれらを押し付けるように前に立つ。霧沢はそっと手で触れてみる。それは今までのどんな乳房よりも綺麗で弾力があった。

 そして霧沢はゆっくりとそこへと唇を運び、乳首にキスをする。

 その後、それをそっと口にふくむ。コロコロとした感触が口の中でする。それを舌でツンと突っついてみた。

「うっ」

 ルリの嗚咽が洩れた。

 霧沢はもう止まらない。しかしそんな時に、ルリが囁いた。

「ねえ、アクちゃん、シャワーをさせて」

 ルリはきっと綺麗な身体で愛して欲しいのだろう。霧沢は「そうだね」と一言だけ返した。そしてルリは、足早にバスルームへと入って行った。


 今、霧沢は窓際でのルリの乳房の余韻を感じながら、ベッドの上で寝っ転がってる。何気なく点けたテレビからはニュースが流れている。

 霧沢は別段それに興味があるわけではない。ただぼやっとした時の流れに身を任せているだけ。それは少しざわついたBGMのようなもの。

 遠くの方からはザーザーというシャワーの音が聞こえてくる。多分ルリは、ノブを全開にして、身体を洗っているのだろう。

「もし八年前のあの時に、このようなことになってしまっていたとしたら、二人の人生は変わり、そして今は、どうなっていたのだろうなあ」

 霧沢はそんなことをぼんやりと考えた。そして、おもむろにベットから滑るように抜け出した。霧沢は服を無造作に脱ぎ捨て、素っ裸となりシャワー室へと入って行った。


 ルリは少し驚いた様子だったが、別段恥ずかしがっている風でもない。多分自分の肉体に自信があるのだろう。

 黒髪が湯の熱で柔らかく絡み合い、淡いピンク色に色付いた襟足を包んでいる。そして、うなじから曲線が滑らかに前方に伸び、ふるいつきたくなるような乳房の膨らみを艶めかしく輪郭付ける。

 さらにそこから色気な曲線は緩やかに下っていき、くっとくびれたウエストを造形化させ、裸体全体を引き締まらせている。

 今にもしなやかにしなりそう。そんなウエストを、ツンと張りのあるヒップが均整良く支えている。そして、その結果として、つややかな上半身全体がより上へと持ち上げられている。

 さらにその女体曲線は、その清艶なるヒップから、白く透き通った太股をなぞり下っていく。そして形の良い長い足を形成させ、つま先に塗られた赤いペディキュアで、その妖美な曲線を終わらせているのだ。

 こんな美形なルリの裸体。今、それ全体がほんのりと薄桃色に色付いている。


「アクちゃん、こっちへ来て」

 ルリは霧沢の身体一杯にボディーシャンプーを塗りつけ、泡立てさせ始めた。シャワーで飛び散る飛沫に目を細めながら、楽しそうに霧沢の胸板を洗い出す。

 ルリの乳房がぷるるんと揺れる。霧沢は思わず撫でてみた。そのツルンとした感触が気持ち良い。

 ルリは「ううん」と短く呻き、少し身体をよじりながら、その手を霧沢の下腹部へと移動させていく。そしてぎこちない手付きで、今度は霧沢の一物いちもつを洗い出す。

 しかし、それは何か自分の一番大事な宝物を手にしたように、ルリは丁寧に扱う。幼い女の子が大好きなキューピー人形を与えられたかのように、ルリはそれを撫でるようにしてしばらく遊んでいる。


 八年のこの長い時の流れ、それがやっと終わり、二人切りに今なれた。しかもこんな秘密の場所で。もう互いの大人の欲情がき出しになっても、なんの不思議でもない。

 霧沢はルリを見てみた。「はあはあ」と身悶みもだえし始めてる。霧沢はそんな乱れたルリがもうたまらない。そんな一瞬に、ルリは消え入るような声で囁くのだ。

「後にして」


 霧沢にとってこんな残酷な言葉はシャワーの音で掻き消されてしまえば良いと思った。

 しかし、霧沢はしっかりとそれを聞いてしまった。その上に、ルリは喘ぎながらももう一言を付け加えてきた。

「すぐに行くから」

 霧沢はここに至ってしまった以上、今夜はルリの好きなようにさせてやりたいと思った。そして、中途半端ながらもシャワー室から何事もなかったように出て行くのだった。


 霧沢はベッドの上でごろんと寝っ転がっている。テレビからは軽い音楽が流れてる。

 されども特に興味があるというものではない。ただ漠然と天井を眺めてる。

 遠くの方から聞こえてきていたシャワーの音、それは止まったようだ。しばらくして、真っ白なバスローブを羽織って、ルリが現れ出てきた。

 そしてルリは窓際に行き、少しカーテンを開けた。秋の夜の眺望が薄暗い部屋ににじり入る。


 鴨川から二人で眺めた月は淡黄色だった。だがそれは、今はもっと淡くなってしまったのか、中天に青白くぽかりと浮かんでいる。ルリは濡れた黒髪を拭きながら、そんな月に見入っている。

「アクちゃん、お月さんがまん丸で、綺麗だわよ」

「そうなの?」

 霧沢はベットからすり下りて、窓から夜の風景に溶け込むルリに近付いて行った。そして背後からルリをそっと抱きしめた。

「そうだね、ルリと同じくらいに、きれいだね」

 霧沢はルリの耳元でそう囁いた。

「アクちゃん、私、今幸せを感じるのよ」

 ルリが切な過ぎる声で囁き返してきた。そんな二人は一つのシルエットとなり、夜空の月光の彼方へと吸い込まれて行きそうだ。

「あのお月さんまで、二人で飛んで行けたら……、いいわね」

 ルリがそんなことを小声で呟いた。

「ああ、ルリと飛んで行きたいよ」

 霧沢はルリの言葉に特に合わせたわけではない。確かにそう思ったのだ。


「ほんと?」

 ルリがそう確かめてくる。

「うん」と、霧沢は小さく頷いた。

 するとルリは、いきなりバスローブをさらさらと脱ぎ捨てた。そして、その温もりが残る両手を窓ガラスにぺたっと貼り付けたのだ。

「ねえ、だったら、アクちゃん、ここでお月さんを見ながら……、して」

 ルリがせがむ。


 二人にとっての空白の八年間、この時の流れの中で、ルリに一体何があったのだろうか。

 ルリは酸味一杯のフレッシュな青いレモンのようだった。明るい陽の光の下で、溌剌はつらつとした女子学生だった。そんなルリが今、せきを切ったかのように、狂った愛を求めてくる。


「誰かに見られているかも知れないよ」

 霧沢はルリの激しさに躊躇ちゅうちょしながら、少しの理性を見せた。

「アクちゃん、もう構わないの、八年待ったのだから、だから、ここで……、して」

 もうルリが止まらない。そしてルリは、ただただ中天に上がった青白くてまん丸の月を睨み付けている。

 霧沢はそんなルリの背後から、硬くなった自分のものを押し入れた。ルリの奥深い肉の熱が充分熱く伝わってくる。

 ルリが窓ガラスに手を付いて、身体をよじり出した。そしてもう切なく嗚咽する。霧沢は八年の空白を埋めるかのように、さらに強く、そして深く、奥へと押し入れていった、


「ああ、あの月に、アクちゃんと、一緒に……」

 ルリはそう言いながら、イッタ。

 しかし霧沢とっては、これだけでは八年の歳月は取り戻せない。もっとルリに、今できる限りの女の幸せをと思い、辛うじて踏み止まった。

 霧沢はそのままの姿態で、ルリの絶頂がおさまるまでしばらく待ってやる。そしてルリの手をゆっくりと窓ガラスから外す。

 するとそこには、紅葉のようなルリの手形がガラス面に浮き出していた。


「ルリ、見てごらん、ルリの手の跡が残ってるよ。――、消しておこうか?」

 霧沢は訊いた。

「ううん、いいのよ。……、そのまま残しておいて」

 ルリは淡泊に返した。しかし、それはまるで愛の痕跡こんせきを残しておきたいという、ルリの意思の表れなのだろうか。


 確かにそうなのかも知れない。この八年間に、二人で残した痕跡は何もない。あったのは想い出だけを思い出す、そんなやり切れない日々だけだった。

 だからルリは、そんな八年の空白を取り戻すために、多分その愛欲を炸裂させてしまったのだろう。霧沢はそんなルリの貪欲さに反発ができない。


「ベットに行こうか?」

 霧沢はカーテンを引きながら訊いた。

「連れてって」

 ルリは小さく首を縦に振った。霧沢はそんなルリを抱えてベッドへと入る。そしてルリは霧沢に抱かれたままで、柔らかな表情で眠る。


 しばらくの時が流れ、今、目を醒ましたようだ。ルリが薄く目を開け、霧沢をじっと見つめる。

「なぜなの?」

 鴨川での質問を、思い出したかのように繰り返す。

 霧沢は、ルリが今訊くこの「なぜなの?」、それがどの「なぜなの?」のことなのかがわからない。

 霧沢が八年前に突然消えたこと。その霧沢がジャズ喫茶店に突然現れたこと。そして最近では、花木宙蔵が事故死したこと。

 ルリにとっては、多分「なぜなの?」が一杯あるのだろう。


「それは……、そういう宿命だったのかもな」

 霧沢は答が見つからず、とりあえずそう答えてみた。

 するとルリは「そう、それは宿命だったのね。そうしたら、アクちゃん、今までの宿命を忘れさせて、そして新たな宿命をちょうだい。だから、もっと思いっ切り抱いて」と迫ってくる。

 霧沢はもう何も答えない。その代わりに、ゆっくりとその身体をルリに重ねていく。そしてルリの乳房を、左右が不公平にならないように、交互に下から上へと優しく撫でる。その後、ゆっくりとルリの下腹部へと手をずらしていき、指先でルリの花心に触れる。


「アクちゃん、早く忘れさせて!」

 ルリが再び狂おしく悶え始め、切なく声を出して求めてくる。霧沢ももう限界なのかも知れない。ルリの真っ白な太股の間に割り込んでいった。そして霧沢自身をルリの花蜜潤う中へ、ぬめりながら押し入れる。

「ああ、アクちゃん……、もう私を壊して」

 ルリの卑猥過ぎる嗚咽が洩れる。霧沢はゆっくり、そしてできるだけ深く、そんな腰の動きを繰り返す。

 二人は、それぞれの肉体の局部からの大事な触感を、漏らさずしっかりと味わっておきたい。そしてその一つ一つの律動に、満たされた最高の愛を感じ取っておきたい。


 二人にとっての八年の時の流れ、それはあまりにも長く、今しっかりと取り戻したい。

 そのためなのか、男と女の貪欲さが極限に露わになる。そして二人は、もうすぐにやってくるであろう、その絶頂を同時に味わいたい。そのために二人はぴたりと腰のリズムを合わせる。

 そして霧沢とルリはもう一度、二つの肉体を強固に同体化させる。

 ルリがその奥深い局所を痙攣させる。まさにその瞬間、霧沢も、雄鮭がその至った時に大きく口を開けるように、天に向けその口を開けけ反り返る。


 こうして、二人はまったく同時に、忘我の淵へと落ちて行ったのだった。

 今までの空白を一気に埋め戻すかのように、そのエクスタシーに、二人は一緒に魂を狂わせ昇華させた。

 それはある意味では、ルリの「新たな宿命をちょうだい」、その要望に応えたことになったのかも知れない。霧沢は男の習性か早くも現実に戻り、ぼやっとした放心状態の中でそう思うのだった。


 ルリはぐったりと霧沢に抱かれたまま目を閉じてる。しかし、そんな朦朧もうろうとした意識の中で、ルリが霧沢の耳元で訊く。

「アクちゃんの宿命と私の宿命は、もう一緒になったのね?」

 言葉が重い。

「ああ」

 霧沢は一言だけ返した。

「嬉しいわ」

 ルリはそう呟いて、目から涙を溢れ出させる。そしてその涙がルリの上気した頬を伝い落ちていく。霧沢はそんな涙を軽いキッスでぬぐってやる。

 そして二人は実に緩やかに。中天の青白くてまん丸な月に導かれるように、いつとはなしにその深い静寂しじまの中へと眠り落ちていくのだった。



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