第十三幕 ③
「…はい、分かりました」
母親はそう言って頭を下げた。
侑歩はその姿を横目で見ながら、高井に目を向ける。
「高井先生、」
「はい?」
「俺、女の子になるんですか?」
高井は困ったような顔をした。
「これからの人生、どうしたいか、決めて、侑君が選ぶんだよ?」
「選ぶ…」
高井は頷いた。それから、ふと机の上にある、侑歩が渡した透明ファイルに目を落とす。
「これ、名刺…侑君、アフロディテに会ったの?」
高井はファイルの中から、さっきの女性の名刺を取り出した。
「アフロディテ?貝に乗った、女神の?」
高井はいいや、と笑って否定した。「基君だよ、彼に会ったの?」
「え、女の人でしたよ?」
うん、と言って、高井は側にいた看護師に顔を向けた。
「彼、今日外来?」
「はい、若林君なら、隣の三番ですよ」
看護師の言葉に、高井は得心したように頷いた。
「彼もね、君と同じタイプの中間性で、性分化疾患の患者なんだ。僕らの間では、敬意を込めて『アフロディテ』って呼んでいる」
え、と驚いたように、侑歩は高井を見た。侑歩の母親も同様の反応をする。
「彼も高校生までは、侑君同様男性として生きていた。今は、今泉君をパートナーとしているけど、名刺をもらっているなら、彼に連絡を取ることをお勧めするよ」
侑歩は狐に摘ままれたような気持ちで頷いた。
高井は次回の予約を取ると、侑歩の肩をポンと叩いて、「またね」と言った。
侑歩も挨拶をして、母親と診察室を後にする。
診察室を出て、廊下に戻ると、加藤が心配そうにこちらを見て立っていた。
加藤は診察室から出てきた侑歩と母親に気付いて立ち上がった。手にしていたスマホをポケットに仕舞う。
侑歩が放心状態という顔つきで、こちらを見ている。その目から、大きな涙の粒がほろりと零れた。
「侑!」
いても立ってもいられず、走り寄ってその肩を抱き寄せる。侑歩は抗うことなく、加藤の体に自分を預けてきた。そのまま嗚咽を殺すようにして、侑歩は泣いた。
「侑、座ろう」
肩を抱いて、空いている席に座わらせる。反対側に座った母親が、宥めるように、侑歩の膝を撫でていた。
侑歩はぽろぽろ涙を流し続けた。
「亮君、私はこのまま残って受付とか会計を済ませるから、侑歩といてやってくれない?私は、この子の話をうまく聞いてやれないから…」
母親は侑歩の頭をゆっくりと撫でてから、立ち上がった。
加藤は会釈をして、侑歩の母親を見送った。加藤を振り返った母の目が、お願いね、と告げていた。了解の気持ちを込めて頷いてみせる。侑歩の母は安心したような表情で、背を向けた。
(親子、だな)
と、侑歩の母親の背を目で追ってから、加藤は侑歩に視線を戻した。
母親も侑歩同様、感情を見せることに不器用だ、と思った。侑歩は、普段自分の感情を表に出すことが得意ではない。けれど、その侑歩が、こんな風に泣き崩れている。その姿に、加藤は胸が締め付けられる思いがした。
「侑、落ち着いたら、帰ろう?」
加藤の言葉に、侑歩が頷く。加藤は、侑歩の頭に顔を寄せ、肩に回した手で、その頭を励ますように叩き続けた。
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