第十三幕 ①
東経医大病院は、いつものように多くの人で込んでいた。
地域医療の拠点ともなっているため、一日三千人以上の患者が訪れる。
侑歩達は午前中の診療だったにも関わらず、お昼を挟んで、午後に診療がずれ込んでいた。
前回の診療で、泌尿器科と言われていたのに、侑歩が泌尿器科に行くと、産婦人科に行くように言われた。産婦人科で受付を済ませ、母親と加藤の三人でお昼を食べてから、待合室に行った。
待合室の長椅子には、等間隔で診療を待つ患者が座っていた。侑歩は空いている席を探して、家族で来ているらしい、妊婦の女性の隣に加藤と座る。侑歩の母は丁度二人の前の席に座った。
侑歩の隣の妊婦は、お腹周りの割にスレンダーで中性的な雰囲気を持つ女性
だった。隣に旦那さんらしき人が座り、三歳くらいの女の子を膝に載せて、絵本を読んでやっている。時々女の子が、女の人に甘えて体を擦りつけた。
侑歩にとって、決して望めない光景がそこにあった。何となく、避けるように視線を逸らす。
そんな侑歩の隣で、加藤が女の子の視線に気付いて、笑いながら手を振った。
「…お前、誰にでもしっぽ振るな」
嫌みの一つも言いたい気持ちになって、加藤に言う。
「俺の一大事なのに、呑気なやつ」
侑歩が言うと、加藤はしゅんとして、大きな体を小さくした。
隣でくすくす笑う声がする。見ると、妊婦の女性が笑ってこちらを見ていた。
「ああ、ごめんね。仲がいいな、と思って」
思っていたより、ハスキーな低めの声で、侑歩は少しびっくりする。
「…彼氏?」
そう聞かれて、
「俺、女に見えます?」
ちょっと不機嫌な態度で、侑歩は訊いた。
「ん、ごめん。見えないよ。でも、君、ISなのかな、と思って…」
女の人は、言いながら、ごそごそと自分の鞄からプラスチック製のカード入れを取り出す。その中に入っていた名刺を一枚、侑歩に差し出した。
「私、若林(わかばやし)、と言います。こういう関係で活動していて、」
名刺の肩書きを見ると、「『ISについて考える会』マイノリティー・セックス研究所・代表」と書いてある。ISとは、侑歩のような性分化疾患を持つ者のことを指す。
「若林、もとい(基)さん?」
侑歩が問うと、
「ああ、もと、です。今は、そう呼ばれてます」
と柔らかい笑みを見せる。
「ごめんね、不躾に。ここにいる男の子だから、そうなのかな、って思って…つい声かけちゃった」
「はあ…」
「もし、なんかあったら、連絡してほしいなって思って。いろいろ相談に乗れると思うから」
若林は、そうだ、と言ってから、隣の男の人からボールペンを借りて、侑歩に渡した名刺の裏に何やら書き足した。
「それ、個人ID、ね」
と言って笑う。その時、「若林さん、診察室三番へどうぞ」とアナウンスする声があった。
「あ、行かなきゃ…みいちゃん、行くよ」
じゃあね、と言って、彼女は子供の手を引いて立ち上がる。隣の男の人がそっと手を添えて、エスコートした。侑歩達に向かって軽く会釈をして、去って行く。
その後ろ姿を見送って、侑歩は名刺に目を戻した。加藤も覗き込んでくる。
「どうしよ、これ」
「もらっておけば?」
頷いて、侑歩は病院の書類が入ったファイルにそれを入れた。
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