第十二幕 ①

 昨日の未来の姿がちらついて、侑歩は放課後が待ちきれなかった。

 公演が成功したにもかかわらず、夕べはよく眠れていない。未来が流した涙の意味を考えて、一晩中悶々とした。彼女の兄の存在も気にかかる。

 教室での未来は、特に変わった感じはしなかった。元々目立つタイプではな

かったから、静かにしていても普段通りに見えてしまう。変化が分かりにくかった。

 放課後、校門を出てしばらく歩いたところにある公園で、侑歩は未来を待った。

 公園と言っても何があるでもなく、林立した木々に囲まれた空間に、申し訳程度の遊具とベンチが設置されているだけの場所だ。

 侑歩はベンチに座って、ぼうっと空を眺めていた。

「侑歩君」

 前髪を結い上げ、ピンで留めた未来の少し幼い顔が、侑歩を覗き込む。

「ごめんね、ちょっと寄るとこがあって」

 そう言って、未来は手にしていたペットボトルを侑歩に渡した。今買ってきたばかりなのか、すごく温かい。

「寒かった?」

 侑歩は首を振った。今日は太陽が出ていたせいか、割に暖かい。

 未来は侑歩の隣に腰を下ろし、自分の分のペットボトルのキャップを回して、一口飲んだ。そして、しばらく手の中でそれを弄ぶ。その仕草に、未来の葛藤が見て取れた。

 未来が小さく息をつく。

「…あのね、昨日来た人ね、ほんとは兄じゃないの」

「え?」

 思わず、その横顔に目を向ける。

「兄、じゃないの。家族ではあるんだけど、…洋ちゃんは、私が養護施設にいる頃からの知り合いで、今は、私の保護者なんだ…」

 やっと、未来が侑歩を見た。その表情に、侑歩は胸苦しさを覚える。

「保護者…」

「そう、洋ちゃんは、」

 未来はしばらく言い淀んだ。「私の旦那さんなの」

「は?」

 侑歩は、持っていたペットボトルを取り落とした。落ちたペットボトルから、中の液体がドクドク流れ出していく。侑歩は未来から目が離せなかった。

「旦那さんて…」

「うん、結婚しているの、洋ちゃんと」

「どういうこと?」

 未来は立ち上がって、侑歩が落としたペットボトルを取り上げ、中身をはたいて、近くのゴミ箱にそれを投げ込んだ。

「あのね、養護施設って、十八になったら、そこから出なくちゃいけなくて、自立を迫られるの。洋ちゃんはそれを心配して、私と結婚したんだ」

「じゃあ、好きで結婚したわけじゃないってこと?」

 未来は困ったように笑った。

「だけど、それだけじゃなくて、洋ちゃんは、私を、ちゃんと好きだと思う」

 ああ、と思った。そうだろう。彼は未来のことが好きだ。それは侑歩にも分かる。彼のあの目を見れば、歴然だった。

「それで、…ミクは?ミクは、彼を好きなの?」

 悲しそうな笑みを浮かべ、未来は頷いた。それを見て、本当に胸が切り裂かれたような痛みを覚える。

「じゃあ、俺は…」

(ミクにとって、何だったの?)

 訊きたかったが、訊けなかった。侑歩にも未来に告げてない秘密がある。未来に問い質し、隠していたことを責めることはできなかった。

 けれど、この行き場のない気持ちはどこへ行けばいいのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る